第1114回 麺にあらず?2
2008年10月23日
蕎麦は古い地層から花粉が採取されている事から、5世紀半ばには日本に入ってきていた事が確認されています。少なくとも千年を超える時間を蕎麦と過ごしてきた訳ですが、今日私達が親しんでいる蕎麦、薄く伸ばして切り分ける「蕎麦切り」が食べられるようになったのは江戸時代に入ってからの事です。
それまでの蕎麦はどのようにして食べられていたかというと、硬い殻を取り除くために脱穀した蕎麦の実をそのまま炊いて粥にしたり、他の雑穀類と混ぜて炊くという粒食や粉に挽いた物を熱湯でこねて作る「蕎麦がき」、こねて餅状にした物を焼いて食べる「蕎麦餅」などが食べられていました。
今でも蕎麦屋のメニューに蕎麦がきが用意されている事があり、蕎麦の食べ方の一つという事が判りますが、あくまでもサイドメニューの一環という感じで、蕎麦切りの考案以降、蕎麦切りが蕎麦の食べ方の主流となってしまった事が伺えます。
蕎麦切りについては、いつ頃、誰の手によって考案されたかについて正確には判っていません。蕎麦が採れ、蕎麦打ちが行われている地域によってもさまざまな由来が語られているようですが、どれもそれが蕎麦切りの発祥とする裏付けを欠くものとなっています。
蕎麦切りに関する最も古い記載は、江戸時代に入る少し前、天正12年(1574年)に行われた寺院の修復祝いで蕎麦切りが出されたというものとされています。その半世紀ほど後の慶長19年(1614年)の僧侶の日記に、江戸の常明寺で蕎麦切りをご馳走になったと記されている事から、蕎麦切りがこの頃から普及し始めた事が考えられます。
当時の蕎麦切りの調理法は今とは若干の違いがあり、蕎麦切りを一旦熱湯に入れて茹で、ざるですくってぬるま湯で洗い、水気を切った後、熱湯をかけてふたをして蒸して仕上げるというものでした。
今日行われている茹で上げた蕎麦切りを冷水で洗って仕上げる調理法に切り替わったのは、17世紀の終わりと考えられ、長い蕎麦の歴史の中のわずかな部分という事ができます。
調理法が切り替わった最大の理由は「つなぎ」の存在にあると考える事ができます。蕎麦に小麦粉をつなぎとして混ぜる事が行われるようになったのが17世紀の終わり頃とされ、ちょうど調理法の切り替わり時期と重なります。
それまでの蕎麦切りは蕎麦粉だけで作られていたので、切れやすく、煮くずれしやすかったために蒸して仕上げられ、小麦粉がつなぎとして入った事で扱いやすさが向上し、その後の普及に繋がった事が考えられます。
麦の不作を補う「そばむぎ」である事、つなぎとして小麦粉を含む事で今日の調理法の確立や普及に繋がった事、そうやって考えると植物としては遠くても、存在としては非常に近いものがあり、蕎麦も麺と呼ばれるべきと思ってしまいます。長い時間をかけて形作られてきた食に関する言葉には、少し掘り下げるだけでも面白いものがあります。