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第1157回 浅い歴史と早い伝播     2008年12月26日

 インドのアーユルヴェーダは、サンスクリット語で生命や自然治癒を意味するアーユスと知識や科学を意味するヴェーダが組み合わされて作り出された言葉とされ、古代以来の自然薬療法とされます。その歴史は5000年とも言われ、多くの香辛料を効果的に用いる事でも知られています。

 アーユルヴェーダの存在や多くの香辛料を産出している事などから、唐辛子はインドが発祥の地で、古代インド以降用いられてきたという誤解が根強くあると言われます。

 実際は唐辛子は南米原産で、世界的に知られるようになったのはコロンブスの新大陸発見以降と、歴史も浅い事に驚かされてしまいます。しかもコロンブスによってスペインに持ち帰られた唐辛子は、当時求められていたコショウほどには評価されず、長い間忘れ去られていたとされます。

 唐辛子を世界的に広めたのはポルトガル人で、コロンブスとはまったく関係なく唐辛子を広めています。ポルトガル人はコロンブスによって発見された新大陸を南へと向かい、ブラジルの東海岸にあたる後の交易地、ベルナンブコで唐辛子と出会っています。

 唐辛子を乗せたポルトガルの船は東へと向かい、アメリカ大陸を離れてアフリカの西海岸へ到達、喜望峰を回ってインドのゴアへと到着します。そこからマレー半島、スマトラ島、中国南端のマカオへと航海を続け、やがて日本へと渡ってきて唐辛子を伝えています。

 その後、オランダとイギリスの船に積まれた唐辛子が太平洋を渡ってメキシコに到着し、発見後100年足らずで唐辛子の世界一周の旅は完了する事となります。地球が球体である事が証明されて間もない世界、帆に受ける風の力で海を渡るしかない中では驚異的な速度で伝播したと言えます。いまだに人々を魅了して止まない唐辛子故にというところでしょうか。

 世界の唐辛子マーケットの中心は、インド南東部のグントゥールにあります。インド各地から運ばれた唐辛子が立ち並ぶ倉庫に納められ、風に舞う唐辛子の微粉末が道行く人々を咳き込ませるという風景を見ると、唐辛子の故郷がインドと思い込んでも仕方のないものがあるのかもしれません。


 



第1156回 ドリップの謎     2008年12月25日

 日頃からまったくと言っても良いほど縁がない物の一つに缶コーヒーがあります。コーヒーは好きでよく飲んでいるのですが、必ずブラックと決めていて、何かが入っていると途端に飲みたいと思わなくなってしまいます。砂糖もミルクもしっかりと入れられた缶コーヒーはできれば避けて通りたい存在で、たまにもらったとしてもそのまま別の人に上げてきていました。

 最近、健康志向の高まりからかブラックの缶コーヒーが増えてきていて、コンビニなどへ行けばそれなりの銘柄を見かける事ができます。初めてブラックの缶コーヒーに出会ったのは随分と昔の事で、ブラックの缶コーヒーがあるらしいという噂を聞き付け、その自動販売機がある場所までわざわざ出かけて買ってみた事があります。

 その時に飲んだブラックの缶コーヒーはかなりひどい味で、ミルクと砂糖で誤魔化さなければ飲めないようなコーヒーがベースになっているのだと実感させられた事だけが後々まで残っていました。

 最近売られているブラックの缶コーヒーは、それなりにこだわった事が言われている上、各社が競い合っている事もあってそれなりに美味しくなっているのではないかと想像しています。そのうちに試してみようかと思いつつ、ちょっと気になる事もあります。

 以前、缶コーヒーの製品開発をしていた方と話をする機会があったのですが、その際言われていたのが、「ちゃんとコーヒー豆をドリップしている訳ないでしょう。そんな事をしたら日本中がコーヒー豆のカスで埋まってしまいますよ」という事でした。

 確かにコーヒー豆を挽いてコーヒーを入れる際、1カップに計量スプーン1杯を使い、ドリップした後は乾燥していた豆が充分に水分を吸っている事から、それなりの量のカスが出ます。缶コーヒーの内容量的に見ると、1缶に計量スプーン1杯は使う事が予想されるので、販売本数から考えてみると日本中がコーヒー豆のカスで埋まっておかしくない気はします。

 缶コーヒーには法律で定められた種類分けが存在します。「コーヒー飲料等の表示に関する公正競争規約」に定められた種別では、コーヒー豆の生豆換算で内容量100g中に5g以上のコーヒー豆から抽出されたコーヒー分を含む場合、「コーヒー」と表示し、2.5g以上5g未満の場合、「コーヒー飲料」、1g以上2.5g未満の場合、「コーヒー入り清涼飲料水」と表示しなければならない事になっています。

 100gに5g。しかも生豆換算なので、実際のローストした焙煎豆となるともう少し小さい値となる事は明らかです。そうなると抽出したコーヒー豆のカスで溢れない事に少し納得できるものがあります、加圧した中で豆を粉砕する事で、コーヒー豆の細胞壁を破壊して熱水を使う事で抽出効率を高めるという特許も出願されていたので、個人レベルでドリップして入れる事とは違う世界観がそこにはあるように思えてしまいました。


 



第1155回 保存の代わりの調整     2008年12月24日

 食に求められるキーワードと言えば、「安心、安全」というところでしょうか。「安心、安全」と言葉にすると簡単なのですが、実現する事の難しさはさまざまな食をめぐるニュースなどからも伺う事ができます。

 食に関する「安心、安全」を難しくしている要因の一つは、安心と安全が必ずしも同一ではない事、必要条件ではあっても充分条件ではない事にあると思います。安心できるから安全とは限らず、安全だから安心できるとも限らない。そうしたもどかしさが常に付きまとっているように感じられます。

 食に対する安心を求める一環として、最近、合成保存料を含まない食品が増えてきています。合成保存料は食品の品質を低下させる腐敗菌やカビなどの増殖を抑え、食中毒などの危険性を減らしてくれます。しかし、発ガン性や催奇形性などの懸念が言われ、あまりイメージの良いものではありません。

 食品の原材料表示を確認した際、合成保存料の記載がない事でひとまず安心という感じがしてしまいます。本当に保存に関する物が含まれないとしたら、微生物が作り出す毒素に対する安全性を担保するものが何もない事になってしまいます。安心を得るために安全が遠ざけられたという見方もできてしまいます。

 合成保存料の代わりに使用される事が増えてきた物といえば、pH調整剤の存在があります。pH調整剤は、文字通り配合した物のpHを調整してくれる物です。ほとんどの場合、添加された食品のpHを酸性に傾かせる事で微生物の増殖を抑える働きをしています。

 似たような働きをする物としては、酸味料があります。酸味料は添加した食品を酸性に傾け、酸味を与えてくれます。pH調整剤は味を変えないという点では、酸味料ほどには食品を酸性に傾けていないといえ、それほど食品全体へ影響を与えていないとも言えます。

 pH調整剤にはクエン酸、クエン酸ナトリウム、炭酸ナトリウム、リン酸などが含まれ、それらがpH調整剤として一括表記する事が認められています。単独で使用される例が少なく、2、3種を組み合わせて使われる事がほとんどである事から、一括表記されていますが、一括表記される事によってどことなく不安なものにも見えてしまいます。

 最近、pH調整剤を疑問視する声も増えてきており、合成保存料と同じ展開になりそうに思えます。食をめぐる安心、安全については、情報の開示とそれを受け止めるという両面の基礎作りからはじめなければと思ってしまいます。


 



第1154回 ボーメ?     2008年12月22日

 ボーメ度と聞いて何の事か解る人は研究者か業界の方、もしくはかなり通の方かもしれません。ボーメ度は「ボーメ比重計」で液体の濃度を測って得られる数値で、水に何かを溶かした際の濃度を測る事に使われています。

 ボーメ比重計を15度の温度の純水に入れた時に水面と一致する点を0ボーメ度とし、同じ15度の温度に保った10%の食塩水に入れた時に示される点を10ボーメ度とします。その間を10等分して数値化し、上下にも同じ間隔で目盛りを刻む事でボーメ比重計はできています。

 ボーメ比重計では水に溶かしたさまざまな水溶性の物質の濃度が測れますが、もっとも私達の身近なところで使われている例としては、ラーメンの麺作りではないかと思います。

 ラーメンをはじめとした中華麺に欠かせない材料として、かん水の存在があります。同じ小麦粉を水でこねて作っていながら、うどんとラーメンの仕上がりは大きな違いがあり、この違いを生んでいるのがかん水の存在です。中華麺特有のコシや風味、色合いはかん水によって作り出されていると言っても過言ではありません。

 かん水は現代風に言うとpH調整剤の仲間に入り、アルカリ性を示しています。ほとんどのpH調整剤が酸性に傾く中では、異色の存在と言えなくもありません。小麦粉にアルカリ性を持たせる事で、麺に特有のコシや粘りが生まれ、小麦粉に含まれるポリフェノールに反応して黄色い色を発色してくれます。

 かん水などの湖沼から湧き出る水の使用は1800年前にまで遡るとまでされ、かん水は内モンゴルにある「かん湖」という湖に由来しています。かん湖の水を麺作りに利用したところ思いの外、質の高い麺ができたというエピソードが語り伝えられ、偶然の発見のように言われる事もありますが、アルカリ性が強い水はそれほど美味しい物ではない事を考えると、偶然の思い付きで大切な小麦粉を練る事に使うとは思えません。

 麺作りに関して、藁や木の葉の灰を溶かして濾した水を使う事を記載した文献が残されている事から、当時すでにアルカリ性の水を使った麺作りの工夫が知られていて、かん湖の水が麺作りに適している事を判断する基準があったのではないかと思えます。

 かん湖の水という天然水が元にはなっていますが、今日麺作りに使われるかん水は工業的に作られた炭酸カリウムや炭酸ナトリウムを混合して使われています。炭酸カリウムと炭酸ナトリウムの微妙な配合で麺の仕上がりが変わるとされ、水に対する溶解度に違いがある事や、温度によって溶解度が変化する事から、正確に溶解の状態を知るために必要なのがボーメ比重計という事になります。

 炭酸カリウムと炭酸ナトリウムの配合は各製麺所によって違いがあり、どの製麺所から麺を仕入れているかも通の間ではラーメン屋を評価するポイントになると言います。その日の気温や気圧によっても溶解度が変化するかん水の素を巧みに使い、美味しい麺を仕上げるツールの一つがボーメ比重計なのかもしれません。

 



第1153回 辛さの秘密     2008年12月19日

 子供の頃、近所に韓国出身のお婆さんがいて、毎年キムチを漬けて近所の人にお裾分けされていました。お婆さんが漬けるキムチはとにかく辛味が強く、それが本場の味なのだと近所の人は思っていました。

 その後、本場のキムチはそれほど辛味は強くない事を知り、お婆さんのキムチが辛い理由は韓国の唐辛子の感覚で日本の唐辛子を使っていたためだと知る事になります。

 日本固有の唐辛子である鷹の爪は、世界的に見ても辛味が強い唐辛子だと言われます。唐辛子の辛さを計る指標の一つとして、スコヴィル単位というものが存在します。辛味成分を抽出して甘味のある液体で何倍に希釈すると辛さを感じなくなるかという測定単位で、客観的に辛さを評価するものとして使われています。

 スコヴィル単位による唐辛子の辛さについては、今でも新たな品種が登場して更新し続けられいるとされますが、一般的に普及している唐辛子の中ではハバネロが最も辛いとして知られています。鷹の爪はそのハバネロに次ぐランキング2位の辛さを持つとされ、お婆さんのキムチの辛さが理解できるものとなっています。

 唐辛子の辛味を決めているのはカプサイシノイドと総称される成分で、唐辛子には5種類の同属体が含まれています。よく耳にするカプサイシンはその一つで、唐辛子の果実に多く含まれ、特に果実の内側、種子が付いている胎座と呼ばれる部分に集中しています。

 カプサイシン自体は辛味が強くても香りは持っておらず、香りは唐辛子の表皮部分から生じています。唐辛子を料理で使う際、種とワタを取り、軽く水洗いしてとされますが、辛味の強い部分を除いて香りを生かすための事と理解できます。

 唐辛子の辛味の強さは、その唐辛子に含まれるカプサイシンの量ではなく、含まれているカプサイシンの化学構造の違いにあるとされます。カプサイシンは化学構造として酸の鎖を持っています。この鎖の長さが辛さに深く関わっていて、長過ぎても短過ぎても辛味は弱くなってしまいます。

 同じ唐辛子の仲間であってもパプリカやピーマンのようにまったく辛味のないものや、シシトウのように突然辛いものが含まれていたりする理由も、このカプサイシンの鎖によって説明できると言われています。

 辛いカプサイシンは、口腔内の粘膜に付着すると神経の末梢を刺激して痛みの伝達物質を活性化させ、火傷を負ったような偽りの情報を脳へと送らせます。情報を受け取った脳は反射行動を起こしてアドレナリンを多量に分泌し、カプサイシンを取り除こうとします。アドレナリンによって心臓や唾液腺、消化器官が活発化され、新陳代謝も活性化されます。

 同時に鎮痛作用を高めるためにエンドルフィンの分泌も行われ、モルヒネ受容体に作用してモルヒネと同様の鎮痛作用を発揮します。カプサイシンの刺激が新陳代謝を高め、モルヒネのような昂揚感や陶酔感をもたらす事が、唐辛子が人を惹き付ける理由の一つとなっています。

 もう一つの理由として、カプサイシンは味覚の受容体を活性化して感受性を高める働きがあるとされます。唐辛子が急速に浸透していった食文化を持つ地域では、必ず発酵調味料などの旨味調味料の伝統が存在するとされ、唐辛子がいかに料理を美味しくするものであるかを伺う事ができます。

 世界の人口の4分の1もの人が唐辛子なしの食生活は考えられない人だと言われます。それだけの人を惹き付けるには、単に辛いという刺激だけではない正式な理由がある事が、唐辛子の深い世界観を形作っているのかもしれません。


 



第1152回 保管庫の完成形を求めて(2)     2008年12月18日

 枕が求められたのは単に魂の保管庫が必要と考えられたからではない事は、他の文化を持つ民族でも枕を使用している事から明白です。枕が必要な理由は、人以外の生物が枕を必要としない事から予想できるように、二足歩行を始めたところにあります。

 二足歩行を行うようになるとそれまでの四足歩行とは異なり、すべての臓器が一直線上に並ぶ事になります。中でも一番上にレイアウトされた頭の存在は大きく、大容量の体積を持つ脳とそれを守る頑丈な頭蓋骨は、かなりの重量となって身体を支える背骨に圧し掛かってきます。

 歩行を行うたびに縦方向に生じる頭の重圧を和らげるために、背骨は緩やかなS字を描く事で衝撃を吸収する工夫を獲得してきました。特に頭を直接支える事になる頚椎は、頭の重量と縦方向に生じる衝撃を最初に受ける事になるため、正面方向に緩やかなカーブを描いています。

 仰向けに寝た際、この頚椎のカーブの存在を維持する事が大切で、カーブが伸びてしまう事は構造上、頚椎に負担をかける事になってしまいます。安定した睡眠を得るには頭の大きな重量を支えて持ち上げ、頚椎のカーブを維持しながら負担を軽減する物が必要となり、それが枕という事になります。

 仰向けの姿勢で肩と背中、臀部が接地し、頚椎のカーブを考慮すると頭は少し高い位置にくる事が自然な背骨の形状を維持する事になります。単純にその高さを計測し、枕の形状を決める事で理想の枕が得られない事には、寝床の柔らかさによる沈み込みや重力がかかる方向が変わる事による背骨の微妙な形状の変化など、複雑な要因が関係していると言われます。

 枕の高さについては、「寿命三寸楽四寸」という言い方が残されいます。四寸の高さにすると楽に眠れるが、長寿には少し低い三寸が良いというもので、今の感覚では四寸=12cmで本当に楽なのかという疑問を感じてしまいます。

 それ以外にも拳や指の長さによる高さ設定に関する諸説があり、統計的研究では3〜6cm程度の高さが良いとされます。3〜6cmと言われると倍の開きがありますが、この中から個人差を考慮して自分に合った高さを探す事となります。

 高さが見付かっても枕の問題はそれだけに留まらず、素材に関する部分が大きく関わってくる事となります。睡眠中に発散される水分や熱を適度に保持し、不要な分は的確に排出する事が枕には求められます。

 そうした要因が複雑に絡む枕選びの難しさは、オーダーメイドの枕を販売するインターネットの通販サイトの多さからも伺う事ができます。枕に求められるポイントは高さ、固さ、大きさ、素材の4点とされ、高さは高すぎると首筋が安定せず肩こりの原因となり、低すぎると脳への血液の滞留が多くなって寝付きが悪くなると言います。

 固さは固すぎると頭を支える面積が少なくなって頭の安定が悪くなり、柔らかすぎると沈みすぎて通気性が低下し、寝苦しい枕になってしまいます。大きさは寝返りに影響し、素材は他の3つの要因に影響する事が考えられ、また日本に四季がある事も選択を難しくしている事が考えられます。

 理想の枕を得る事の難しさについては、いくつもの理由を上げる事ができますが、もともとは魂を入れる保管庫であった事を考えると、中途半端な情熱では見付けられない事が当然のようにも思えてしまいます。


 



第1151回 保管庫の完成形を求めて(1)     2008年12月17日

 人生を通して最も多くの時間を費やす事と言えば、睡眠の事ではないでしょうか。人生の大半を使い、毎日繰り返し行われる睡眠ですが、毎回満足のいくものとなっているかについては、睡眠の関わる重要なアイテム、枕の多種多様な販売例を見ているとある程度は想像できる事と思います。

 枕の語源は「魂倉(たまくら)」にあると言われます。文字通り魂を収めておく倉の事で、眠っている間の魂の保管庫という事になります。

 古代の人々の間では、眠っている間に魂は肉体から遊離し、彷徨うものと考えられていました。彷徨いながら見聞きした事が夢とされ、遊離した魂は一旦何処かへ保管しなければならない事から、保管庫を作り、それを頭に敷いて眠るようになったのが枕の始まりとされます。

 魂倉に魂が保管される事で安眠が約束されると考えられた事から、枕はきわめて重要な安眠グッズであった事が想像され、それから長い歳月を経た今日でもその重要性は変わっていない事に興味深いものを感じると同時に、いまだに安眠を約束する枕の完成形が得られていないという枕選びの難しさを思い知らされてしまいます。

 枕の進化は大きく分けると「木枕」と「薦枕」の系統に分けられると言われます。木枕は硬い木や同様の固形物を枕にするもので、石枕や陶枕、籐枕などが含まれます。

 当初は丸太や角材などを適度な長さに切っただけの物が使われ、やがて頭を置く部分に窪みを付けるなどの工夫が生まれます。布や綿を使って柔らかさを持たせるようになっていき、漆や蒔絵などの美術的な装飾も加えられるようになって一つの完成形となります。

 薦枕は木枕同様、当初は藁や蔦などを束ねただけの素朴な物として誕生します。単純に藁を束ねただけでは肌触りが悪い事から草を編んだ物が巻かれたり、クッション性を持たせるために中に草を丸めた物を芯として入れるといった工夫が加えられていきます。

 やがて木枕同様、布を使う工夫も見られるようになり、完全に外側を布で覆うようになると中の芯も綿などに変わっていきます。身近にある物で通気性とクッション性が得られるという事で、蕎麦殻を使った物は、薦枕の完成形の一つと見る事ができます。

 別の系統として進化をしてきた木枕と薦枕は江戸時代に入ると、合体して一つの枕となります。箱枕と呼ばれた枕は、木製の土台の上に俵型の薦枕が乗せられた物で、安眠の追及から生まれたというよりも結った髪が崩れないようにするための工夫から生じたもので、首の付け根を当てて寝る事から髪形を崩さないという目的においては、一つの完成形が得られたと言えるのかもしれません。


 



第1150回 固形化300年     2008年12月16日

 カカオの学名である「テオブローマ」には、「神の贈物」という意味があります。中南米に伝えられえた伝説が元になっていて、現地の人達の間ではカカオの実は神が与えてくれた物と信じられてきました。

 聖なる白い人とも呼ばれる神、ケツァルコアトルが人々にカカオの実を与えたのは紀元前の事と言い伝えられ、古くからカカオが人々に親しまれてきた事を伺う事ができます。

 収穫されたカカオの実は、加工されて飲み物として愛用されてきました。カカオから作られる飲み物は、その味からアステカ語で「苦い水」という意味のショコアトルと呼ばれ、今日親しまれているチョコレートの語源となっています。

 16世紀初頭、アステカの征服によってヨーロッパに伝えられたチョコレートは、当初製法が秘密にされ、一部の王侯貴族だけの飲み物となっていました。世に広くその存在が知られるようになったのは、17世紀に入ってからの事で、1607年、イタリア人のカレッティが飲用チョコレートの製造を開始してからと言われています。

 17世紀の中頃にはコーヒーハウスでもチョコレートが出されるようになっていたという記録が残され、徐々に一般の市民の間でも愛好者が増えていった事が想像できます。

 当時のチョコレートはカカオ豆の脂肪分であるカカオバターを含んでいた事から、高脂肪で消化の悪い飲み物であったとされます。そんな飲用チョコレートの欠点を克服するために、カカオ豆からカカオバターを分離して作られたのが粉末チョコレートで、今日のココアあたります。

 せっかく脂肪分と分離して作り出された粉末チョコレートですが、19世紀の半ばに再び良質のカカオバターと混ぜ合わせ、砂糖を加えて味を調えて固まらせ、そのまま食べるという新たな利用法が生まれます。今日のチョコレートの原型で、飲み物として伝えられてから約300年もの時間をかけて固形化された事になります。

 最近ではGABA(γ−アミノ酪酸)が含まれている事から、チョコレートのストレスを和らげる働きに注目が集まっています。高ストレス社会と言われて久しい昨今、カカオの実はやはり神が与えてくれた贈物のように思えてしまいます。


 



第1149回 海の酸性化     2008年12月15日

 地球温暖化が話題になって以来、二酸化炭素の排出に関する意識が高まってきています。石炭や石油、ガスといったいわゆる化石燃料の消費量が増えた近代以降、大気中の二酸化炭素濃度は明らかな上昇が観測されています。

 二酸化炭素が温暖化をもたらすという事についてはさまざまな意見が出されていますが、大気中の濃度が上がった事は温暖化以外の問題も引き起こしていると言われます。

 大気中に放出された二酸化炭素の約半分は海洋に吸収されているとされます。本来海水はpH8程度の弱アルカリ性ですが、二酸化炭素が溶け込む事で海水のアルカリ性が弱まってしまいます。海水の酸性化と呼ばれる現象は、酸性度としての数値的には目立って大きな変化ではないように見えてしまいますが、進行すると深刻な影響を環境に与える懸念があります。

 海水の酸性化によって引き起こされる現象として、海洋生物が作り出す炭酸カルシウムが溶かされる事が考えられ、生態系が深刻なダメージを受けてしまう可能性もあります。

 海洋生物が作り出す炭酸カルシウムにはアラゴナイトとカルサイトという2種類の結晶がありますが、アラゴナイトの方がより溶けやすいとされます。アラゴナイトは動物プランクトンの一種である翼足類やサンゴの殻や骨格として使われている事から、最初に酸性化の影響を受ける海洋生物と見られています。

 酸性化の度合いがアラゴナイトやカルサイトが溶すほどではないとしても、プランクトンなどの微生物が炭酸カルシウムの殻や骨格を成長させる速度が遅くなる事で、生存率の低下や生体としての活動の弱まりなどに影響が出る事は充分に考えられ、それらの数が減る事で他の微生物が増えたり、減ったりという生態系の変化に繋がる事は容易に想像できます。

 二酸化炭素は温度や気圧の変化によっても海水に溶け込む量が変化し、地形などによる波の状態の影響も受ける事が考えられ、海水の酸性化は地域的な分布に多様性が見られる事から、研究をより難しくしている事が予想されます。植物プランクトンから始まる海の食物連鎖は、私達へも大きな影響力を持っています。日々産出している二酸化炭素が深刻な影響を与えていない事を、切に願ってしまいます。


 



第1148回 乳酸叩き     2008年12月12日

 ガン細胞は分裂を繰り返す非常にエネルギッシュな細胞と言えます。それだけに多くのエネルギーを必要とする事から、通常の細胞よりも多くのブドウ糖を消費してエネルギーを作り出していると考えられてきました。しかし、一部のガン細胞が栄養としているのは糖ではなく、疲労物質として見られてきた乳酸である事が判ってきています。

 細胞がエネルギーを作り出すプロセスとしてブドウ糖を燃焼させるためには酸素の存在は不可欠となっていますが、腫瘍細胞の中には急速に増殖した事から血管の準備が追い付かず、酸素が充分に供給されない低酸素細胞と呼ばれるものがあります。低酸素細胞はエネルギー代謝の一環として乳酸を産生していて、ガン細胞はこの乳酸を優先的に使ってエネルギーを作り出している事をベルギーのルーバイン大学の研究グループが突き止めレポートしています。

 乳酸が酸素を供給されている細胞に入り込むには特殊なゲートの存在が必要とされますが、そのゲートの働きを阻害する薬剤を供給すると乳酸の利用が妨害され、ガン細胞はブドウ糖を利用するようになり、低酸素細胞はブドウ糖の不足に陥って死滅してしまいます。

 低酸素細胞は化学療法や放射線療法など、あらゆるガン治療に耐性が高いとされてきました。今回の研究はガン細胞の協調を乱す事によって、治療が難しいとされてきたガン細胞の治療への道を開くものとして期待されるものであり、新たなガン治療への戦略を開く事として今後の研究が待たれるものとなっています。


 



第1147回 インド原産日本食?(3)     2008年12月11日

 福沢諭吉というとお札の人という感じでしょうか。日本全国に顔が出回っている人ではありますが、福沢諭吉こそが日本で最初にカレーに関する記載を行った人でもあります。1860年に出版された辞書、「増訂華英通語」の中でカレーに関する記述を行っています。

 増訂華英通語の中に出てくる「コルリ」が「Curry」の事で、カレーの存在を日本に紹介する最初の記述ではありますが、多くの英単語の一つとして書かれ、アメリカで購入した英中辞典を基に発音をカタカナ表記したものなので、実際に福沢諭吉がカレーを見たり、食べたりしたかについては定かではありません。

 実際にカレーを目撃した最初の記録は、福沢諭吉の辞書から3年後の1863年に幕府の遣欧使節の一人、三宅秀によって書かれています。フランスの船でヨーロッパへ向かう途中、同乗していたインド人の食事風景を目撃して日記に記しています。

 三宅秀の記述によると、「飯の上へ唐辛子細味に致し、芋のドロドロのような物をかけ、これを手にて掻き回して手掴みで食す。至って汚き人物の物なり」とされ、初めて見るカレーにかなりの違和感を感じた事が伺えます。

 幕末当時、横浜などの貿易港に外国人居留地が作られ、そこで暮らしていたイギリス人を通してヨーロッパ風のカレーが日本人に紹介されています。その後、1873年にカレーのレシピが正式に書物に載せられ、カレー粉で味を付けて小麦粉でとろみを出す事が書かれています。

 カレー粉と小麦粉の使用はヨーロッパで独自の進化を遂げたカレーの特徴であり、インド料理ではなく西洋料理としてカレーが伝えられた事を示しています。北海道大学の前身にあたる札幌農学校に赴任したクラーク博士は、寮に住む学生達の栄養状態の改善策として西洋料理を推奨し、それまでの米を中心とした和食を否定しています。しかし、「生徒は米飯を食すべからず、但し、らいすかれいはこの限りにあらず」という規則を作っている事から、カレーという料理の微妙な位置付けが感じられてしまいます。

 明治時代も後半に入ると庶民的な洋食店でもカレーが扱われるようになり、比較的裕福な家庭でも作られるようになっています。一般庶民の家庭でも広くカレーが普及するきっかけとなったのは、日露戦争の存在が大きいとされます。

 日持ちが利く食材を使い一度に大量に、しかも簡単に調理できて美味しく、必要な栄養がきちんと摂取できて食べ続けても飽きがこない食事が軍隊では求められていました。そのすべての用件を満たし、軍用食として採用されたのがカレーで、日本軍の兵士達は軍隊を通してカレーの美味しさと作り方を学び、退役後に故郷へ戻ると家族にカレーの作り方を教えています。

 大正時代に入るとタマネギやニンジン、ジャガイモなどが一般的に出回るようになり、今日の日本のカレーの基本的なスタイルが確立されてきます。日本の食生活に定着していくカレーですが、カレーを調理する上で欠かす事のできない材料、カレー粉はイギリスのクロス&ブラックウェル社製の物によって占められていました。

 クロス&ブラックウェル社はカレー粉の製法を公表せず、東洋の神秘的な方法によって製造されたとだけパッケージに記載していました。当時の日本では充分な品質のカレー粉を作る事が困難で、国産と称していても実際は輸入品のカレー粉にスパイスを添加しただけの完全な国産とは呼べない物でした。

 初めての純国産高品質カレー粉の製造に成功したのは、東京浅草の日賀志屋でした。日賀志屋創業者の山崎峯次郎は設立当初からカレー粉の研究に注力し、1923年にクロス&ブラックウェル社に負けない品質のカレー粉を完成させています。その後、他のメーカーからも高品質な純国産カレー粉が発売されますが、あまり大きな普及には繋がっていません。

 長い間、クロス&ブラックウェル社製のカレー粉によって市場が独占されていたため、クロス&ブラックウェル社製のカレー粉でなければ美味しいカレーが作れないという思い込みが多くの飲食店で横行していた事が普及の足かせとなっていました。

 皮肉にもクロス&ブラックウェル社への思い込みは、クロス&ブラックウェル社の容器に安い国産のカレー粉を入れて販売していた悪徳業者の摘発によって国産カレー粉の品質の高さを証明する事となり、国産カレー粉の評価を高める事へと繋がっていきます。以降、国産のカレー粉は急速に普及し、カレーの純国産化が完成されたものとなります。

 その後、第二次大戦を迎えるとスパイスが入手できなくなり、カレーとって最も重要なスパイスであるターメリックさえ手に入らなくなってしまい、カレーは黄色い色さえ失ってしまう事になります。名前も英語の使用が禁止された事から「辛味入汁掛飯(からみいりしるかけめし)」と改めされてしまいますが、戦後、スパイスの輸入が再開されるとカレー産業の復興が精力的に行われ、次々に新製品が市場に投入されて競争が激化し、日本のカレーの品質は著しく向上していきます。

 日本のカレーの質の高さは、世界的な高評価を得るに充分なレベルにあるとされます。インダス文明から始まったスパイス文化の中で生まれ、民族の移動、新大陸の発見、大航海時代、戦争といった歴史の中で独自の進化を遂げ、東の最果ての地で一つの食文化として花開いたのが今日、私達が接しているカレーなのかもしれません。


 



第1146回 インド原産日本食?(2)     2008年12月10日

 もしタイムマシンがあったら・・・まずスーパーへ行ってコショウをたくさん買い込み、中世のヨーロッパへ持って行って販売する・・・誰もが考えそうな事です。当時、アジア産のスパイスは非常に高価で、金と同じ重さで取引されていたと伝えられます。スーパーで買い占めて持っていけば、どのくらいの利益が得られるのでしょう?

 東南アジアで栽培されたスパイスは船でインドに集められ、インドで栽培されたスパイスと共にアラビア人の商人によってシルクロードを通り、ヨーロッパまで運ばれていました。アラビアの商人はスパイス貿易によって莫大な利益を上げていたので、ヨーロッパでは直接アジアからスパイスを仕入れる事ができれば、自分達も莫大な利益を得られるという根強い思いがありました。

 ヨーロッパの商人が直接アジアと取引を行うには、シルクロードはアラビア人の支配下にあり、海路も途中で寄港する重要な港の多くがアラビア人によって支配されていて、新たな航路を発見する事が不可欠とされていました。

 15世紀中頃に始まる大航海時代には、そうしたスパイスの直接取引という情熱も大いに含まれ、コロンブスによる新大陸の発見に繋がっています。コロンブスは最新の仮説である「地球球体説」に基き、ひたすら西を目指してやがてインド近辺の島を発見して上陸し、帰還しています。

 実際には、カリブ海の島に上陸していたのですが、コロンブスはインドと信じていました。その際、さまざまな現地の品物が持ち帰られ、その中に唐辛子(チリペッパー)が含まれていました。

 ヴァスコ・ダ・ガマによってアフリカ南端を経由したインドへの航路が発見されると、ヨーロッパとインドとの直接取引きが開始され、アメリカからヨーロッパへと伝えられていた唐辛子はインドを経由してアジア各地へと広まって行く事となります。

 辛い物を好む食文化が根付いていたインドや東南アジアでは、唐辛子が伝えられると瞬く間に普及していき、各地の食に多大な影響を与えています。カレーが唐辛子と出会い、より辛い物へと進化を遂げる事には、それほど長い時間を要しなかった事が想像できます。

 16世紀に入ると、ヨーロッパの各国はアジアとの貿易で独占的な利益を上げる事を目指し、アジアの植民地化を開始します。ポルトガルによる最初のインド植民地化が始まると、オランダ、フランス、イギリスが相次いでインドへの進入を開始し、最終的にインド全域を支配したのはイギリスでした。

 植民地支配が開始されると、インドの食文化がヨーロッパでも紹介されるようになります。16世紀の後期にはカレーという料理の名前がヨーロッパの書物に登場するようになりますが、あくまでもインド人の食べ物として認識するだけで、カレーを作って食べる事はなかったと言います。

 ヨーロッパでカレーが食べられるようになるには18世紀後半、初代ベンガル総督のへースティングスによるレシピ紹介を待たなければなりません。へースティングによるカレーのレシピは赴任地であるベンガル地方のカレーで、ベンガル地方では米作が盛んであり、米が主食であった事からカレーライスのヨーロッパ登場と考えられています。

 1774年の「明解簡単料理法」に記された「みじん切りにしたタマネギとぶつ切りにした鶏肉をバターで炒め、ターメリック、ジンジャー、ペッパー、クリーム、レモン汁と共に煮込む」という記載がイギリス最古のカレーのレシピとされ、インドのカレーと比べると極端に使われるスパイスが少ない事に気付きます。

 イギリスでは多くの種類のスパイスを組み合わせて使うという事に慣れてなかったための工夫で、それではカレーの味が充分に出ない事から、カレーに必要なスパイス類を事前に調合したカレー粉がイギリスで発明されるきっかけとなっています。

 18世紀末、イギリスのクロス&ブラックウェル社から初めてのカレー粉が発売されると、ヨーロッパの伝統的な料理であったシチューとの融合が起こり、カレーは新たな進化を遂げます。今日、私達が親しんでいるカレーの原点は、大航海時代を経たイギリスにあったと考える事もできます。


 



第1145回 インド原産日本食?(1)     2008年12月09日

 誰もが広く知っている事で、カレーはインドの伝統的な料理です。しかし、日本にもしっかりと根付いていて、日本の国民食とまで言われるようになっています。統計的に見るとかなりの頻度で食べられていて、週に一度以上は食べているという事も珍しくはありません。

 カレーと言えば料理の名前として認識されますが、インドにはもともとカレー(Curry)という言葉は存在しなかったと言います。Curryの語源についてはいくつかの説があり、どれも決め手に欠けていて確たるものとはなっていません。

 有力なところでは、タミール語でたれ状の食べ物で、特にご飯にかけて食べる物をカリ(Kari)と呼んでいました。それを西洋人が料理の名前と勘違いして、聞こえたままの言葉を料理名としたというものや、ヒンディー語で香りが良い、美味しいという意味を持つターカリー(Turcari)を聞き違えて料理名としたというものがあります。

 今では発祥地のインドに限らず東南アジア、日本、ヨーロッパ、アメリカでもカレーという名の料理は食べられています。国民食とまでなっている日本では明治以降に広まった料理であり、歴史は比較的浅いものにも関わらず、日本食とまで言えるほどの定着ぶりを見せてくれています。

 それだけ普及しているカレーですが、いつ頃誕生したのかについてははっきりとしていません。インド原産のスパイスについては、インダス文明の頃には栽培されていた記録が残されているので、その頃にまで遡る可能性もあります。

 インダス文明は新石器時代、西アジアからインド北西部へ移住してきたドラヴィダ人によって興されたもので、紀元前2300年頃にも関わらずエジプトやメソポタミアなどと広く交易を行っていました。中東で栽培されたスパイスもそうした交易によってインドへ持ち込まれ、たくさんのスパイスを用いるインド料理の原型を形作っていくきっかけとなっています。カレーの原点もこのあたりにあると考える事ができます。

 その後、インダス文明は衰退し、中央アジアの遊牧民、アーリア人の侵略を受けたり、東南アジアとの交易が盛んに行われるようになったりと、カレーは多くの異文化にさらされる事となり、より複雑な進化を遂げる事となります。9世紀頃、中国、華南地方で稲作をしていたタイ人が漢民族や北方の諸民族の移動に伴い、周辺の各地へ移住するようになり、インドシナ半島まで移動した事によってカレーと出会った事もカレーの進化に大きく影響を与えています。

 当時のカレーが現在のものと大きく異なる点は辛味をコショウを用いて出していた事で、現在のカレーには欠かす事のできない辛味である唐辛子(チリペッパー)の登場は、原産地である熱帯アメリカが発見される15世紀まで待たなければいけません。インダス文明から新大陸発見。ずいぶんと長く、複雑な時間の流れがカレーの成立に関わっていると言えます。


 



第1144回 美味しいベーコン探し     2008年12月08日

 ベーコンはカリカリになるまで炒めて、脂が多いのでフライパンには油をひかず。ベーコンの調理法にはいろいろと注文とこだわりがあると思います。

 実際に炒める際、カリカリという表現を意識し過ぎて硬くなってしまったという経験はないでしょうか。カリカリに仕上げるにしても油をひかず、ベーコンの脂だけの方がカリカリになるとか、少量の油をひいた方がカリカリに仕上がるとか、諸説があって迷ってしまいます。

 休日の遅めの朝食にベーコンとレタス、トマトを使ったいわゆるBLTサンドを作ってみようと思うのですが、ベーコンの仕上がりがいまいちと感じる事も少なくはありません。

 ベーコンの美味しい食べ方に関して最も信頼できる情報は、7分間余熱されて240度に熱されたオーブンで、薄切りのベーコンを焼き、2cm程度の田舎風のパンにはさんで食べるというものです。

 イギリス、リーズ大学のクレイトン教授によって提唱されたもので、この結論を得るために4人の研究者が700回もベーコンを調理し、1000時間以上も費やしてこの結論を導き出しています。

 特定の銘柄に偏らないよう、ベーコンの種類や切り方、温度や焼き方、焼き時間、油の種類などを変えてさまざまなテストを行い、コンピューターを使った歯ごたえの測定。味や風味に関しては50人ものボランティアの協力を得るという力の入ったものとなっています。

 研究の中で判ってきた事は、消費者が魅力を感じているのはベーコンの味や香りではなく、肉質の方が重要で、ベーコンを噛む音も重要だという事だとされます。

 ベーコンの美味しさを数値化するための数式も公表されていますが、さすがに関数を考えながらフライパンを扱えるほど器用ではないので、焼きの温度や時間だけ参考にさせてほしいと思ってしまいます。


 



第1143回 直接注射     2008年12月05日

 最近は何らかのアレルギーを持つという方が増え、まったくアレルギーとは無煙という方がむしろ少数派になってきているのではという印象すらあります。

 アレルギーの困ったところは体内でアレルゲンが作られて突然発症し、なかなか有効な手立てがない事だと思います。アレルギーを発症して、最初に行なう事は原因となるアレルギー物質を特定し、できるだけそれから避けておく事。しかし、避けられない場合も多く、その場合は立ち向かう事。積極的に症状を抑え込む薬剤を使用したり、原因物質を何らかの形で体内に取り込み、症状を緩和するという治療法も行なわれています。

 特に不快な症状を訴える人が多い花粉症の場合、アレルギーの元となる花粉を経口摂取する事や、皮下注射などで体内に入れる事で症状が緩和される事は広く知られるようになってきています。

 注射で体内に花粉を取り込むという療法に関して、これまでよりも負担が少なく、効果も大きい手法が確立される可能性が出てきています。

 体内に花粉を取り込む際、皮下や脂肪細胞へ取り込むのではなく、免疫に直接関係するリンパ節に注入する事で効果が著しく高まり、注入量も1000分の1以下に減らせて副作用も軽減できる事が、スイス、チューリッヒ大学のクンディグ博士によって報告されています。

 注射によってアレルゲンを取り込む事でアレルギー症状を軽減する療法は、アレルゲン特異的免疫療法、減感作療法、アレルギー注射とも呼ばれ皮下脂肪組織への注射が標準的な治療法とされています。

 一般的には3年から5年にわたって30〜70回もの注射が行われ、注射した部位の腫れや全身のアレルギー反応まで引き起こされる事があり、治療法の普及の障害ともなっています。

 リンパ節への直接注射は、これまでの注射よりも短期間で安全な治療法とされ、リンパ節自体に神経がない事から痛みも少ないと言います。イメージ的には痛そうですが、これまでよりも遥かに負担が少ないとされる事から歓迎すべき事かもしれません。


 



第1142回 ロー?     2008年12月04日

 ローフード・・・スローフードのタイプミスではありません。最初に聞いた時は、最近流行の糖質ゼロなどのようなカロリーや一部の栄養素を低く抑えた食品の事かと思ってしまいました。

 ローフードのローとは、低いというローではなく生を指すローだとされ、食材をできるだけ生で食べる事で、食材が本来持っている酵素やビタミン、ミネラルなどを効率よく、自然の形で摂り込もうという考え方が元になった身体に優しい食のスタイルとされます。

 ローフードの考え方の中では、特に食材に含まれる酵素が重要視され、一定以上の温度で酵素が壊れてしまう事から、余計な熱を加えず酵素をよりたくさん得る事に生食が向いているとされます。

 確かに食材は加熱する事でビタミンが壊れ、酵素は活性を失ったり、加熱を繰り返す事で脂肪酸の構造が変化してトランス脂肪酸を増やすなどの弊害が考えられます。

 しかし、加熱調理にも良い点が多く、熱を加える事で消化吸収が良くなる事や、カロチンなどの栄養素は吸収率が高まったりもします。また、かさが減る事で量を摂取する事ができるようになり、加熱による栄養の損失を量で補う事も考えられます。

 食材を加熱する事で、食材が持つあくを抜いたり、刺激を和らげたりといった食材の危険性を下げる事も考えられ、殺菌などの点でも安全を確保する事に貢献していると言えます。

 文明発祥の根源には、火を使って調理するようになった事で、食事や消化吸収に多くの時間とエネルギーを割く必要がなくなって生じた余暇にあるとする説もあります。

 逆に火を使う事で解毒力など失った力も多いという説もあります。食材と調理法は適度に使い分けながら、美味しさを確保する事が大切だと思ってしまいます。


 



第1141回 イカロスの夢     2008年12月03日

 秋晴れの澄み切った空を見ていると、鳥の羽根をロウで固めた翼を使い、大空を自由に飛んだイカロスの事を思ってしまいます。高く飛び過ぎた事で太陽の熱によって羽根を留めたロウが溶け、イカロスが墜落してしまう事は広く知られていますが、翼の製作者であるイカロスの父ダイダロスは、無事に飛行を行い、目的地にたどり着いた事はあまり知られていません。

 ダイダロスはミノス王のためにラビュリンス(迷宮)を作っていますが、その後ミノス王の不興をかい、息子のイカロスと共に塔に幽閉されてしまいます。

 その塔を脱出するために作られたのが二人が大空を飛んだ翼で、鳥の羽根を集めて大きい羽根は糸で留め、小さい羽根はロウを使って留めています。飛行に際してダイダロスはイカロスに、空の中ほどの高さを飛ぶように伝えています。低く飛ぶと霧が翼の邪魔をし、高いと太陽の熱がロウを溶かす心配があったからです。

 イカロスの説話はさまざまな教訓を伝えるものとなっていますが、同時に大空への見果てぬ夢を示すものでもあります。鳥のように自由に空が飛べたらという発想は誰もが一度は持つものとされ、1783年にフランスのモンゴルフィエ兄弟による気球の有人飛行の成功までは、まったくの見果てぬ夢となっていました。

 今日では気球に飛行機、ヘリコプターなど、多くの空を飛ぶ道具が発明され、日常的に使われていますが、やはり鳥のように自らの翼で羽ばたいて飛ぶという事には憧れてしまいます。

 歴史上、幾度となく鳥の翼を模倣した物での飛行実験は行われてきましたが、成功したという記録は残されていません。最大の理由は身体の作りの違いにあります。

 鶏肉を食べた後、残された骨が意外なほど軽い事に気付きます。鳥は極限まで骨を軽量化する事で体重を軽くし、空を飛ぶ事を可能にしています。骨太に生まれ、骨粗鬆症を気にしているようでは、大空は遠いという事でしょうか。


 



第1140回 大統領の犬探し     2008年12月02日

 米国の大統領選挙が終わり、次期大統領の勝利演説の中で娘たちのために子犬を飼うという微笑ましい約束が話題となっていました。ホワイトハウスでは歴代の大統領によって多くの犬が飼われてきたので、ある意味、伝統的な事のようにも思えます。

 オバマ次期大統領一家がホワイトハウスへ移り、どのような犬が飼われるのか気になりますが、2人の娘のうち1人はアレルギーがあるとの事なので、犬探しは大変困難なものになるのではないかと心配になってしまいます。

 犬や猫などのペットに対するアレルギーを持つ人は意外と多く、インターネット上のオークションの商品説明などでも出品者のペットの飼育に関する但し書きを見かける事がよくあります。

 全身を毛で覆われている事から、アレルギーは毛によって引き起こされているイメージが強くありますが、実際は動物の古くなってはがれて落ちた皮膚の角質の小片、いわゆるフケや唾液、尿などに含まれるタンパク質によって引き起こされています。そのため、毛のない動物を飼っていてもアレルギーを避ける事は難しく、完璧な抜け毛対策を施してもほとんど意味がない事となってしまいます。

 まめに入浴させる事で古い角質を除去し、アレルギーの元を少なくするという考え方もできますが、もともと入浴する習慣がない動物を入浴させるという事は、皮脂を奪い過ぎてかえってフケを増やしてしまう可能性もあります。

 難航しそうな犬探しですが、種類によってもアレルギーを起こしにくいものもあるので、まずはそのあたりからという事になるのでしょうか。プードルなどの語尾が「oodle」の犬種はアレルギーを引き起こす率がかなり低いといわれるので、その中から決まるのではと予想しています。娘さんたちのためにも、早く決まると良いと思っています。


 



第1139回 エネルギープラント内蔵     2008年12月01日

 「糸粒体」と言ってすぐに何の事か判る人は、かなり生物学に詳しい方か古い方ではないでしょうか。ギリシャ語で糸を意味するミトスと粒を指すコンドリオンを基にした合成語を、そのまま日本語にして「糸粒体」と以前は呼ばれていましたが、現在はその呼び名はほとんど使われず、ミトコンドリアという方が完全に一般化していると思います。

 糸と粒という言葉が語源となった理由は、ミトコンドリアの形が糸状であったり粒状であったりするところからきているとされます。動物や高等植物などの酸素呼吸をする生物の細胞内にあり、「細胞内小器官」と呼ばれたりもしています。

 酸素を遮断された状態、水中などでも訓練によってはある程度長い時間行動する事ができます。体内の残留酸素を使い切ってしまっても運動するエネルギーを作り出しているのは、細胞が持つ酸素を必要としないエネルギー生産方式、「解糖系」と呼ばれる代謝機能によるものです。

 解糖系は文字通り糖を分解してエネルギーに変える代謝方式で、もともと細胞は解糖系によってエネルギーを作り出していたと考えられます。しかし、解糖系によるエネルギー交換はあまり効率の良いものではなく、酸素を用いたエネルギー交換と比べると交換効率は15分の1程度にしかなりません。

 太古の昔、解糖系によってエネルギーを作り出して活動していた細胞にとって、酸素は有害なものとなっていました。今日でも活性酸素がさまざなまな弊害を生じる事が知られていますが、当時の細胞にとっても酸素は危険な存在で、大切な生命の設計図である遺伝子を破壊するものでもありました。

 大気中の酸素の量が増えた事に合わせるように、酸素によって糖を燃焼させてエネルギーを作り出す好気性細菌が登場します。細胞は核の中に遺伝子を隔離し、酸素の弊害を受けにくくした上で好気性細菌を取り込み、共生する事で効率よくエネルギーを作り出す事に成功します。

 好気性細菌自身もエネルギー生産に酸素を使ってはいますが、酸素による遺伝子への脅威は残されていたので、細胞の核内へ遺伝子を融合させて預ける事で酸素の危険性を排除した上でエネルギー生産に専念する事となります。この好気性細菌がミトコンドリアの起源となり、核の回りでエネルギープラントとしての重要な役割を担っています。

 今日、酸素を呼吸して大きな力を出す事ができる大元は、16億年とも20億年とも言われる昔に起こった酸素の脅威を取り除くという利害の一致にあると言え、共生という生命活動の結果とも考える事ができます。


 



 

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