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第1396回 無病息災事始
2009年12月29日
年末を迎え、買い物の際に「屠蘇散」をいただきました。ティーパックのような小さな小袋に入れられた屠蘇散は、さまざまな効能を持つ生薬で処方され、日本酒にみりんなどを加えた物に漬け込めば「御屠蘇」の出来上がりです。
基本的に屠蘇散を使った御屠蘇の習慣があるのは関西以西の西日本に限られるとされ、屠蘇散を使わない日本酒の祝い酒を御屠蘇としている例が多いという事は、ずいぶんと後になって知った事で、それまでは古い歴史を持つ屠蘇散は日本中で使われていると思っていました。
一説には屠蘇散は中国の三国時代の名医、華佗によって処方されたものとされ、防風や大黄といった漢方成分を中心とした多くの処方が各地に伝えられています。
御屠蘇の習慣は中国では唐の時代に始まり、日本では平安時代に広まったとされます。最初に屠蘇、次いで屠蘇と同じく生薬を使った白散(びゃくさん)と続くのですが、貴族の間では屠蘇か白散のどちらかを好みでという事も見られ、室町幕府では白散、江戸幕府では屠蘇が用いられてそれが庶民にも広まっています。
屠蘇散は長い歴史を持つ事から、多くの処方が存在しますが、烏頭(うず、トリカブトの事)が処方に含まれている事が多く、烏頭は使い方を誤ると猛毒でもある事から、下剤として使われる事もある大黄と共に今日では処方から外されています。
効き目の激しい薬効成分は除外されていますが、身体を暖め、健胃作用を持つ成分が使われている事から、一年の初めに行う健康法と言えるのかもしれません。
今日では家長や年長者から順にいただく事が習慣化されていますが、年長者からという順番は明治時代以降という比較的新しいもので、地域的な違いは考えられますが本来の正式なスタイルは、家族の中でも年若い者や位の低い者からという順番になっていたとされ、毒見の意味が含まれていたと考えられます。
烏頭の存在や毒見と言われると物騒な感じがしますが、言い伝えでは家族の一人でも御屠蘇を飲むと家族中がその年は病知らずとなり、家族中が飲めば一里四方に病がなくなるとまで言われるほど強力な邪気を払う力があり、長寿に繋がる物とされます。
熊本では名産の赤酒に屠蘇散を浸した物が御屠蘇とされる事が多いのですが、来年は古式に則り日本酒にみりん、屠蘇散という組み合わせにしてみようかなどと考えています。
第1395回 冷凍のすすめ
2009年12月28日
キノコは旨味成分のグアニル酸を多く含む事から、料理に加える事で味の角を取り、深みと円やかさを加えてくれます。菌糸類特有のしっかりとした食感やカロリーが極めて低い事、味が染みやすく、さまざまな料理に違和感なく使える事など、一株あれば重宝する食材でもあります。
最近では栽培技術が発達した事もあって、多くのキノコが手軽に入手できるので、常備しておけばかなり便利だとは思うのですが、キノコには消化酵素が含まれている事もあって、鮮度が落ちやすいという困った面も持ち合わせています。
食品を保存する場合、乾燥させて腐敗菌やカビなどの繁殖を抑えたり、塩を使って雑菌の繁殖ができない状態を作り出す、ビンなどの密閉容器に入れて外気と遮断する、冷凍して酵素や細菌の活動を抑え込むといった方法が考えられます。
キノコの場合、保存方法というと乾燥保存が思い浮かびます。特にキノコの乾燥は、天日干しにする事で旨味と栄養素のビタミンDが増える事から、お薦めの保存方法と言われています。
代表的なところでは乾燥シイタケが良く知られた存在で、生のシイタケを使うよりも水で戻した乾燥シイタケの方が味が良いとされ、乾燥シイタケの戻し汁はシイタケの旨味が豊富に含まれる事から、出し汁の一環としても使われます。
もう一つキノコのお薦めの保存方法があり、それはキノコからは連想しにくい冷凍という保存方法となっています。キノコを冷凍すると、キノコの鮮度を落とす要因の一つである酵素の働きを抑える事ができ、雑菌も繁殖しにくくなる事から、長期保存が可能になります。
また、キノコの細胞内の水分が凍り付く事で体積が膨張し、キノコの細胞を破壊するので、旨味成分の素となる核酸が細胞の外に出て旨味成分に変わりやすくなるという利点もあります。
キノコによっては冷凍によって若干、食感が変化する事もありますが、天日干しよりは気を使わずに冷凍庫にいれるだけなので、やりやすい保存方法かもしれません。思いの外、水分が多い事から、多すぎるように感じられる量を加えても問題なく料理を仕上げられる食材なので、基本は使い切ってしまう事なのですが、鮮度が落ちやすいという一面をもっているので、余ってしまったら冷凍保存もお薦めではあります。
第1394回 屈光測定
2009年12月25日
旬の食べ物、特に果物の出荷が本格化してくると、農協などの集荷センターで選別作業を行う様子がニュースで報道されます。その際、果物の出来を確認するために筒状の器具が使われている場面を見かける事があります。
果物の果汁を絞って薄いスライドガラスに付け、覗き込んでいる筒状の器具は糖度計で、果物の甘さを計測する事ができます。基準化されている訳ではないのですが、同じ果物ではあっても品種や収穫時期、産地によっても糖度が違う事から糖度計は出荷の目安となる糖度を測定する事に役立っています。
果汁という液体の中に溶け込んだ糖分を測定する事は、実は複雑で難しい事なのですが、水に糖分が溶け込む事で屈光率が変化する事を利用し、ショ糖の屈光率を元に液体中の糖分濃度を測定するという間接的な方法で糖度計は使われています。
一定量のショ糖を水に溶かして屈光率を測定し、目盛りを付けておけば同じ屈光率を示せば同じ糖度と判断する事ができます。ショ糖が基準とされている理由は、ショ糖がブドウ糖と果糖が結合して出来ている事によります。
光合成によって作り出されるデンプンはブドウ糖が多数結合してできており、デンプンが分解されるとブドウ糖になります。そのブドウ糖が転化酵素によって果糖に変わると甘味が強くなり、果物の甘さを引き立たせてくれます。ショ糖を基準とすれば、ブドウ糖と果糖が混在した量を測定できるという訳です。
注意しなければならない事は、あくまでも糖度計は糖分を計測する事を考えた物であり、ショ糖よりも屈光率が大きい塩分が含まれていれば、それだけ屈光率が大きく出る傾向がある事から、糖分が多いように見えてしまいます。簡易的な計測器具ではありますが、一つ持っていれば結構楽しいようにも思えてきます。果物売り場で果汁を測定する事はさすがに出来ませんが...。
第1393回 ゼロの意味
2009年12月24日
以前、世界的な穀物価格の高騰に繋がった事もあり、にわかに注目が集まったバイオディーゼル燃料(BDF)という存在ですが、同じ燃料としてディーゼルエンジンを稼働させておきながら二酸化炭素の排出量をゼロとカウントする事には、どこか不思議なものを感じてしまいます。
バイオディーゼル燃料はアルコールを触媒として穀物から採れる油脂を元に作られ、文字通りディーゼルエンジンを稼働させる燃料として使用されます。本来、ディーゼルエンジンは軽油を燃料として使用していますが、バイオディーゼル燃料は軽油と同等、もしくはガソリンの燃焼に関わる指標であるオクタン価に相当するセタン価が軽油よりも若干高い良質な燃料とされます。
燃料としてエンジン内部で燃焼される事から、当然二酸化炭素を排出する事となるのですが、バイオディーゼル燃料は原料となる穀物の生産時に二酸化炭素を吸収し、その二酸化炭素によって植物の油脂が作られ、燃料へと加工されている事から、二酸化炭素は循環しているだけで新たに排出されたものではないという考え方をします。
それに対し軽油などの化石燃料は、かつて化石燃料の元となった生物が生息していた時代、盛んな火山活動によって地球上の二酸化炭素濃度は今よりも大きかったと考えられ、その豊富な二酸化炭素が植物を大きく育て、それを餌にする恐竜達も豊富な食料にありつけていました。
大いに二酸化炭素を吸収した植物が枯れて微生物によって分解されたり、恐竜などの動物に食べられると植物に封じ込められた二酸化炭素は放出されてしまう事となりますが、分解されずに化石になってしまった二酸化炭素はそのまま地中に蓄えられていた事になります。
その二酸化炭素の貯蔵庫でもあった化石燃料を採掘し、燃焼させる事によって太古の昔の二酸化炭素を現代に解き放っている事となってしまいます。同じ燃焼によるエンジンの稼働でも循環の一環と、過去からの持ち出し分という違いが両燃料の評価を大きく分けていると言えます。
最近では食糧と競合せずにバイオディーゼル燃料の原料となる作物も研究され、バイオディーゼル燃料の地球に優しい一面は評価されてきています。かつて日本は世界的に優れたディーセルエンジンの技術を保有していました。欧米では環境負荷の低いエンジンとして評価が高いディーゼルエンジン。もう一度見直す日が来るのかもしれないと思ってしまいます。
第1392回 寝る子のために
2009年12月22日
以前、地球上の生物でいびきをかくのは、人間とライオンだけだという話を聞かされた事があります。食物連鎖の頂点にいないと、いびきによって自分が睡眠中という無防備な状況にある事を暴露できないからという理由からなのですが、人間とライオン以外でもいびきの話は聞かされた事があり、食物連鎖の頂点に君臨するものだけの特権という話は疑わしく思えてしまいます。
いびきというと勝手な思い込みから中年男性が思い浮かんでしまいますが、小児でも無縁ではなく、いびきによって閉塞性睡眠時無呼吸症が引き起こされている事も知られるようになってきています。
いびきの症状を持つ小児のうち20〜30%が実際に閉塞性睡眠時無呼吸症を経験しているとされ、大人同様に日常生活への影響が懸念されます。
現在、閉塞性睡眠時無呼吸症の検査には、病院に泊まり込んで行う睡眠検査が必要となっており、小児の場合、難しいものがある事も考えられます。
最近、閉塞性睡眠時無呼吸症の症状を持つ小児は、いびきの症状はあっても閉塞性睡眠時無呼吸症ではない小児、何の症状も持たない健康な小児と比べて尿中のタンパク質にいくつかの違いがある事が判ってきており、今後、さらに研究が進んで多くの検証が行われれば、簡単な尿検査で小児の閉塞性睡眠時無呼吸症の診断が行えるようになる事が考えられます。
小児の閉塞性睡眠時無呼吸症は認知障害や行動障害、心血管や代謝への障害が及ぶ事が考えられており、大人以上に重要な問題と捉える必要がある事が考えられます。寝る子は育つと昔から言われるように、子供達が質の良い充分な睡眠を摂れるようにしてあげたいものです。
第1391回 早期効果
2009年12月21日
相変わらず巷を騒がせている新型インフルエンザですが、治療薬としてはタミフルの存在が知られています。新型インフルエンザの流行が話題となり、感染爆発が心配された頃には品薄である事が懸念され、原料となるシキミ酸を含む中華料理で使われる香辛料、八角ウイキョウが高騰して中華料理自体の値段が上がるのではという話題にまでなっていました。
それがいつのまにか多量の備蓄を持つようになり、今では日本は世界一のタミフル保有国家となっていると言います。国民の健康を確保するために頑張ってくれた結果として有り難く受け止めたいと思うのですが、そんなタミフルの効果について疑問の声が上げられています。
タミフルはウィルスが増殖する働きを抑える事によって、インフルエンザの発症を未然に防ぐ作用を発揮するとされていました。そのため感染から72時間以内に投与する事が大事で、すでに自覚症状が出ているという潜伏期間を終えている事を考えると、有効とされる72時間は経過してしまっている事が考えられます。
それでもタミフルが有効とされる意味については、タミフルが肺炎などの合併症を予防する事ができ、インフルエンザの症状が重症化するのを防ぐ働きがあるとされていた事によります。現在、タミフルを使用する意味としては、この重症化を防ぐという部分が大きいのではないでしょうか。この重症化に繋がる肺炎などの合併症の予防効果については、有効性を示す明確な科学的根拠がないと言います。
タミフルの予防効果、治療効果、有害反応について検討が行われた臨床試験を分析した結果として、タミフルが基礎疾患がない成人のインフルエンザ患者に対し、合併症のリスクを軽減するという主張に関しては信頼性がないという結論に達しています。
過去のデータからタミフルを早期に投与する事で重症化を防ぐ事ができた事例は確認され、有効性が全くない訳ではないのですが使い方が限定される事が判ります。多量の在庫が今後どのようになるのか気になるところではありますが、副作用の話もある事から適切な処方を期待したいと思ってしまいます。
第1390回 銀と毒
2009年12月18日
以前、知り合いが銀のアクセサリーを手作りしていて、温泉地の売店に委託販売で置いてもらった事がありました。ひと月もしないうちにすべてのアクセサリーが黒く変色して返品されてきて、かなりがっかりしていたらしいのですが、銀の性質を考えるとそれも仕方のない事なのかもしれないと思ってしまいます。
最近では銀製のアクセサリーは表面をロジウムでメッキされた物が主流となってきていて、アクセサリーをしたまま温泉に入っても変色する心配をする必要はなくなってきています。
銀本来の性質としては、放置しておくだけで黒く変色してしまい、特に空気中に硫黄化合物が多い温泉地などでは顕著に変色してしまいます。
銀のそうした性質を利用したのが銀製のスプーンや箸で、中世の王族や貴族の間で暗殺される事を防ぐ目的から盛んに使われていました。当時、毒殺に盛んに使われていた砒素は、無味無臭の上に無色で見分けが難しく、少量でも毒性を発現する事から恐れられていました。
砒素自体が銀を黒く変色させる事はありませんが、砒素の精製には砒素と硫黄による化合物の硫砒鉄鉱が原料として使われ、硫砒鉄鉱から砒素を得る際は「亜砒焼き」と呼ばれる手法が使われていた事が考えられます。
亜砒焼きは硫砒鉄鉱を砕いて釜に入れて炊き、出てきた蒸気を冷却室に導いて冷えて結晶化する亜ヒ酸を取り出します。その際、当時の精製技術では精製の精度があまり高くない事から硫化物が混じっている事が多く、不純物が多い砒素を使う事で硫黄が銀を変色させ、銀の食器を使う事で毒殺を未然に防いでいた事が考えられます。
その後、砒素の精製技術も上がり、銀を変色させる事はなくなるのですが、砒素は検出が容易な事から毒殺の意図が判りやすくなり、愚者の毒とまで呼ばれて使われなくなっていきます。
それでも銀の毒を検知するという部分だけは信じられ続け、銀の食器は使われていきます。王朝料理が庶民によっても楽しまれるようになると、銀の食器も一般化し、毒とは無関係に定番化していきます。
今日では高価で変色などの心配がある銀とは代わり、銀色ではありますが頑丈で、安定性に富んだステンレスが使われてきています。銀からステンレスへ、毒殺が過去のものとなった事を象徴しているようにも思えてきます。
第1389回 昼食ニンジン
2009年12月17日
先日、立て続けに弁当についての考察を行いましたが、同じ弁当でも日米ではかなり趣が異なる事には、両国双方でも驚ろかされてしまのではないかと思います。
米国で弁当に相当するランチボックスの一般的形式としては、ピーナツバターのサンドウィッチとスナック菓子、ベビーキャロットと言われます。ピーナツバターのサンドウィッチとはパンにピーナツバターを塗ってサンドした物で、日本人の感覚ではサンドウィッチとは呼べない感じもします。
特徴的なのはベビーキャロットで、リンゴなどの果物に置き換わる事もありますが、専用の小袋入りの物が売られていて、そのままランチボックスに入れて食事時に生のままという姿を見かけます。
ベビーキャロットはその名の通り小さいニンジンで、食べやすい5cmほどの大きさでニンジン特有の臭みやくせが少ない事、控えめな甘さなどのいかにもオーガニックな味が人気となって広くランチとして携帯する食べ物として根付いています。
ベビーキャロットというとミニキャロットとも呼ばれ、生食にされる西洋種の小さなニンジンを思い浮かべます。大きくならない事から家庭菜園に限らず、インドアプラントとして室内での栽培例も増えてきていると言われるベビーキャロットですが、実は米国でランチで食べられているベビーキャロットはこの小さなニンジンとは別の物となっています。
米国でランチボックス内に携帯されているベビーキャロットは、姿こそ小さいニンジンではありますが元は普通のニンジンで、長さを5cm程度にカットし、角を丸くする事で小さいニンジンらしい形に整えてあります。
今日の普及状況を見ると歴史的に古い物のように思えますが、その歴史は意外なほど浅く、1986年にニンジン農家のユーロセク氏によって開発されています。
長年、曲がってしまったり歪なこぶができたりして出荷できないニンジンの廃棄に悩まされていたユーロセク氏は、歪なニンジンのまっすぐな部分だけでも商品化できないかと考え、冷凍食品会社と協力を重ねながら規格外のニンジンを細かく切る工夫を重ねます。
当初、サイコロやコインの形にカットされていたニンジンは、試行錯誤の末に長方形に切リ分けて角を落とす事でニンジンらしい形に整える現在の姿が採用されています。
その後の健康志向の盛り上がりもあり、ベビーキャロットは瞬く間に広まり今日の地位を得る事となるのですが、袋詰めされた生のニンジンと考えると、どうしても弁当とは結び付かないのは、私の感覚が日本の弁当文化に染まっているからでしょうか。
第1388回 安きに思う
2009年12月16日
世界的な景気の後退を受けて、オフィス街の昼食を取り巻く環境も変化を見せてきています。持ち帰り弁当のフランチャイズやコンビ二を中心に買われていた弁当の売れ行きに陰りが見られ、自分で弁当を用意するという人が増えてきました。
特にそれまであまり弁当を持参する事のなかった男性が弁当を持参するという、「弁当男子」と呼ばれる存在の登場は昼食の世界観を大きく変えてきているのかもしれません。
そうした節約ムードに対応するようにオフィス街を中心に弁当の低価格化が見られ、熾烈な弁当の安売り競争へと突入する様相を呈しています。
以前、昼食を何にしようかと迷っていた際、近くの公園へ行くと弁当を売るワゴンがたくさん来ていて、自分の弁当をアピールする声が楽しいと教えられた事があります。安売りの中心は、そうしたワゴンの販売業者が中心となっているようです。
懐事情が寂しくなる一方というニュースばかりの中、昼食を安く上げられるのは嬉しい限りではと思うのですが、最近、安売りを行う販売業者に対し規制を強化するという声が聞かれてきています。
多数のオフィスが集まる東京都の中央区では、お昼時ともなると弁当や惣菜を乗せたワゴンや机が多数並んでいますが、そうした販売行為は「行商」に当たります。都の条例では、行商は「人力で移動しながら販売する事」という規定があり、常に移動している事が条件となります。
移動中、立ち止まって良いのは商品や金銭の受け渡しの時のみで、「客待ち」は禁止されています。また、調理を現場で行う事ができないため、温かい弁当を販売する事もできず、人が一人で運搬できる量しか販売できない事になっています。
ワゴンで乗り付け、たくさんの弁当を販売したり、机を設置したり、その場で調理したりという行為は条例違反となってしまい、条例通りにでは現状のような販売方法は現実的に不可能となります。
弁当の行商については、すでに10年前から問題視する声があり、今回の規制強化についても地元の飲食店からの根強い反発があったと言います。家賃などの固定費が必要ない行商の販売業者と地元の飲食店では、原価という点で大きく土俵が異なる事から、安売りによって客足が遠のき、営業妨害に当たるのではという意見もあります。
これまで行商の定義が曖昧だった事が、規制の強化の妨げとなっていたとして、明確な定義が行われてはいますが、条例の厳格化、地元飲食業者の立場、企業努力を重ねながら熾烈な安売り競争に生き残りをかける行商業者、安売りを求める消費者。それぞれの立場が理解できるだけに、この問題の奥深さが感じられてきます。単純に顧客満足の追求だけでは解決しない、何とも複雑な問題だと痛感させられてしまいます。
第1387回 健全に宿る
2009年12月15日
健全な精神は健全な肉体に宿るという聞きなれた言葉は、実は3000年も前から知られていた事だそうですが、最近、新たにその事を裏付けるような研究結果が報告されていました。
若年成人期に心血管系が強いと知能が向上して学業成績も優秀な結果を示し、将来的にも成功に繋がる可能性が高い事が脳神経生理学的な立場から示されています。
これまで高齢者や小児を対象とした運動と認知機能に関する研究は行われてきていましたが、若年の成人期の若者についてはあまり研究が行われていませんでした。
今回行われた研究は非常に大規模なもので、1950年〜1976年に出生したスウェーデン人の男性1200万人を対象に、スウェーデン人に義務付けられている徴兵の際に情報を取得する形で行われ、それまでの学業成績や兄弟の数、社会的経済的な位置付けなどとの関連が調べられています。
その研究の中で明らかになってきた傾向として、心血管系の健康と知力の高さには明らかな関連性が見出され、筋力と知力の関連性は見られない事が判ってきています。
そのため、身体を鍛える際は筋力を増やす事に重点を置くよりも、心肺機能の向上を意識した有酸素運動を中心に行う事が、知力の向上にも役立つ事が示唆された事となります。
研究の対象には多数の双子が含まれていた事から、環境要因と遺伝という面からも心血管系や筋力と知力への関連性の調査も同時に行われ、結論として環境因子が大部分を占め、遺伝的な部分に左右されるのは15%程度に過ぎないとされています。
若年成人期は中枢神経系が発達を続けている時期であり、重要な行動習慣や認知機能が形成される時期でもあります。その時点での学業成績が少なからず後の人生に影響を及ぼす事は容易に想像する事ができ、心血管系が健康であれば脳への血流を良好に確保する事ができ、疲労の軽減によるやる気の向上など、多くのメリットが考えられます。
受験などの影響から運動のための時間が充分に確保できない時期ではありますが、運動と勉強のバランスを取る重要な時期であるという事ができるのかもしれません。
第1386回 伝染性あり
2009年12月14日
相変わらず新型インフルエンザの話題が巷を騒がせていますが、これまで感染や伝染とは無縁に思えていた事に伝染性がある事が報告され、場合によっては健康や生活の質といった部分に関連する事だけに、研究の内容について興味深いものを感じています。
その新たに伝染性を持つ事が判ってきた事とは「孤独」で、孤独な人は孤独な仲間を引き寄せる事によって他人を孤独にし、孤独を広げてしまうと言います。
一見、自己完結しているようで排他的とすら思える孤独は伝染するだけでなく、孤独感で引き寄せられた人が小さな集団として孤立する傾向がある事から、集団の中での孤独感の増大という傾向があり、孤独というものがあたかも病のように伝染し、症状を悪化させる事が示されています。
統計によると平均的な人は一年に約48日孤独を感じますが、孤独な人は常に孤独が付きまとう事が判っています。孤独を感じている人は数年後には友達がいなくなるか、絶えず友達を失い続けている可能性が高く、孤独である日数が増えるごとに近くの友達の孤独も増える傾向があります。
今回、孤独を感じる人が近くの友達と会う機会を減らす事が、コミュニティ内での人々が会う機会を減少させ、やがてコミュニティ全体に孤独が伝染するというメカニズムも解明され、男性よりも女性の方が孤独を感じやすい事も判っています。
孤独の伝染は、生活様式が周囲の人に影響されて似てくるために起こる可能性が考えられ、孤独な人に接する孤独ではない人は、他の人と比べてどことなく否定的な行動をとり、それがコミュニティ内の他の人を孤独にしてしまう事が3人先まで孤独が伝染する理由と考えられ、孤独な人の内向的な態度は、無関心や嫌悪、拒絶を示しているのではなく、コミュニティとの繋がりを求めている事を理解する事が孤独の伝染を防ぐとも考えられます。
孤独な人に接する場合、本人のみではなく孤独な人の友人にも働きかける事。孤独な人が社会的な繋がりを持てる活動を強化する事が孤独の伝染、拡大を防ぐと考えられます。孤独が社会の深い位置にまで広がってきているとされる昨今、今回の研究はよく理解しておく必要があるのかもしれません。
第1385回 弁当雑感(4)
2009年12月11日
日本を訪れた外国人に限らず、最近では個人のブログなどを通じて画像や内容が配信されている事もあって、日本の弁当は諸外国から高い評価を受けています。
特に近年、盛んになってきた絵的に弁当を盛り付ける「キャラ弁」の芸術性の高さは、それまでの和食の健康的な評価もあり、食へのこだわりや繊細な美意識が結実したものとして驚異的という表現さえ使われています。
弁当を魅力的に仕上げるためにかなりの時間とエネルギーが費やされ、しかも個人が毎日手作りで手が込んだ弁当を用意しているという事や、弁当の装飾性を高める理由の多くが開けた際に食べる人が喜ぶようにという相手への配慮、そのために弁当の内容が伏せられている事が多いという事も、食を巡る相手を思いやる固有の文化として評価されています。
茶懐石からの発展形として登場した松花堂弁当の装飾性とは大きく方向性が異なりますが、弁当内にキャラクターとなりえる物の存在を配するという工夫はウィンナーに切り目を入れてタコの形に成形したり、リンゴの皮の一部を残してウサギに見立てるという物がありました。しかし、それらは固有のキャラクターを示すものではなく、あくまでもワンポイントのアクセント的な物でしかありませんでした。
個人的に子供のためにかわいいキャラクターを表現した弁当が作られていた事は想像する事ができますが、さまざまな種類の弁当に関するレシピを記した料理本が出版されている中、弁当の飾り付けに目鼻が付ける事で一定のキャラクター性を持たせる作りが示されているのは、1997年5月に出版された「こどものかわいいおべんとう」が最初の物とされています。
弁当を食べようとして開けた際、子供が喜ぶようなかわいい盛り付けの工夫が行われていたという事はありえますが、今日、盛り上がりを見せているキャラ弁とは明らかに認知されているキャラクターを表現するという点において若干方向が異なってはいます。現在のキャラ弁の基礎となったのは、2000年3月に出版された「キャラクターいっぱいのおべんとう」とされ、アンパンマンやウルトラマンといった誰もが馴染みのある顔が登場した事が今日のキャラ弁の発展へと繋がっています。
キャラ弁の成立については、失われつつある日本固有の食文化が健在である事を示す例と言われる事もありますが、キャラ弁の普及に大きな役割を果たした個人のブログが、コミュニケーションが途絶えがちな子供との接点を求めてインパクトのある弁当を意図していた事を考えると、手放しに高い評価を喜べるものとは言えない感じもしてきます。食文化に関連したさまざまな諸事情が混在しながら成立したのが今日の多彩なキャラ弁と言え、華やかな見栄えの中にいろんな事情が混在していると言えるのかもしれません。
第1384回 弁当雑感(3)
2009年12月10日
弁当のメニューというと何が思い浮かぶでしょうか。近年は大手フランチャイズやコンビニエンスストアなどによって、さまざまなメニューが開発される事もあって、飛躍的に弁当のメニューは増えてきています。そんな弁当のメニューの中で、「海苔弁当」は定番メニューとして広く浸透しているように思えます。
弁当の専門店からスーパーの惣菜コーナーまで、さまざまな売り場で微妙に仕様が異なる海苔弁当を見かける事ができます。海苔弁当の構成要件は弁当箱にご飯を盛り付け、上に海苔が乗せられている事です。海苔とご飯との出会いは、おにぎりを海苔で包む事によっておにぎりに海苔の風味を加えるだけでなく、ご飯の粒が手に付きにくくなって食べやすくなるなどの利点を持ち、食物繊維、ミネラル、タンパク質といった栄養面での強化もできる事が考えられます。
海苔弁当も同様の発想からというよりも、単に弁当箱のご飯をおにぎりに見立てて海苔を乗せたという方が適切かもしれません。ご飯に海苔を乗せた事で海苔の繊維によって、箸でご飯を食べる際に一口分のご飯が取り分けにくいといった食べにくさが出てしまい、おにぎりのような利点は得られない事が考えられます。海苔の下には味付けされたカツオ節や細かく刻んだ昆布の佃煮が敷き詰められる事も、おにぎりの味付けからの派生と考える事ができ、平たく盛られたご飯におにぎりと同じような演出をした事が海苔弁当の始まりとも思えます。
海苔弁当の確立時期については定かにはされておらず、誰がいつ頃考案したのかは判っていません。少なくとも構成要件である弁当箱の登場以前という事はありえないので、安土桃山時代以降という事になり、今日のような板海苔の登場が江戸時代の中期となっているので、海苔弁当はそれよりも新しい物と言えます。
小説家の阿川弘之の著書の中には、「かつおぶし飯」と称した家庭料理が登場し、内容的に海苔弁当の事と判断する事ができる事から、大正から昭和の初期にかけてはすでに存在していた事が考えられます。
ご飯にカツオ節、昆布の佃煮と焼き海苔という基本の構成だけでは、海苔弁当の今日のような普及は見られなかったと考えると、海苔を乗せたご飯に添えられた揚げ物などのおかずの存在は欠かせない物と言えます。
今日、一般的に見られるようなご飯の上にカツオ節、昆布の佃煮、焼き海苔を乗せ、それに白身魚のフライなどの揚げ物、キンピラごぼうなどの煮物を合わせたスタイルの確立については、1960年代に登場した大手持ち帰り弁当のフランチャイズが果たした役割が大きい事が考えられます。
多彩なメニューの中で最も安価な価格帯の弁当として発売され、低価格でも充分に満足できるというお得感が好評を得て、広く知られるようになった事が全国的に普及し、海苔弁当の存在を知らせるきっかけとなっています。
いまでも多くの売り場で海苔弁当は低価格で満足のいく弁当として扱われ、低価格と満足感を両立させるために多めのご飯、ご飯に味を加えるカツオ節と昆布の佃煮、焼き海苔、揚げ物、煮物といったスタイルが必須となってきています。そのためカロリーが高いという指摘を受ける事もありますが、弁当としての一つの完成形のようにも思えてしまいます。
第1383回 弁当雑感(2)
2009年12月09日
弁当とは、食事に相当する携帯できる食糧と規定する事ができます。しかし、明らかに携帯するには不向きな内容でありながら、弁当の名前を持つものがあります。すでに和食のメニューとして広く根付いている松花堂弁当は、その代表的な存在ではないでしょうか。
松花堂弁当は内側に十字の仕切りが設けられ、高い縁を持つかぶせ蓋付きの弁当箱を用いて供される弁当の事ですが、それぞれの仕切りに刺身、焼き物、煮物、ご飯という配置が決められ、繊細な飾り付けや刺身といった生物の存在からも携帯には適していない弁当である事が判ります。
内容の構成から松花堂弁当は幕の内弁当との境目が曖昧な感じがしてしまい、実際、あまり区別がされていないような印象を受ける物もあるのですが、松花堂弁当は懐石料理から派生した料理であり、幕間の食事として本膳料理の流れを汲む幕の内弁当とは別系統のものであり、厳密には区別されるべき物である事が判ります。
また、幕の内弁当が江戸時代に成立している事に対し、松花堂弁当は昭和の成立という時代的隔たりも両者の違いを分けているように思えます。昭和に入ってからの誕生という歴史の浅い松花堂弁当ですが、松花堂という名前の成立は古く、江戸時代の初期に端を発しています。
江戸時代初期、石清水八幡宮の社僧であった松花堂昭乗が、農家が種を入れるために使っていた箱を見てその形状が気に入り、似たような形状の器を作って日常的な筆記用具などを入れて愛用したと言います。
昭乗が発案した器が時を隔てて弁当へと結びついていく背景には、茶の湯の存在があります。茶席ではお茶の他にお茶菓子や茶懐石といった食事が振舞われる事がありますが、茶室自体はお湯を沸かす以外の調理機能を持たず、家屋から別棟となっているといった特殊な状況下にあります。
そのため茶室で出される茶懐石には、敷地内であってもある程度の移動を想定した機能が求められる事となります。昭和8年頃、式部卿を代々務めてきた貴志宮家で茶席が設けられた際、大阪の料亭「吉兆」の創始者、湯木貞一が茶懐石の料理を命じられ、その際の器として昭乗が愛用していた十字に仕切りのある箱が渡されています。
十字の仕切りを持つ箱に料理を盛り付ける事で見た目の美しさを演出できるだけでなく、各料理のにおいが他に移りにくく、ある程度の移動も容易という利点を持っている事が考えられ、後に茶懐石のスタイルとして定着していきます。
昭乗の器が元になった事から、松花堂の名前が付けられたとされていますが、偶然にも茶席を催された茶室が「松花堂」であった事から、松花堂弁当の名前の由来は茶室にあるという意見もあります。
昭乗自身が十字の仕切りを設けた箱に料理を盛り付け、来客のもてなしに使った事が松花堂弁当の始まりとする意見もありますが、内容の構成やさまざまな文献から昭和の誕生とするのが正しいように思えます。
最近では伝統的な十字の仕切りをさらに細かく分け、盛り付けられる料理の品目数が多い物もあり、松花堂弁当の発展形として見る事ができます。あくまでも弁当としながら、すでに弁当の範疇を超えて独自の発展を見せる松花堂弁当。これも日本固有の食文化かもしれません。
第1382回 弁当雑感(1)
2009年12月08日
日本は優れた食文化を持った国だと思っています。その食文化の中でも「弁当」という食のスタイルに関しては、世界的に突出した先進性を持つものであると考えています。
単に食事を携帯するためのものという範疇を超え、栄養や見栄え、季節の表現など、内容的にも大変優れたものとなっています。中には弁当としてのスタイルを持ちながら、弁当の本質である携帯性が内容の充実を優先した事によって損なわれてしまっているという豪華なものさえ見られます。
日本で弁当がそれだけの発展を見せた背景の一つには、弁当が持つ歴史の古さを上げる事ができ、弁当の起源については平安時代にまで遡る事ができます。頓食(とんじき)と呼ばれていた携帯食は、主食であるご飯を固める事によって出先へと持ち運びやすく、箸を使わずに手で持って食べる事ができるという利便性を持ち、今日のおにぎりというお馴染みのスタイルがすでに確立されていた事が判ります。
また、頓食には炊いて調理したご飯を干して乾燥させる事で保存性を高めた「干し飯」、「糒」(ほしいい)と呼ばれる物も含まれ、小さな容器に入れて携帯されていた事が考えられますが、こちらは弁当というより非常食の色合いが濃い物ではと思えてしまいます。
当時からおにぎりの頓食を竹の皮で包んだり、竹や籐で編んだかごなどに入れていた事は充分考えられ、古典的な弁当のイメージと重ねる事ができますが、今日、見られるような弁当箱の登場は安土桃山時代の事となっています。漆で塗られた漆器の弁当箱が登場し、花見や屋外での茶会の席で利用される事で弁当としての一つの食のスタイルが確立されています。
人の移動が激しく携帯食の必要性が高かったと考える事ができる群雄割拠の戦国時代が、その集大成と言える豪華絢爛さで知られた安土桃山時代と共に終焉を迎え、天下泰平の江戸時代へと移り変わった事で弁当はさまざまな文化と融合しながら、多彩で優雅な発展を見せる事となります。
江戸時代に入り、藩政が強化された事で人の移動は制限されましたが、旅行や観光、芝居見物などが盛んに行われ、頓食を彷彿とさせるおにぎりを複数まとめて竹の皮で包んだり竹のかごに入れたりした「腰弁当」が持ち歩かれ、弁当の利用は盛んに行われています。
能や歌舞伎も娯楽として定着し、幕間に手早く席を移動せずに食べる事ができる食事として「幕の内弁当」が登場しています。幕の内弁当は簡便な腰弁当とは異なり、娯楽に伴う物という事で当時としては贅を凝らした作りとなっています。
弁当作りに関するノウハウ本の出版も相次ぎ、桃の節句や花見など屋外で行われるイベントも定着した事もあって、本の内容として弁当の調理法だけに限らず包み方などの演出方法も詳しく紹介され、弁当の発展が急速に進んだ事が伺えます。
江戸時代が終わって明治時代に入ると、学校教育の充実や鉄道の敷設、ワークスタイルの変化など、多くの要因が弁当の普及を後押しします。植民地を海外に求める時代を迎え、日本に併合された周辺諸国には弁当の文化が根付いている例が多く見られ、内容的なルーツとして駅弁の存在を上げる事ができます。
その後、大戦後の高度成長期を背景に弁当の大手フランチャイズの成立と発展を通して、弁当は多彩なメニューが開発され続けますが、歴史の古さ、時代背景による後押しといった要因以上に、日本の弁当発展の元となったのは日本の米、ジャポニカ米の存在があると考えています。ジャポニカ米は諸外国で主流となっているインディカ米と比べ、冷めても美味しく食べる事ができ、適度な粘りがある事から携帯に適した主食であったと言えます。最近は値下げ競争が激化しているという弁当ですが、あまり味気ない世界には入ってほしくないと思ってしまいます。
第1381回 鮮度の目安?
2009年12月07日
随分と昔、それはまだ私が学生の頃の事です。ランチには少々遅い時間に昼食の事を考えながら、すでに忙しい時間を終えて一段落した感のあるレストランに一人で入る事も躊躇われるので、とりあえず寿司でも買って帰ろうかと考えながら、持ち帰り専門の寿司屋に入った時の事でした。
入店すると正面にあるカウンターには誰も姿が見えず、奥の勝手口の辺りからおばさん達の声が聞こえてきます。何やら言い争っているようですが、聞こえてきたところでは店の人と魚屋さんが納入した魚について口論となっています。
店に人が言うには、かなり鮮度が落ちた魚を納入されたらしく、「あんな魚を持ってきて」と魚の質の悪さを指摘し、魚屋さんは、「そんな事はありません。市場で仕入れてそのまま持ってきました」と落ち度がない事を主張しています。
「そうは言ってもお腹から虫がいっぱい出てきました」店の人のその一言で大体の事が判った気がしました。魚をさばく途中、お腹に切り目を入れたところ大量の虫が出てきた事から、鮮度が悪く、虫が湧いた魚であったと判断されたようですが、鮮度の問題ではなく、虫が湧いていると思われたのは寄生虫のアニサキスの事だと考えられます。
アニサキスは回虫の一種で、サケ、サバ、アジ、イカ、タラなどの魚介類に広く寄生していて、最終的な宿主はイルカやクジラなどの水棲哺乳類とされ、海の食物連鎖に深く入り込んでいる事が伺えます。
人は海の食物連鎖とは関係ない事から、アニサキスは人の消化管に入り込んだところで成長する事はできません。そのためアニサキスを体内に入れてしまったところで寄生される事はないのですが、環境の違いから苦しんだアニサキスがその場を逃れようとして消化管の粘膜を食い破り、胃や腸の壁に潜り込もうとします。
消化管の壁に穴を開けられた際、激しい痛みを生じる事があり、小腸などの壁が薄い部位の場合、貫通されてしまう事さえあります。またアニサキスの体液に対するアレルギーもあり、過敏症によって胃や腸の壁に炎症が起こる事もあり、それらはアニサキス症と呼ばれています。
アニサキス症の治療は、アニサキスが胃粘膜に留まっているうちに内視鏡で取り除く事が望ましいとされますが、時間が経過して小腸などへ移動された場合や、痛みが激しい場合は開腹手術が行われる事もあります。
痛みがそれほどひどくないのであれば、アニサキスは本来の宿主ではない人の消化管内では長くは生きられない事から、経過を見てアニサキスが死ぬのを待つという事もあるそうですが、その際、内臓の検査に使われるバリウムが意外と効果を上げるといわれます。
アニサキスは宿主の魚が生きているうちは魚の消化管の中にいて、魚が死ぬと消化管から筋肉組織の方へと移動を開始する事から、アニサキスがお腹から出てきたという魚は鮮度が良かったという事が考えられます。
寿司に使われている魚の鮮度はよく判ったのですが、そのままそっと店を出てしまった事はアニサキス症の怖さゆえというところでしょうか。生食ゆえの怖さとも言えます。
第1380回 堅、健、犬?
2009年12月04日
初めて見た子供の頃でさえレトロな雰囲気を感じていました。それが今でもお菓子売り場で見かけるだけでなく、コンビニエンスストアで全国規模で売られ、一部に熱狂的なファンを持つ物、それが芋けんぴというお菓子の存在なのではないでしょうか。
芋けんぴは高知県の郷土菓子とされ、その名から推察できるように芋のけんぴなのですが、けんぴなる不思議な響きの言葉の由来については諸説があり、意外と古い言葉だとされています。
製法としてはシンプルなもので、細く切り揃えたサツマイモを油で揚げ、砂糖を絡めて仕上げられ、製法上、かりんとうの一種だと言えます。同様のお菓子はサツマイモの名産地である鹿児島でも見られますが、鹿児島ではかりんとうと呼ばれていてけんぴという名称は使われていません。
芋けんぴには芋堅干、芋健肥、芋犬皮といった文字が当てられ、それぞれに納得させられそうな由来を持っています。お菓子としての起源については、古い時代に伝えられた唐菓子から発展したという説や室町時代に明から渡来した点心の一つであったする説、江戸時代に高知の名産であった白髪そうめんや麩の製法を応用して開発されたとする説もあります。
けんぴについては、芋けんぴとはまったく異なる製法で作られる干菓子で、小麦粉と砂糖を水で練って切り分けた生地を焼いて仕上げられた物が存在し、高知にけんぴが根付いている理由については、慶長5年に掛川から移封された山内一豊がもたらしたとされています。
けんぴは堅い干菓子である事から堅干の名前が付いた事や、唐菓子の環餅(かんぴん)から発展した巻餅(けんぴん)が元になったとされ、三味線に使われていた猫の皮よりも薄い事から、犬の皮に喩えて犬皮と名付けられたという説もあります。
犬皮の文字が当てられた由来については別な説もあり、干菓子が殿様に献上するお菓子とされていた事から、ある日、殿様がお菓子を食べていたところ、家臣から「それはなんですか?」と尋ねられ、犬の皮であると答えて気味悪がらせてお菓子を独り占めしたという、どことなく「最中」の由来に似た話も残されています。その後、犬皮ではイメージが良くない事もあり、栄養価が高い事を指して健肥の文字が当てられたとも言われます。
俗説では、犬を食べる食文化を持つ隣国の韓国から犬の皮を油で揚げたお菓子が伝えられ、それが精進料理に採り入れられる際、犬の皮が小麦粉やサツマイモに置き換えられたというものもありますが、元となったけんぴの存在からもあくまでも俗説の域を出ないものと思われます。
芋けんぴについては、高知ではけんぴという干菓子の文化が存在していて広く根付いていた事から、サツマイモの普及に伴い、調理方法の一つであるかりんとうの製法が伝えられた際、細長い形状からけんぴの呼び名が付けられ、それが全国展開される際、細長い形状が広く浸透していたかりんとうよりも高知の郷土色を出していた事から、芋けんぴの名前がそのまま使われた事が考えられます。素朴な物だけに郷土色豊かな名前と共に、これからも息の長い根強いファンを持つお菓子として伝えられていくのではないでしょうか。
第1379回 普遍的経験論
2009年12月03日
時代劇を見ていると、病気の人に対して医師が真っ先に脈を診る行為をします。現代の感覚では脈動から心拍数を計っているように見えて、そこから何を知ろうとしているのかと考えてしまいます。
脈を診る行為は脈診と呼ばれるもので、伝統的な医療に端を発しています。日本の伝統医療は中国の古典的な医療の影響を大きく受けており、脈診もその一つに入ります。
脈はすべての臓器を巡回するものである事から、脈を知る事で臓器の状態をモニターする事ができると考えられており、3箇所の脈を3種類の深さという9種類の脈のパターンを読み取る事によって、体内の臓器の状態を判断していました。
現在の日本でも同じ考え方は継承されていて、主流となっている西洋医学とは異なる日本独自の流れを汲んだ六部定位診が行われていて、脈からさまざまな臓器の健康状態が判断されています。
脈診の元となった中国の古典的医学には四診という考え方があり、脈診は望診、聞診、問診、切診の中の切診に含まれ、身体を巡る経脈の拍動に触れて身体の状態を推測する診断方法とされています。病気の診断や治療後の経過を見る判定方法とされ、治療方針を作成する重要な要素となっていました。
脈診は大きく分けて比較脈診と脈状診の二つに分けられ、古い時代は三部九候診、人迎脈口診と呼ばれた比較脈診が主流とされ、時を経るにつれて脈状診が主流となってきます。
脈状診は手の寸口の脈に触れて、脈の状態から病状を把握するというもので、日本の六部定位診に通じるものがあります。六部定位診は手の寸口の脈のみで内臓(五臓)の状態を推察できる画期的なものとされ、経験論的な方法論としてさらなる発展を遂げ続けています。
病気の診断にあたって、外部から内臓の状態をモニタリングして病状を把握するというのは、CTスキャナを用いた検査などと発送を同じくするものと言え、基本となるものは普遍的であるという事と、最新の機器がない時代に積み重ねて確立された経験論的理論には驚かされるものがあります。
第1378回 健康退職
2009年12月02日
定年退職に対するイメージというと、突然、仕事から解放され、毎日が日曜日になるのは良いのですが、やる事がないので、急速に老いを加速させてしまうというものがあります。しかし、定年退職は逆に若返らせる効果をもたらすという、少々気になるレポートが報告されていました。
フランスの労働者1万5千人を対象に定年退職前後の最長7年間の健康状態に関する聞き取り調査の結果、定年退職を機に体感的な健康状態が改善し、平均的に見て8才ほど若返った感じがするという傾向があり、理想的な条件下で仕事をしていた極めてわずかな人以外のほとんどがそれに当てはまっていたと言います。
定年退職を間近に控えた高齢者にとって仕事が余分な負担となっていた事や、退職によって負担の影響から解放される事、悪条件下で働く人ほど負担が大きく、解放された後の健康状態の改善が著しく行われる事が示されていて、退職後は睡眠の質が上がる事も健康に大きく関係している事が考えられます。
今回の研究の舞台となったフランスは年金制度が非常に充実していて、定年退職後の生活の不安が少ないという事も結果に影響した事が考えられます。実際、年金制度が充実していない国では、定年退職による金銭面でのストレスから、退職の効果が打ち消されるという意見や、定年退職後、より雇用条件の悪い職場に再就職する事で、健康状態を悪化させてしまう事も考えられます。
定年退職と言うとかなり個人的な事のようにも思えますが、個人の健康に関わる部分などを考慮すると社会的な面が大きく関係している事も否定できないのかもしれません。長年頑張った後は、心静かに過ごしたいものです。
第1377回 白以外
2009年12月01日
塩の色と聞かれると、すぐに白が思い浮かんできます。調味料入れの中には真白い色の塩が常備されていて、一部の特殊な塩を除き、砂糖のように色が付いた物が普通に売られているという事はありません。
そのため塩の色は白と思いがちなのですが、実は白という色は塩本来の色ではありません。真白い塩の中から塩の粒を一粒取り出して注意深く観察してみると、塩には色がない無色透明である事が判ります。白く見えていたのは塩の粒の乱反射によるもので、純度が高い塩は透明、小さな粒が集まって乱反射した場合は純白、それが塩の色という事になります。
最近、さまざまなこだわりの塩が売られるようになり、その中には白以外の色をした塩を見掛けます。特に海洋塩よりも岩塩に多く、一見、鮮やかな鉱石のようにも思えてしまいます。
岩塩は地中から掘り出されるという採取方法からミネラルが豊富なイメージがありますが、地中で形成された塩の結晶である事から純粋な塩化ナトリウムに近く、ミネラルをはじめとした不純物をほとんど含んでいません。
また、ゆっくりと結晶が成長している事から、結晶自体が大きく、乱反射を起こしにくいので、高い透明度を持つ無色の塊が岩塩本来の姿と言えます。
そんな岩塩に色が付いている理由については、さまざまな理由を考える事ができます。色付き岩塩に多く見られる色としては、主に赤系の物が多く、中には鮮やかなピンク色を呈した物もあり、バラの花に喩えられる事もあります。
岩塩の赤系に色は、わずかに含まれる鉄分によるものが多く、地層中に含まれた微量の酸化した鉄分が赤い色を出している事が成分分析の結果からも推察する事ができます。鉄分は世界的にも広く分布している事から、赤系の岩塩の産出は比較的多くの地域で確認され、結晶が形成されて成長する際、鉄分が含まれていく量が微妙に変化する事によって、岩塩の色合いに縞模様が形成されている物も見られます。
青い岩塩も産出されていますが、岩塩の青い色は銅やシアン、コバルトといった天然の青い色の素となる不純物を含んでいるというよりも、岩塩自体の結晶構造の歪みによるものではないかと考えられています。
地中深くで塩の結晶が形成される際、または形成された後、高い圧力や天然の放射線にさらされるなどして、塩本来の結晶構造にわずかな歪みが生じてしまったために光の反射に変調が生じ、無色透明なはずの塩の結晶を青く見せているとされています。
海洋塩の場合、岩塩ほどには特殊な環境下で精製されない事や短時間で精製を終えられる事もあって、ほとんど色が付いた物を見掛ける事はありません。故意に色付けした物を除き、色付きの海洋塩としては薄い黄土色をした製品を稀に見掛ける事があります。
伝統的な製法によって作られた塩の場合、塩田の海藻や土壌からフミン酸が色素として入り込む事があり、それが黄土色の素となっている事が考えられます。また、釜焚きして仕上げる際、塩分による釜の錆が混入する事も海洋塩の色付きの素となる事もあります。
最初は真白だった塩が、徐々に赤や茶色に変化していった場合、塩分を好む「好塩菌」や「耐塩菌」の増殖と活動の結果という事もあります。塩の色一つにも奥が深いものを感じてしまいます。
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