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第1413回 どこでも温泉?     2010年01月29日

 最近、業務用の調理機械が進歩したのか、料理やサラダなどに温泉卵が添えられているのをよく見かけます。温泉地の旅館やホテルなどでは朝食や夕食で出される事はあっても、温泉とは関係のない地域にも展開されている全国チェーンのレストランや持ち帰り弁当のフランチャイズなどでは、温泉卵を日常的なメニューに加えるのは通常では難しいのではと思ってしまいます。

 温泉卵作りは一定の温度の熱源が得られる事が大切で、地下で高温に温められた温泉が湧いているという事は非常に適した環境と言えます。具体的には65〜68度くらいの温度の安定した熱源が得られるという事が必要で、68度付近に保ち続けるだけの熱を供給する安定した熱源さえあれば温泉地でなくても作る事ができます。

 温泉卵ができるメカニズムは、卵の白身と黄身が固まり始めるいわゆるタンパク質凝固の温度差にあり、黄身が固まる70度に対し白身が80度という10度の温度差が温泉卵の特徴的な仕上がりに関わっています。

 作り方は至ってシンプルで、68度に保温したお湯に卵を漬け、そのまま30分待つだけで、固めのゆで卵が15分もあれば充分に茹で上がる事を考えると、随分と長い時間のようにも思えるのですが、この30分という時間が一つのポイントとなっています。

 温泉卵作りに30分もの時間を必要とする理由は、68度という卵を茹で上げるには低すぎる温度を、卵の中心部までしっかり伝えるためで、卵全体が完全に68度になるのに必要な時間とも言えます。

 68度まで卵全体の温度が高められる事で、黄身はタンパク質凝固をはじめる直前の状態になり、白身のタンパク質はそれほど影響を受けていないという生卵とは違った、独自の状態を作り出す事になるのですが、火にかけた鍋では30分もの時間、68度に保ち続けるのが意外と難しくなっています。

 直接火にかけた鍋では温度管理が敏感すぎて難しくなるのですが、湯煎にする事で温度変化を緩やかにして作りやすくする事はできます。それにしても家庭で作るには、多少面倒なものを感じてしまいます。その点、業務用の調理器具であれば温度管理は簡単にできてしまうので、かつて温泉地の特産品のような物であった温泉卵も楽に提供できるのかもしれません。


 



第1412回 塩漬け     2010年01月28日

 子供の頃、母親がデパートのパン屋で見慣れない形のサンドイッチを買って来た事がありました。それまで馴染んでいたサンドイッチといえば、薄く切って耳を落とした食パンにハムやチーズ、卵などを挟んだ物だったのですが、そのサンドイッチはある程度の厚さに輪切りにされたフランスパンに切込みが入れられ、具材が挟まれています。

 特に違和感を感じたのは、レタスにキュウリといったいつもの野菜類と一緒になった赤いバサバサした感じの物で、明らかにハムの類の物ではなく、繊維質であるようにも感じられます。それが私にとって初めてのコンビーフとの出会いでした。

 コンビーフは正式にはコーンドビーフと呼ぶのが正しいのかもしれませんが、日本では広くコンビーフと呼ばれて親しまれています。コーン(Corned)はコーン状の粗塩の事を指し、コーンで処理された牛肉=保存用の塩漬け肉の事を指しています。

 日本では塩漬け肉はあまり馴染みのある食材ではありませんが、缶詰が売られているコーナーへ行けば必ずと言っても良いほど陳列されていて、買った事はなくても見た事はあるという人も多いのではないでしょうか。

 コンビーフが入っている缶は他の缶詰とは違い、独特な形状をしています。独特なのは形状だけでなく、開け方も缶の側面の部分を鍵のような金具を使って巻き取るようにして開缶します。

 缶の側面部分を巻き取って切り開くため、コンビーフに使われている缶は通常の缶詰の半分ほどの厚さになっています。缶切を使わずに済むという点では便利とも言えるのですが、最近の缶詰はプルトップで簡単に開けられる事から、少し時代に取り残されている感じもしてしまいます。

 コンビーフの缶が昔ながらの開缶方法を採用し続けている事には理由があり、中身の形状を保ったまま取り出す事ができるようにという配慮がなされています。

 また、他の缶詰とは異なる台形の缶の形状は、かつて手作業で詰め込み作業が行われていた頃の名残とも言われ、保存性を高めるために空気を抜きながら充填する作業がやりやすいように工夫された形状となっています。

 当初は側面からの圧力に強い丸い断面の缶が採用されていたそうですが、軍隊の食料として採用された際、断面が四角い方が運搬には効率が良いという事で、中身が取り出しやすいという事もあって現在のような四角い断面の台形の缶に落ち着いています。

 コンビーフの缶の横に似たような缶に入った姉妹品のニューコンビーフなる物がありました。原料に馬肉が加わる事で脂身が少なくなって赤身の比率が高く、価格も低い事から私的にはこちらの方が好きだったのですが、JAS(日本農林規格)による表示の適正化が図られるようになってからはコンビーフの名前が使えなくなり、ニューコンミートと表示されるようになってしまい、同じ物なのですがどことなく美味しくなさそうに感じられてしまいます。

 コンビーフの派生商品としては、ニューコンビーフの他にコンビーフハッシュなる物があります。ほぐしたコンビーフと細かく切ったジャガイモが混ぜ合わされた物という事で、そのままサラダに使えそうな感じがする食材なのですが、日本では沖縄でしか売られていないという事で、いまだに現物に出会った事がありません。

 こちらはジャガイモが入る事でコンビーフには該当しなくなり、ニューコンミートと同じようにコンビーフの名前が使えない事となります。牛肉野菜煮と表示されるらしく、ニューコンミートよりも気の毒なものを感じます。長い歴史と独自の立ち位置を持つコンビーフだけに、いろいろな事情を抱えているようにも思えてきます。


 



第1411回 カビの対処     2010年01月27日

 最近は鏡餅と言っても餅その物を飾るというよりも餅の形をした樹脂製のカバーに、小さく小分けされた餅が入った物を飾るご家庭も増えたのではないでしょうか。

 そうした鏡餅は当然樹脂製なのでカビが生える心配もなく、中身の小分けされた餅も脱酸素材が封入されている事から、長期間に渡って品質を良い状態に保つ事ができて安心できます。鏡開きがきたら文字通り下部の蓋を開いて、中の餅をいただく事となります。

 便利な樹脂製の鏡餅が普及する前というと、鏡餅用に作られた大きさの異なる餅を重ねて飾り付けをしていたのですが、年末頃から鏡開きまでの間、暖かい室内に飾り付けられていた餅の表面には当たり前のようにカビが発生していました。

 餅はもち米を突いて作られますが、突く事によって適度に細胞が破壊されて栄養価が高く、水分をほど良く含んでいてカビには格好の培地となります。

 カビが生えてしまった餅は食べる事ができないかと言うとそうでもない部分があり、諸説があって判断に困るものがあります。高齢の女性には餅に生えたカビを「ペニシリン」と称して、危険性はないといった発言を聞かされる事がありますが、絶対にそうかというと少々疑問も残ります。

 餅に生えるカビは空気中に飛散しているものがほとんどで、大半は無害なもので占められています。代表的なところではコウジカビ、アオカビ、クロカビ、アカパンカビ、ケカビ、カワキコウジカビなどで、クロカビを除いて発育には酸素を必要としています。

 カビの菌糸は思いの外、深い部分にまで伸びているので、カビが生えた物は内部まで危険という意見を聞きますが、カビの発育に酸素が欠かせない事から、程度の問題はありますがそれほど深い部分にまでは菌糸を伸ばせないという事も考えられます。

 経験的に行われてきたところでは、餅にカビが生えてしまったら、カビが生えた部分を削って食べるとされてきました。多くの場合、餅に生えるカビは無害な物が多い事から、カビを削り、固くなったのを水に漬けるなどして補ってきたのですが、絶対にそれで大丈夫かと言われると、少々不安が残ってしまいます。

 カビなどの菌類の同定は専門家でも一目で行うのは難しく、専門的な知識や顕微鏡すらない個人の台所で餅に生えたカビを分析するのは困難な事です。カビの中には発ガン性をはじめとした毒素を作り出す物もあり、素人目にはチーズなどの熟成に使われるアオカビなのか、強力な発ガン性を持つアフラトキシンを作り出すコウジカビなのかを見分ける事はできにくいと思います。

 発ガン物質に関しても、餅に生えたカビを削った後は極めて微量しか残されないので、毒性を発揮するには充分ではないという意見もあり、判断に迷ってしまいます。

 結局のところカビの状態や削り方など、個人差が大きく関わってしまうので、大嫌いな言葉である自己責任という事になってしまうのですが、経験的に行われてきたところでは、カビが生えた部分を多めに削るというのが大切な事となってくるのかもしれません。


 



第1410回 鍋の魔法     2010年01月26日

 カレーやシチューなどは、コトコトと時間をかけて煮込む事で美味しくなると言われます。調理したその日よりも、温め直しをした次の日の方が美味しいと言われる事も多く、それを念頭に早めに作っておいて寝かせておくという事も行われています。

 時間をかけて煮込む事で何故美味しくなるのか。煮込んでいる間に何が起こっているのかと、少々気になってしまいます。煮込む事で素材が柔らかくなり、旨味が出てくる事は考えられます。旨味はその他の味の感受性を上げて微妙な味を感じやすくし、強すぎる味の角を取って味を円やかにしてくれます。それ以外にどのような事が起こっているのでしょうか。

 しっかりと煮込むとコクが出てきます。このコクは料理に含まれる水分と油分が結合するという、乳化作用によって作り出されています。水と油が結び付くには通常は界面活性剤が必要になりますが、食物繊維やタンパク質などによっても代わりをする事ができ、煮込む事でより乳化作用が強まる要因が増えていきます。

 煮込んでいくと素材の組織を繋いでいるコラーゲンが溶け、鍋の中の水面へと集まってきます。同じように水面付近に集まってきていた油分と純粋なタンパク質であるコラーゲンが出会う事によって、油分のタンパク質を仲立ちにした水分との結合が起こります。

 その際、効果を上げるのが気泡が破裂する際に発生する超音波と言われ、煮込み料理に使われる鍋は開口部がそれほど大きくなく、深さがある寸胴鍋を使う事や、火力を小さくして沸騰によって鍋底から発生する泡を細かくするという工夫が行われています。

 また、素材が煮崩れていく事を通して食物繊維、特に水溶性の繊維が油分と結び付き、水分に溶け込みやすくなります。煮込んでいくうちに余分な水分は飛び、同時に素材の臭味も飛んで、味わいは濃厚になります。ある程度時間をかけて煮込んだ後、火を止めて寝かせる事になりますが、素材は冷えていく際に味が染みていく事から、具材に味がしっかりと染み込んでいき、料理全体に調和が取れていきます。

 そうした変化の後に温め直すと、前日よりも数段美味しくなっている事に気付かされてします。おとぎ話などでは、夜中のうちに鍋の精によって魔法が掛けられるという事になるのですが、確かに水と油を結び付け、美味しさを作り出すのは魔法と言えるのかもしれません。


 



第1409回 緑黒赤白     2010年01月25日

 その実は少なくとも3年以上育てた木から収穫され、緑は未成熟のうちに摘んで漬け、黒は未成熟のまま乾燥。赤は熟してから収穫して乾燥し、白は熟した実を8日間ほど水に漬けて乾燥させる。と言われると何の事かと考えてしまうのですが、身近なコショウについての説明となっています。

 コショウは世界中の飲食店で、塩が入れられた容器の隣に添えられていると言われるほど広く普及し、よく知られたスパイスとなっています。

 今では安価な調味料となっていますが、かつては非常に高価であった事が知られ、もしタイムマシンが手に入り、中世のヨーロッパへ行けるとしたら、事前にスーパーに行ってコショウをたくさん買って行って、大儲けするという事を考えた人は少なくないはずです。

 コショウの歴史は2500年とも3000年とも言われ、少なくとも紀元前500年前のインドにはルーツとなる物があった事が確認されています。

 インドからヨーロッパへ伝えられたコショウは、肉を腐らせない貴重な香辛料とされ、東へと向かい中国へ伝えられたコショウは漢方薬の原料となっています。

 当時は現在の丸い実のコショウではなく、麦の穂のような「長コショウ」が主流であったと考えられ、今日主流となっているコショウよりも辛味や香りが強かったとされます。有名な金と同じ重さで取引されたのは、この長コショウだと言われます。

 今日、長コショウをコショウとして使う事はほとんどありませんが、カレー粉の中に含まれ、大切な辛味の素となっています。

 冒頭のコショウの種類についてですが、一般的に見かける4種類のコショウの違いは収穫時期と加工方法によって作り出されています。

 緑色のグリーンペッパーは、実が未成熟なうちに収穫し、色が変わらないように乾燥させずに塩漬けや酢漬けにして加工します。実が柔らかく香りも弱めですが、辛味が強く、粒のまま生食される事もあります。

 また、漬け込まない乾燥物のグリーンペッパーは、未成熟な実を収穫し、色が変わらないうちに凍結乾燥などを使って急速に乾燥させて、緑の色合いを残しています。

 ブラックペッパーは、実が未成熟なうちに収穫して乾燥させた物で、皮もそのまま挽いて使う事で香り、辛味も強く、コショウというスパイスの個性を存分に発揮してくれます。

 ピンクペッパーは、実が成熟するまで待って収穫したもので、完熟した赤い色が特徴となっています。収穫後、そのまま塩漬けにして加工されていますが、ピンクペッパーと呼ばれるスパイスには他の物が使われている事があり、コショウに似た風味と苦味を持つコショウボクの実や酸味と渋味がある西洋ナナカマドの実が使われている事もあります。

 コショウボク、西洋ナナカマド共に辛味成分を含んでいないので、ピンクペッパーを見掛けたら味見をしてみて、コショウの辛味を感じなかったらそのどちらかと考える事ができ、渋味か酸味かで判断する事ができます。

 白いホワイトペッパーは、収穫した後に乾燥させ、水に漬けて皮を柔らかくして外皮を剥き取る事で、コショウ特有のクセを少なくしてマイルドなさまざまな料理に合うような加工が施されています。

 最近ではペッパーミルを常備して挽きたての香りを楽しんだり、用途に合わせて使い分けたりという利用法も増えてきています。市販の粉状のコショウにはソバ粉を混ぜて増量し、辛さを調節した物も見られます。ペッパーミルを用意して、純粋なコショウを楽しむというのも食の楽しみ方の一つかもしれません。


 



第1408回 甘い誤解(後編)     2010年01月22日

 砂糖が悪者視される風潮は長く続いていて、使用をできるだけ控えるという傾向はさまざまな場面で見られています。その事を示すように、砂糖の消費量は年々右肩下がりで確実に減少してきています。

 目に見えて減少する砂糖の消費量の下降線と似たような角度で、逆に上昇を続けて増加を示す、砂糖の消費量と反比例して増加を続けているものがあります。それは糖尿病の患者数で、砂糖が直接の原因のように言われる糖尿病が、意外と砂糖との関連性は低いかもしれない可能性を示しています。

 生活習慣病と砂糖については、欧米と同じ上白糖を使うようになってから、欧米と同じような生活習慣病を中心とした疾患が増えたという意見もありますが、厳密にはそれも正しくはなく、日本では圧倒的に主流となっている上白糖ですが、使っているのは日本とアジアの一部だけで、欧米をはじめとした世界の多くの地域ではグラニュー糖が主流となっています。

 上白糖、グラニュー糖は共に分蜜糖と呼ばれる蜜分を取り除いた砂糖で、蜜分を含む含蜜糖の黒砂糖と比べるとミネラル分が少なく、その事が不健康な状態に繋がるという言い方もされます。

 砂糖はあくまでも調味料であり、その物を摂るというより何らかの食材に味付けをしてその食材を美味しくする物という事を考えると、砂糖に含まれるミネラル分の違いくらいで不健康な状態に陥るのであれば、日常的に使っている食材の方に問題があるとしか言えません。

 また、砂糖は吸収が早い栄養素なので、速やかに血液中に入って血糖値を上げる事で気分を高揚させ、分解も早い事から気分を急速に落ち込ませてしまうので、すぐに新たな糖分がほしくなるという依存体質に陥ってしまう。

 気分の高揚と下降の短時間での繰り返しによって精神面では疲労が蓄積する事となり、砂糖の使用が精神的に疲れた無気力でキレやすい人を作り出しているという意見もあり、このあたりに至っては妄信的に砂糖を悪く思うあまり、砂糖と麻薬の区別が付かなくなったこじ付けとしか思えません。

 吸収の早さという点では二糖類の砂糖よりも単糖類のブドウ糖や果糖の方が早く、吸収率も高くなっています。日常的に砂糖を多く摂取するよりも果物を多く摂る方が、無気力でキレやすくなる傾向を作り出すという事になるのですが、そのような意見に出会った事はなく、砂糖に否定的な人にも果物は高く評価されている場面を多く見かけます。

 砂糖を否定する際、真っ先に言われるのが砂糖は血液を酸化するというもので、どのようなメカニズムによって砂糖が血液を酸化するのか、いまだに理解できない事となっています。

 砂糖を溶液に溶かしても中性であり、砂糖が分解されて最終的な栄養素となるブドウ糖となっても中性の状態を示します。その状態で血液を介して体を巡り、各器官でエネルギーとして燃焼される際に酸化が起こる事が考えられます。

 その際の燃焼=酸化と言うのであれば血液を酸化すると言えなくもないのですが、この酸化が起こらないという事は栄養的価値がないという事になり、三大栄養素の一つ、糖質の存在意義自体を否定する事となってしまいます。

 多くの誤解から不健康な物というイメージが付きまとう砂糖ですが、言われているほど人を病へと導く物ではなく、大量摂取を推奨するものではありませんが、適度な良い関係を築いていくべき物ではないかと思います。少なくとも社会を悪くしている物でない事だけは判って上げたいものです。


 



第1407回 甘い誤解(前編)     2010年01月21日

 甘党だからという訳ではないのですが、砂糖は数種類を常備していて、用途に合わせて使い分けています。最近ではさまざまな種類の塩が増えて、こだわりの塩を使い分けるという方は増えていますが、砂糖はあまりそういった意見を聞きません。

 砂糖にはあまり良いイメージがない事から、用途に合わせて使い分けるというより、使用量を少なくするという事の方に関心が寄せられているようにも思えます。

 砂糖については多くの否定的な意見が実しやかに語られていて、中には白い砂糖は薬品を使って漂白しているという意見まであり、その人達は本当に白く見えている砂糖の色は白と思っているのかと不思議になる事もあります。

 上白糖やグラニュー糖などの白い砂糖は塩も同じですが、粒を一つずつ観察してみると、結晶質の無色透明である事が判ります。小さな粒がたくさん集まって乱反射している事で全体が白く見え、砂糖を白い存在として見せていて漂白している訳ではなく、砂糖の結晶を大きく成長させた氷砂糖と同じような感じと思えば良いかもしれません。

 また、砂糖は非常にカロリーが高く、肥満に直結するという意見もあります。砂糖のカロリー数は1gあたり4kcalで、身近な単位としてスティックシュガー1本(5g)では20kcalになります。一日に10杯のコーヒーを飲み、その都度1本のスティックシュガーを使うというだけで、かなりの砂糖を摂取し、肥満に繋がっているように感じられます。

 単純に計算すると10杯のコーヒーで200Kcalが砂糖から摂り込まれますが、人の体重を1kg増やすには7000kcalが必要とされ、全然足りない事が判ります。砂糖だけで1kgの体重を増やすには1.8kgも摂らなくてはならず、市販されている砂糖2袋という膨大な量を用意しなくてはならなくなります。

 意外と思われそうですが、低カロリーという言い方もできてしまいそうな食品でもあり、脂質、タンパク質と並ぶ身体の三大栄養素となっているのが砂糖だと言えます。


 



第1406回 加工と名称     2010年01月20日

 元禄、天削、利久、丁六、小判と意識していなかった事ですが、意外なほど種類がある事に驚いてしまいます。形状に応じて名付けられた割り箸の名前で、経験的に製品名として記載されているのを見た事があるのは、せいぜい元禄くらいのものでしょうか。

 相変わらず誤った認識からエコではない物として悪者視されている割り箸ですが、使用、未使用を一目で見分けられる清潔性や食べ物をより確実に保持できる利便性、丈夫で食品をしっかりと保持する堅牢さも持ち合わせる優れた物でもあります。

 そんな割り箸の種類を示す言葉として、元禄は最も親しみのある形状を指し、四方の角を落として四角い中にも角のない状態を作り出しています。割れ目の部分にも溝を入れる事で箸の断面は四角形というより八角形になっていて、使っていて角張った印象を与えない気配りが感じられます。

 天削は箸の持ち手側の端を斜めに削ってある物で、箸置きや食器に立て掛けた際にも転がって倒れてしまうという事がありません。元禄よりも一手間かけてあるだけあって、箸の先端部を丸く削るなどの加工も見られ、元禄よりも若干大きい製品が多いようにも感じられます。

 利久は両端が細く削られた物で、最も太い部分が真ん中にくるという特徴があり、どちらが先端なのか迷ってしまう事があります。茶人の千利休が考案した卵中と呼ばれる箸の形状を元に作られた物で、両細の形状が独特の優しい雰囲気を出しています。

 利久の名前は考案者の千利休からきているのですが、利休と書かないのは「利を休む」という文字になってしまう事を嫌っての事とされ、由来から利休と書いても間違いではないとされます。

 丁六は最もプレーンな作りの割り箸で、先端が細く、手元が太い長細い台形に木材を成型した後、割れ目の切込みを入れただけの物で、面取りが全くされていないという割り箸の基本形とも言える物となっています。

 小判は丁六に一手間を加え、元禄に一手間足りない物という感じで、四方の角を落として面取りがされてはいますが、割れ目の部分の溝がなく、断面を見ると六角形になっています。四方の角がない分、手に取った際は手に馴染む感じがしますが、使っているうちに箸が回転してしまうと丁六と変わらない状態になってしまいます。

 使い捨ての最たる物のように言われてしまいますが、細かな部分への工夫と気配りが行われ、微妙な違いに名前まで存在するあたり、割り箸と言う存在は一つの文化のようにも思えてしまいます。


 



第1405回 リンの危機(後編)     2010年01月19日

 私達の日常生活や生命活動に欠かせないリンは、その多くを鉱石の形で採掘によって得ています。リン自体はそれほど特殊な原料ではなく広く使用されている事もあって価格は安く、そのために安価なリンを供給するには大規模な採掘を行ってコストを下げる必要があります。

 世界的にリンを含むリン鉱石は珍しくなくても、工業原料としてのコストに見合うだけの採掘量を供給できる鉱山となるとその数は限られてしまいます。

 国土の多くが山地の日本ですが、残念な事に充分なリン鉱石を採掘できるだけの埋蔵量を持つ鉱山はなく、海外からの輸入に頼っているというのが実情です。

 最近、世界の主要な鉱山のリン鉱石は掘り尽くされつつあり、採掘量の減少による経済的寿命が言われるようになってきています。このままの採掘を続ければ、早くて50年、遅くとも130年後にはリン鉱石をコストに見合った状態で採掘する事ができなくなってしまうと言われています。

 50年も後となるとずいぶんと先のように思えるのですが、問題はそれほど先に起こるものだと言えない部分があります。リン鉱石の経済的枯渇が現実的になった事で、これまでは大して見向きもされなかった投機的価値が生じてくる事が予想されます。

 原油の産出量が限界を超えたとする不確かなピークオイル論や中東の政情不安、途上国の発展による需要拡大を口実とした投機マネーによる原油価格の高騰は記憶に新しい事ですが、同じ事がリン鉱石にも起こる事が考えられ、石油に代わる燃料としてバイオエタノールの必要性を口実にした穀物相場の操作が行われれば、合わせて肥料の原料となるリン鉱石の相場も高騰する事も考えられます。

 完全なる枯渇ではなく、あくまでも経済的な採掘の限界を迎えるまでに50年。それは決して短い時間ではなく、その間に新たなリンの採取方法を探したり、もっと効率の良い採掘方法の開発、リサイクルなどこれからできる事はたくさんあります。

 落ち着いて対処すれば原油や穀物のような事は起こらないと思えるのですが、すでに最大の輸出国である中国の禁輸、続くアメリカの輸出制限、ロシアの不安定な産出。マネーゲームに発展する要素は充分見られています。

 リンは肥料の主要な成分でもあります。入手が困難となると、化学肥料に頼り切った日本の農業が受ける打撃はかなりのものになる事が予想されます。それでなくても低い食料自給率。食に対する不安を感じずにはいられません。


 



第1404回 リンの危機(前編)     2010年01月18日

 リンは漢字では燐と書き、化学記号はPで表されます。1668年に錬金術の実験中に発見され、ギリシャ語の「光を運ぶもの」という意味の言葉、フォスフォロスからリンの学名であるフォスフォルス(Phosphorus)が決められ、頭文字のPを使って化学記号とされています。

 初めて接したリンという存在はマッチの材料として使われていたもので、赤リンが使われていました。マッチ箱の側面に設けられた褐色のざらついた部分に勢い良く擦り付ける事で発火するのですが、同じ動作をしながら映画の西部劇などではどこに擦り付けても発火する事が不思議で、真似をしても火が着かない事に納得がいかないものを感じていました。

 後に知る事となるのですが、古い時代のマッチには現代のマッチの赤リンとは違う黄リンが使われていて、発火性が高い黄リンだったからこそ、どこに擦り付けても一定の温度を摩擦熱で発生させれば発火していたという事が判ります。

 黄リンは発火点が低く、腐食性があるので、当時のマッチはポケットの中で自然発火したり、直接触れた人の皮膚を侵食したりというトラブルを起こしていました。それが赤リンに置き換えられる事で安全性を確保されマッチをより身近な存在にしてくれています。

 同じ頃、身近な科学を題材にした本で、昔話に出てくる火の玉(人魂)はリンが燃えているという内容を目にしました。かつては現在のような火葬が行われず、土葬がほとんどであった事から骨などに含まれるリンが溶け出し、大気中で自然発火したものだと書かれていたのですが、子供心にも既存の科学の範疇で未知の世界を説明するのは無理があると思わせるものとなっていました。

 その後、リンについて知るのは、生物を学ぶ中で骨を作るリン酸カルシウムやリン酸マグネシウム、エネルギー代謝に欠かせないÅTP(アデノシン三リン酸)、神経の伝達を司るリン脂質などの存在に出会い、リンの重要性を知る事となります。

 特にエネルギー代謝ではATPがADP(アデノシン二リン酸)となって、リンを一つ放出する際にエネルギーが生み出され、私達はそのエネルギーで動いているという事がリンの重要性をより高いものとして認識させてくれます。

 他にもリンは水と油を結び付ける働きをする事から、界面活性剤として機能する物として洗剤の主要成分の一つとなっていました。リンを多く含む生活排水が海に流れ込んだ事が、植物プランクトンの異常活性を促し、赤潮に繋がったというニュース目の当たりにし、リンを安直に扱う事の危険性も認識されられました。

 植物においてもリンの存在は欠かす事ができず、リン酸、カリウム、窒素は主要な肥料の成分となっていて、農業という分野でもリンは重要な意味を持ち、リン酸エステルという形で殺虫剤にも使われています。

 健康分野でもリンは重要な成分であり、卵や大豆の有効成分の一つとして知られたレシチンもリン脂質というリンの化合物となっています。逆に健康を害する物にも使われ、その代表としてあまりに有名になった化学兵器、サリンもリンが主要な成分となっています。

 このようにリンは私達の身近なところに存在し、日常生活や生命の維持に関わる極めて重要なものとなっています。そのリンに今、大変な事が起ころうとしています。


 



第1403回 労働実態     2010年01月15日

 ピラミッドの建設というと、切り出された大きな四角い石を何人もの奴隷達が結び付けられた縄を引いたり、後ろから押したりして運搬し、その石材の上に乗った監督官が鞭で奴隷達を打ち付けているという図が浮かんできます。

 一人分でも重量が減った方が運搬が円滑に行われる事から、少なくとも監督官は石から降りれば良いのにといつも考えてしまうのですが、広く定着した奴隷労働による建築の図式は間違いである事がさまざまな資料から示唆されてきています。

 先日、新たな発掘調査でピラミッドの建設に関わった人達は、王の墓であるピラミッドに近い場所に埋葬されていた事や王の友人と称されていた事、租税を免除されていた事が判っています。

 また、ピラミッドの周辺から見付かった落書きには現代の労働組合に相当する機能を持った組織や、仕事を進めるためのチーム編成があり、チームには名前があった事。10日を一つの単位として10日に1度の休日があった事や、国から給料が支給されていた事が判っています。

 そうした多くの資料の存在からピラミッドの建設は、大規模な工事によって雇用を創出する公共工事ではなかったのかという説が提唱されています。

 エジプトの大河、ナイル川は毎年のように氾濫し、農地を水没させてきました。畑が水に浸かってしまい、農作業ができない農民に公共事業としてのピラミッドの建設に携わらせる事で職を与え、失業対策を行ったというのがピラミッド建設の主な理由という推察が行われています。

 一見もっともらしく思えるのですが、農業という仕事のスタイルを考えた場合、作物を育てて収穫する事で収入が得られるので、肥沃な土を運んできてくれるナイル川の氾濫は農耕の準備期間と見る事ができ、収穫期に得られた収入で次の収穫期までの生活を行うので準備期間は失業している訳ではなく、雇用対策を施す必要性がない事が考えられます。

 最近言われるようになってきたところでは、ピラミッドの建設は太陽神信仰の布教の一環として行われたというもので、ピラミッド建設が行われていた古王朝から中王朝にかけて、太陽神への信仰は一つのピークを迎えている事にも符合します。

 王の力を誇示するために奴隷達を強制労働させる事で作り上げられた巨大建造物というよりも、信仰によって駆り立てられた群集によって作られたモニュメントというピラミッド像がよりリアルなように思えます。ニンニクを現物支給して労働者の体を気遣ったという有名なエピソードからも、建設が奴隷労働によるものではなかったと考える事ができるのではないでしょうか。


 



第1402回 深海の危機     2010年01月14日

 新型インフルエンザの患者数の増加に陰りが見られ、感染拡大が一段落したのではという報道に、少々安心するものを感じます。世界的な感染爆発が懸念された今回の流行では、思わぬところにまで影響が及び、大変な事を引き起こしています。

 その思わぬところとは海の底、深海と呼ばれる深い海に静かに暮らす深海ザメが新型インフルエンザの感染拡大の影響を受けて絶滅の危機に瀕しています。

 豚から人へ種の壁を越えて感染した新型インフルエンザだけに、今回はサメにまでと思ってしまいそうなのですが、さすがに海の中までウィルスが感染を広げるというのは無理があり、深海ザメ激減の理由はワクチンの増産にあります。

 ワクチンの生産というと鶏の卵が使われる事から、今回のように急激にワクチンの需要が発生すると鶏が激減し、サメには関係ないような気がするのですが、ワクチンとサメは深い関わりを持っています。

 ワクチンは病原体に何らかの処置を施して毒性を弱め、免疫の素となる抗原性を残したまま接種する事で人工的に免疫を作り出して感染病を予防するものとなっています。

 ワクチンに使う抗原が生の場合は必要ないのですが、死んだ不活性のものを使う場合や抗原の量が少ない場合、免疫の助成剤が必要となり、アジュバンドと呼ばれるものが使われる事となります。

 アジュバンドは不活性なウィルスを体内に導く運び屋の働きをしたり、細胞に適合させる接着剤の働きをしてワクチンの働きを強化してくれ、今回の新型インフルエンザのように抗原が少ない状態でのウィルス増産となると、アジュバンドが必要とされる事は充分考えられます。

 新型インフルエンザのワクチンに使用されるアジュバンドは原料としてスクワランが使われ、スクワランの原材料としては天然由来の成分であるスクワレンが加工されて使われています。

 スクワレンは、最近では植物由来の物も見掛けるようになってきましたが、元来はサメの肝油が使われてきました。オリーブなどの植物から得られるスクワレンの量は少なく、効率よく採取するにはスクワレンを豊富に含む肝油が得られる深海ザメが標的にされてしまいます。

 急に発生したワクチンの大量需要に応えるために乱獲が行われた結果、深海ザメは急速に数を減らされてしまいました。サメは4億年もの昔に地球上に登場したと言われます。棲息する環境を太陽光さえ届かず、酸素濃度も極めて低い深海とする事で氷河期さえも乗り切り、今日まで絶滅する事なく生き延びています。

 苛酷な環境に適応するためにサメの体は独自の進化を遂げ、強力な生命力を生み出す肝臓は全体重の4分の1を占めるほど大きくなり、巨大な肝臓の90%は油分で構成され、微量の酸素でも体の隅々へ効率よく運ぶ事に貢献しています。

 豊富な肝油に含まれているのがスクワレンで、酸素の運搬役を担っています。苛酷な環境に適応し、数々の絶滅の危機を乗り切ってきた最大の武器とも言えるスクワレンが今、深海ザメの絶滅を引き寄せているという事には、何とも皮肉なものを感じずにはいられません。サメは繁殖力が低い生物でもあります。一刻も早く乱獲に終止符が打たれる事を願っています。


 



第1401回 食通の鍋     2010年01月13日

 具材や調理法によってかなりのバリエーションがありながら鍋料理は鍋物の一言で表現される事から、単純に鍋と言ってもどんなものを指しているのかと迷ってしまう事があります。

 常夜鍋は豚肉とほうれん草を使って作られるシンプルな鍋料理です。地域や人によって作り方は微妙に異なりますが、基本は出汁の素となる昆布を鍋底に敷き、水と酒で満たして豚肉とほうれん草を煮て作られます。

 豚肉は火が通りやすいように薄く削ぎ切りにした物が使われる事から、しゃぶしゃぶと同じような感覚で食べられる事も多いとされ、鍋に入れられる水と酒の量は半々とされますが、酒好きの人の場合、酒の分量が多めになり、子供がいる場合は酒を少なめにして、予め煮切ってアルコール分を飛ばしておくといった工夫も見られています。

 名前の読み方についても諸説があり、じょうや、じょうよ、とこや、とこよ、つねや、つねよなどとさまざまです。漢字の読み方によるものですが、音読みと訓読みが混在するのはおかしいので、じょうよ、とこや、つねやはありえないとして、じょうや、とこよ、つねよのどれかになると考えられ、とこよには常世の文字が当てられる事から、じょうや、つねよのいずれかが正しいように思え、私的にはじょうやと呼んでいます。

 名前の由来としては、素材の持ち味を活かしたシンプルな味わいから、毎晩食べ続けても飽きがこないというものや、一晩中食べ続けても大丈夫という事からきているとも言われますが、毎晩の場合は毎夜鍋となりそうな事や一晩中の場合、夜通鍋となりそうな事を考えると、家族全員が揃いやすい夜に食べる事を常とする鍋と考えた方が良いように思えます。

 シンプルなだけにバリエーションも多く、味付けが昆布だしと酒だけである事から、さまざまな具材を追加する事も常夜鍋の世界を広げてくれます。ほうれん草の代わりに白菜や水菜を使ったり、風味付けにニンニクやショウガ、ネギなどを使うという例も見られます。

 好みで豆腐が加えられたり、豚肉の代わりに鶏肉のつみれや骨付き肉を使う例や、好みによって味噌が加えられる例もあり、常夜鍋のシンプルさゆえのバリエーションの豊かさと思えます。

 常夜鍋は脚本家の向田邦子や作家の池波正太郎も大好きであったとされ、編集者を招いて常夜鍋を振舞ったという話が多く残されています。池波正太郎の著作、「鬼平犯科帳」の主人公、長谷川平蔵は作者の影響を受けて食通として描かれていますが、さすがに江戸時代の人だけあって、豚肉の常夜鍋は食べた事がないのではと考えてしまいます。


 



第1400回 リターナブル雑感(3)     2010年01月12日

 割り箸を利用せず、リターナブルな樹脂製の箸を使用するようになると、確実にゴミの量を減らす事ができるようになります。店舗から出るゴミの内訳は料理に使われた食材のクズや使用期限を超えた食材、パッケージ類、食べ残しなどが考えられ、それに使われた割り箸が含まれます。

 チェーン店の場合、複数の店舗の料理を一箇所の工場で調理しておくセンターキッチン化が進んでいる事が多いので、調理の際に出る食材のクズや廃棄食材の量は減りますが、小分けされたレトルトパックのゴミが加わります。

 そうしたゴミの中から割り箸という存在がなくなる事でゴミの総量を減らす事ができますが、別な問題が生じる事も考えられます。

 食材や食べ残しといった生ゴミや料理を取り出した後の水分が多く残るレトルトパックは燃えにくく、ゴミ処理場での焼却処分に適していないという困った面を持っています。

 水分が多く、燃えにくいゴミを多量に焼却炉に投入すると炉内の温度が下がり、ダイオキシンの発生を助長したり、燃料として重油を多く使って燃焼させなくてはならなくなる事が考えられます。

 ゴミの焼却処分という点だけで見れば、乾燥した木材である割り箸の存在はありがたい物であったと言えます。ゴミの総量を減らす事は大切な事ではありますが、ゴミ問題という観点からは分別などの徹底や、リサイクルへの取組が適切なように思えます。

 かつて日本固有の物であった割り箸は、今では主要な生産地である中国国内でも利用されるようになってきています。そうした新たな需要の発生や中国の経済発展による人件費の上昇を受けて、輸入割り箸自体の価格も高騰してきています。高価になり、今後も価格が下落する見通しが立たない割り箸を使い続けるよりもリターナブルな樹脂製の箸を使い、そのための設備投資を行う方が経済的であるという判断がリターナブル箸採用の主な要因ではないかと思えます。

 企業において経済性を追求し、利益を上げる事は重要な事だと言えます。そのための創意工夫を行い、積極的に取り組んでいく事は大切な事ではありますが、できれば正直であってほしいと思ってしまいます。矛盾点だらけの環境保護とするよりも、少しでも安く商品を提供するためと言った方が余程共感を得られると思うのは私だけでしょうか。割り箸の使用停止について、いろいろと考えさせられてしまいます。


 



第1399回 リターナブル雑感(2)     2010年01月08日

 割り箸と二酸化炭素の排出については、よく割り箸が熱帯雨林を破壊しているという意見を耳にします。実際は熱帯雨林の木材では軟らかく、箸としての機能を果たせない事から、木目が詰まった寒い地域の木材が使われているので正確ではないといえます。

 広大な中国の北方では、割り箸に適した木材の伐採が行われている事から、森林を伐採する事で割り箸は二酸化炭素の吸収を阻害し、排出を助長しているという印象を与えますが、割り箸に適した大きさになるまでに樹木が二酸化炭素を取り込んで成長している事を考えると、割り箸を使って焼却する事で排出される二酸化炭素の量は、バイオ燃料がそうであるようにゼロと算定されるものである事が容易に判ります。

 また、樹木は一定の成長点を越え、成熟期に入ると意外なほど二酸化炭素を吸収しなくなります。日光がある昼のうちは二酸化炭素を吸収して光合成を行いますが、夜になり日光がなくなると酸素を呼吸して二酸化炭素を放出し、吸収と排出の量にそれほど大きな違いがなくなってしまいます。

 割り箸を使わず、製造量を減少させる事で森林の伐採を減らし、二酸化炭素の吸収量を確保しようという主張なのかもしれませんが、6345トンもの膨大な二酸化炭素の削減量はどのように算出されたのかと理解に苦しむ部分が出てきます。

 割り箸は重量こそ軽いのですが嵩があり、配送時に運搬車から二酸化炭素が排出される事は考えられ、割り箸の使用を中止すればその分の排出量が抑える事はできます。しかし、樹脂製の箸を洗う専用の洗浄機や乾燥殺菌庫の稼動には電力が必要であり、その電力を作り出す際にも二酸化炭素は排出されています。

 樹脂製の箸が製造される際にも二酸化炭素は排出され、やがて古くなって廃棄され、焼却されると原料であった石油という形で地中深くに押し込められていた二酸化炭素を大気中に放出する事にもなってしまいます。

 そうした全ての量を計算していくと、割り箸の使用を中止する事は二酸化炭素の排出量にはほとんど影響がなく、むしろ割り箸を使って木材を効率よく利用して植林を奨励し、森林が常に成長状態にある方が二酸化炭素の吸収に繋がるという事ができます。


 



第1398回 リターナブル雑感(1)     2010年01月07日

 リターナブル箸という言葉が聞かれるようになってきました。箸とは、本来洗って再利用されるもので、わざわざ言葉にしなくてもリターナブルであるのは当然の事のはずです。あえてリターナブルと言われるのは、使い捨ての割り箸に対する言葉として使われる事によります。

 箸は洗って再利用される物として根付いていても、飲食店では気軽に使い捨てる事ができる割り箸が定着しています。毎回、使い捨てる事で気持ち良く利用してもらうという日本人ならではの気遣いがそこにはあるのですが、その割り箸がエコという観点から否定的な見方をされてきています。

 最近、大手飲食チェーンも割り箸を止めてリターナブルな樹脂製の箸に切り替えています。樹脂製の箸の採用に踏み切った理由として、森林の保護や温室効果ガスである二酸化炭素の排出抑制、店舗から発生するゴミの削減を上げています。

 リターナブル箸の採用によって専用の洗浄機や乾燥殺菌庫を各店舗に設置するという負担が発生しますが、原木換算で14000本、二酸化炭素6345トン、ゴミ710トンが年間の削減量として見込めるとしています。設備投資という負担増よりも環境保護を優先した企業姿勢の表れでしょうか。

 森林保護という観点から割り箸はよく悪者にされる事があります。年間254億膳もの割り箸が消費され、一回限りの使用で捨てられる事から、木質が違うので実際には建築に用いる事はできませんが、住宅に換算して約2万戸分に相当すると表現されているのを見かけます。

 1988年までは割り箸の原料は、北海道をはじめとした国産の間伐材や端材の割合が多かったのですが、その後、安価な中国産の割り箸の輸入が急激に拡大し、2005年以降、97%以上の割り箸が輸入材で、その中でも99%は中国産によって占められるという状況になってきています。

 割り箸の輸入に関しては、日本は国土の68%を森林で占めていながら、国土の18%しか森林を持たない中国から大量の輸入を行う事で、中国の森林を破壊、森林資源を枯渇へと向かわせ、中国の森林破壊はやがて世界的な環境の悪化へと繋がっていくとも言われます。

 68対18という事で、数字の上では3分の1以下となり、お金にものを言わせて資源を買い漁っているような印象も受けますが、中国の国土は日本の26倍。単純計算でも90倍以上の森林面積を誇っている事になります。しかも中国建国時、8%に過ぎなかった森林の面積比率が今日では18%と、確実に増加の傾向を見せ、世界第5位の森林面積を持つ有数の林業大国とまでになってきています。

 中国の割り箸が問題視される事に付いては、割り箸の原料となる木材を得るための伐採方法にあると言う事もできます。皆伐と呼ばれる伐採方法は、森全体の木を切り倒して木材を得る事から、視覚的にも森林破壊を助長しているように感じられ、森を破壊して割り箸が作られている印象を得てしまいます。

 しかし、伐採によって切り出された木材のうち割り箸の製造に使われるのは全体の約1%に過ぎず、残りの多くは燃料として使われていると言います。突然、世界的に割り箸の使用が禁止されたとしても、森林から切り出される木材全体にはほとんど影響しない事が容易に想像できます。

 もし割り箸が森林に問題を起こしているとすれば、それは中国ではなく日本国内。間伐材や端材が割り箸として加工される事でお金に換わる仕組が安価な中国産の割り箸に席巻された事で失われ、森林の管理や木材資源の有効利用ができなくなった日本の林業に問題が生じています。

 森林の保護という観点から割り箸を見直すのであれば、割高となっても国内産の割り箸を使い、森林を管理する事ができるような仕組作りに繋げていくべきであり、樹脂製のリターナブル箸の採用はほとんど意味を成さない事が判ります。


 



第1397回 和のお菓子     2010年01月06日

 日本の食文化の中でも和菓子は特に完成度が高く、世界に誇れるものではないかと思います。花や食材といった見慣れた物に似せたり、季節を表現するという繊細な世界観や表現技法には、見ているだけでも感動させられるものがあります。

 お菓子、特に甘い砂糖菓子という物については、実は日本はあまり恵まれた環境ではなかったと言う事ができます。東西に長い国土を持つ日本は、砂糖の原料となるサトウキビの栽培には寒く、テンサイ(砂糖大根)には温かすぎるため、甘味を出してくれる調味料が貴重であった事が考えられるからです。

 日本に最初に砂糖がもたらされたのは鑑真和尚が中国から持参した物とされ、正倉院に保存されている大仏への献上品の目録の中に薬の一環としてサトウキビから作られる「蔗糖」の記載が見られます。

 それ以前となると自然に存在する最も身近な甘味である果物がお菓子の代わりであった事が考えられ、菓子はもともとは果子であったされます。古い文献には菓子と書いて「くだもの」と呼ぶ例も見られ、果物がお菓子の役割を果たしていた事が判ります。

 穀物の栽培技術が上がると貯蔵や加工法も発展し、餅や団子の類が作られるようになります。そうした餅菓子の味付けに使われていたのが、甘葛や甘茶の蔓を煮詰めたりして得られた甘味でした。また、穀物は発芽する際に糖分の量が増す事から、経験的に知られた米をもやし状にして煮詰め、飴状にする糖分も使われています。

 遣唐使が中国大陸へと渡り、大陸の進んだ文化が持ち帰られるようになると、お菓子にも粉を捏ねて細工を施したり、油で揚げたりという唐菓子の技法がお菓子作りに用いられるようになっていきます。

 さらに時は流れ、茶の湯の発展によって茶席に欠かせない物としてお茶菓子が重用されるようになると、お菓子は趣向を凝らした物へと進化を遂げながら飛躍的に進歩を遂げる事となり、南蛮菓子の渡来や南蛮貿易、日明貿易によって砂糖の輸入が始まった事も和菓子の発展に影響を与えています。

 戦国時代に薩摩藩によって琉球王国が侵攻された事でサトウキビを栽培する事に適した環境が得られた事から、サトウキビの栽培による砂糖の生産が可能な状態にはなり、江戸時代に入ると将軍吉宗によってサトウキビの試験栽培が行われはしますが、相変わらず砂糖は高価な物という状態が続いていました。

 江戸時代には国産の黒砂糖が出回るようになりますが、今日のような白砂糖は明治の開国まで待たなければなりません。しかし、落雁や求肥の開発や寒ざらし粉、道明寺粉といった穀類の製粉技術の発展も和菓子の表現技法の発達に貢献し、今日の和菓子の基礎が作られます。

 江戸時代の後期には菓子屋の規模が大型化し、お菓子は盛んに作られるようになります。茶の湯も庶民に広まり、美味しいだけでなく見た目も重視され、お茶の味わいを邪魔しないという茶菓子特有の要求を満たすお菓子製造も行われます。

 明治時代、開国によってハワイや香港から安価な砂糖が輸入され、洋菓子製造の技術も盛んに取り入れられますが、伝統的な和菓子は独自の立場を守りながら発展を続けます。お菓子は主食にはなり得ないものではありますが、自然の中に独自の美意識を見出す日本固有の文化と融合し、大切にされてきた事が今日の和菓子に繋がっていると言う事ができます。ヘルシーさでたびたび見直される和菓子ですが、これからも独自の道を歩んでほしいと思ってしまいます。


 



 

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