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第1432回 便利なだけ?
2010年02月26日
相変わらず携帯電話が出す電磁波は有害か無害かという議論は決着を見ないまま、携帯電話の利用と基地局の増設は続いています。携帯電話に限らず電磁波を出す機器は身近にたくさん存在していて、現代の便利な生活を続ける上では欠かせない物となっていると言えます。
最近の車では普通の装備となったキーレスエントリーも当初はテレビのリモコンと同じような赤外線を利用した物も一部見られていましたが、電磁波を用いた物が主流となっています。
雨の日など、慌てて車のドアを開けて乗り込む必要がある時など非常に重宝するのですが、使われている電磁波の到達距離はせいぜい30m程度しかありません。
それよりも強い電磁波を出す物としては、家庭にも急速に普及しつつある無線LANの存在を上げる事ができます。無線LANは、パソコンを家庭内でインターネットに接続して利用する際、LANケーブルの敷設を行う必要がなく、どこでも自由にインターネットを利用できる物として浸透しています。
我が家でもLANケーブルを事前に敷設していたのですが、当時の想定外の場所でパソコンを使う事も増え、今では無線LANが中心となってきています。この無線LANの電磁波の到達距離は最大でも300m程度とされ、それほど強力ではない事が判ります。
無線LANよりも強力とされる電磁波が携帯電話が出しているとされるもので、基地局までの距離を考えるとキロメートル単位での到達距離を満たすものである事は確実だと思えます。
それ以上に強力な電磁波となると、家庭にある物では電子レンジを上げる事ができます。電子レンジは電磁波の力によって素材に含まれる水分子を振動させて加熱を行う物で、熱を発する事ができるほど強力な電磁波を発生していると言う事ができます。
同じような原理で加熱を行いながら、電子レンジのように閉鎖された箱の中ではなく、開放した空間で電磁波の放出が行われる事から、IH調理器の危険性を指摘する声もあります。
かつてローマ帝国では低い温度で溶かす事ができ、加工しやすい柔らかさを持つ鉛を水道のシール剤に使っていました。今日、古代ローマの移籍から見付かる遺骨を調べると、明らかな鉛中毒の痕跡を見る事ができるといいます。
当時は鉛の危険性が認識されておらず、便利さだけで利用されていた事が鉛中毒を広めてしまう事となっていたのですが、将来、電磁波が同じように危険性の認識がなく便利さだけで使用されて被害を広げていたものとして見られ、古代ローマの失敗を繰り返さない事を願いたいと思ってしまいます。
第1431回 粋な暑気払い
2010年02月25日
「直し(なおし)」、「柳蔭(やなぎかげ)」というと聞き慣れない言葉のようですが、意外と身近な存在だったりもします。とはいっても最近では、ほとんど見かけない物となっているようにも思えます。
直しは本直しと呼ばれる事もあり、柳蔭とは同じ物となっていて、どこの家庭でも普通に見られるみりんに焼酎を加えて飲みやすくした物の事を指してします。
以前、老舗の醸造所から古式製法そのままのみりんを取り寄せた際、みりんの利用法として料理に使う以外の遣い方として疲労時に飲用して滋養強壮にというものがあり、違和感を覚えながらもみりんの栄養素を考えると納得できるものを感じた事があります。
飲料として使用する事を考えるとみりんは栄養価が高く、直接的な栄養となる糖分を多く含んでいます。その分、甘味が強く、少量しか飲用する事ができません。そのためみりんに焼酎を加える事で甘味を抑えて飲みやすくするという工夫をした物が直し、柳蔭と呼ばれる物となっています。
直しとは、飲みにくいみりんという酒を手直しする事で美味しく飲めるようにする「手直し」から来ているとされ、江戸時代には人気のある飲み物として親しまれていました。特にその栄養価の高さから夏場の暑気払いには最適とされ、井戸水などを使って冷やして楽しまれ、上方落語の中にも高級品として登場しています。
かつては直しは酒税法上は「飲用みりん」に分類され、調理用の「本みりん」と区別されていた事があり、税法上も一つのジャンルとして存在していたのですが、今日では一本化されています。
貿易摩擦が問題視された1990年頃、輸入品の国内需要を高めるためにさまざまな施策が行われ、ウィスキーの酒税を下げて価格を引き下げ、逆に焼酎の酒税を引き上げて輸入品のウィスキーの消費を拡大させようという政策が行われました。
その際、焼酎の仲間ともいえる直しは料理酒の仲間とされたことから増税を逃れ、その事に目を付けた一部の酒造メーカーによって税率の低さを利用した低価格酒として発売されて急速に売り上げを伸ばしています。
その後、急激な直しの需要拡大は見逃されず、2000年の酒税法の改正によってアルコール分23度以上、エキス分8度未満の飲用みりんに関しては焼酎と同じ税率が適応される事となり、直しの需要は一気に廃れてしまい、みりんを飲用するという文化は失われてしまったように思えます。
みりんは米のデンプンを麹によって糖化させ、それを発酵して得られたアルコールを蒸留して作られる焼酎を元に、米を麹で糖化させた甘味を加えて作られます。さらに焼酎を加えて飲みやすくするという考えは、幾度も製造工程を繰り返しているようでもあり贅沢なものを感じます。井戸の水で冷やしておいて、夏場の暑気払いにというのは江戸の粋を感じる話でもあり、失われてしまうには少々悲しい文化のようにも思えてしまいます。
第1430回 毒?必須?
2010年02月24日
カドミウムというと、どことなく禍々しく、毒性が強い重金属という感じがします。直接、純粋なカドミウムを見るという機会はほとんどないと思いますが、純粋なカドミウムはわずかに青みをおびた銀白色をしており、柔らかい金属である事が判ります。
亜鉛や銅などの鉱床に一緒に埋蔵されている事が多く、採掘や精錬の副産物として産出されます。日本では銅の採掘、精錬の際に排出されたカドミウムによって水や土壌が汚染され、農産物などの食品を通じて公害のイタイイタイ病を引き起こした事は広く知られています。
そんなカドミウムをお金を出してまで欲しがる人がいるのだろうかと思ってしまうのですが、先日、カドミウムが高値を付けているという経済関係の報道が行われていました。
高値の理由は経済発展著しい中国やインドで電動工具の需要が増したからという事で、言われてみるとコードレスの電動工具にはバッテリーが搭載されていて、そうしたバッテリーの多くはニッカドバッテリーと呼ばれる物が使われています。
ニッカドバッテリーとは、正極側にニッケル、負極側にカドミウムを用いたバッテリーの事で、比較的安価なバッテリーとして一般的に使われています。
気軽に使えるバッテリーとして普及していますが、意外と気難しい点があり、バッテリー内に電気が残っている状態で追加充電するという事を繰り返し行うと、メモリー効果と呼ばれる充電容量の低下を招いてしまいバッテリーの寿命を短める事となります。
ニッカドバッテリーを搭載した製品の普及や消耗品としてのバッテリーの需要の伸びがカドミウムの価格を引き上げ、それだけ多くのカドミウムが必要とされているように思えてくるのですが、実際は投機マネーによって取引価格が引き上げられていて、大量のカドミウムが流通している訳ではないとも考える事ができます。
できる事ならバッテリーのリサイクル体制が完備される前に多量の普及はして欲しくないと、公害先進国と言われる日本に生まれた身としては思ってしまいます。一部の研究では、体内のカドミウムが極端に不足した状態を作ると、筋力の不足といった低カドミウム症とも言える状態になり、微量のカドミウムを与える事で回復するという事が確認された事から、身体にとってカドミウムは欠かせない微量元素である可能性が示唆されてきています。工業製品の原料としては利用されていても、身体にとって毒としか思えなかったカドミウムが、実は健康を支えているとしたら、やはり大きな違和感を感じずにはいられません。
第1429回 洗ってますか?
2010年02月23日
スーパーで鶏肉を買い、調理する前にパックから取り出して不必要と言われている事は解っていながら、鶏肉を水洗してしまいます。洗って水に触れさせてしまう事で、食材として傷みやすくなってしまう事は理解できても、やはり何か気になってしまいます。
日本の食品製造、流通、保管は非常に優れているので、食材は衛生的な状態で調理場へと届くと思いながら、やはり気になるとして鶏肉を洗うべきか迷う人も多いのではないでしょうか。
鶏肉の加工については、年間30万羽以上を出荷する養鶏場の場合、出荷された鶏は加工施設に入る時点で保健所の職員による目視検査を受ける事が義務付けられ、専門家による安全性の確保のためのチェックポイントが設けられています。
出荷量が30万羽以下の場合、保健所の職員ではありませんが、専門の資格を持った検査官が同様の検査を行う事が義務付けられていて、同じ安全性が担保されています。
検査に合格した鶏は加工所に受け入れられ、食肉となる加工が施される事となりますが、加工処理工場のライン上においても内臓と食肉に分けられた段階で、再度保健所の職員か検査官による検査が行われ、問題が見付けられた物は全てラインから除去されてしまうという第二のチェックポイントが設けられています。
検査に合格すると鶏肉は完全に洗浄され、部位ごとに分けられて食肉としての製品化が行われます。全ての工程は食肉を安全に保つための温度管理が行われ、出荷された後に私達が購入する事となります。
購入した鶏肉は家庭で調理されて充分な加熱が行われ、さらに安全な状態になります。そのため神経質になる必要はないとされるのですが、やはり気になってしまいます。
以前、フライドチキンのフランチャイズ店でアルバイトをしていた事があるのですが、下拵えの段階でぶつ切りの鶏肉からはみ出した骨の角などで怪我をすると、かなりの確率で化膿していました。洗浄されているとはいえ、血液をはじめとした栄養価が高い鶏肉の表面には多くの雑菌が繁殖している事が考えられ、そのイメージが刷り込まれてしまっていると思いながら、いつも洗わずにはいられません。
第1428回 腹囲変更
2010年02月22日
メタボリックシンドロームに関する認知度はメタボの愛称で親しまれた事もあり、一気に広まった感があります。心臓病などさまざまな病気のリスクを下げた生活を送る上で重要な指標となるのですが、日本のメタボ事情には少々不思議なものがありました。
メタボリックシンドロームの診断にはウェスト回り、腹囲の測定が必須とされますが、諸外国のサイズ規定が男性の方が大きめに設定しているのに対し、日本では女性の方が大きめに設定されています。
人種による体格の差もあるので、各国でサイズこそ違いがあるのですが、どの国も男性の方が5〜10cmほど大きく、国際基準として考えた場合でも日本の規定に関しては妥当性を疑問視する意見が出されていました。
先日、厚生労働省の研究班によって国内の12の疫学調査対象となった40〜74歳の男女、約3万6600人の調査結果を総合的に分析し、規定に定めている男性の腹囲が85cmに達した際と同じリスクを女性に当てはめて検討した結果、女性の腹囲は80cm程度という結論が得られたと言います。
近い将来、得られた結論を元にサイズ規定の変更が行われる事となると思われるのですが、メタボリックシンドロームのリスクと腹囲との明確な関連性自体が疑われてきている中、新たな数値をどのように評価するのか迷ってしまうものがあります。納得できる結論を期待したいと思っています。
第1427回 空の味
2010年02月19日
ドイツ人というとビール好きという感じがするのですが、意外と空の上、飛行機の中ではトマトジュースが人気だと言います。普段トマトジュースがそれほど好きではない人でも、何故か飛行機に乗ると飲みたくなる、飛行機の中では何故かトマトジュースが美味しいという意見が多く、謎の衝動となっていました。
今回、ドイツの大手航空会社ルフトハンザ航空が機内のトマトジュース人気の謎の解明に乗り出し、実際にエアバスA310の機体を使い、機内の気圧を人工的にコントロールする事で気圧の変化と人間の感覚の変化について研究を行っています。
トマトジュースがそれほど好きではないとする意見の中には、ジュースにした事でトマトとしての味が濃くなり過ぎているとするものや、野菜特有の青臭さを嫌う意見が含まれています。
上空を飛行している際と同じ気圧を減圧した中では、トマトジュースに関する感覚的な意見がそうした否定的なものから「ジューシーである」「甘い」「さっぱりしている」といった肯定的なものに変化し、多くの被験者がトマトジュースの美味しさを賛美する意見に変わっていたと言います。
逆に地上で美味しいとされた食事が減圧下では「味気ない」と言われるようになり、明らかな味覚の変化が起こっている事が示唆されています。
実験を行った研究チームを率いる食品の美味しさを左右するフレーバーの専門家によると、上空と同じ低圧下では人の味覚は変化し、ちょうど風邪をひいた際と似たような状態になるとした上で、塩味や甘味に関する味覚が鈍くなる反面、酸味に関する感覚は変化しない事から、地上では濃くて青臭かったトマトジュースが上空ではほど良い甘味と酸味を備え持った物に変化していると結論付けています。
今回の研究を元にルフトハンザ航空では機内食の味付けを見直して、塩味を効かせて酸味を抑えたより美味しい味付けに変更して提供したいと発表しています。以前、米国へと向かう際の機内食でとても塩辛いソーセージを食べさせられた事があるのですが、鈍くなっていてあの味...。ふと思い出してしまいます。
第1426回 大きさ比べ
2010年02月18日
登場した頃は漠然としていても急速に広まり、最近ではすっかり定着した感のある言葉の一つに、長さを表す単位、「ナノ」があるのではと思っています。ナノメートルとは100万分の1mmの事で、nmと表記して使われています。
そのナノメートル単位で語られる大きさの物としてウィルスの存在があります。ウィルスは多くの病気の原因として知られ、インフルエンザの流行が懸念される頃にはその存在が広く話題となります。
ウィルスの大きさはさまざまですが、小さい物で20nm。大きい物になると970nmくらいの大きさと言われ、ほとんどのウィルスは300nm以下の非常に小さな物とされています。
ウィルスと細菌は混同される事がよくありますが、大きさという点では細菌はウィルスよりもかなり大きく、1〜5μm(マイクロメートル、1μmは1000分の1mm)が細菌の主流となる大きさとされる事から、ウィルスよりも細菌の方がかなり大きい事が判ります。
黄熱病の研究を行った野口英世は、死の間際まで黄熱病の病原体を発見する事に情熱を傾けていますが、黄熱病の病原体は細菌ではなくウィルスであった事から、当時使われていた光学式の顕微鏡では見る事ができず、後に電子顕微鏡が登場するまでは黄熱病のウィルスを見る事は不可能となっていました。
人が肉眼で見る事ができる大きさの限界は0.2mm程度とされ、細菌の大きさは1〜5μm、遺伝子や微生物の研究に使われる事が多い大腸菌の大きさが2μm、光学顕微鏡で見る事ができる限界の大きさが200nmとされます。
黄熱病のウィルスはその限界よりも小さい40〜60nmとされ、小さいノロウィルスは25nm程度とされます。肉眼では見えない大きさのウィルスですが、影響の大きさは見過ごせないものがあります。最小の相手に最大の用心が必要かもしれません。
第1425回 N95?
2010年02月17日
新型インフルエンザの流行拡大は一段落した感がありますが、季節性のインフルエンザや花粉の飛来など、これからが街中でマスクを見かける本格シーズンの到来となるのではと考えています。
新型インフルエンザの流行が話題になった頃は、店頭ではマスクが品薄となり、今なら手に入りますという宣伝文句を多く聞かされたようにも思えます。
最近はマスクのデザインも複雑な顔の局面にフィットさせるための立体的な物が増え、昔ながらの布製の平たい物はほとんど見かけなくなってきています。
マスクを選ぶ際、製品のパッケージを手に取ると「医療現場でも使用されているN95・・・」という表示を見かける事があります。医療現場でも使用されているのならと品質の高さを感じてしまうのですが、謎の言葉「N95マスク」とは何かと気になってしまう事もあります。
N95マスクとは米国で定められたN95規格に準じたマスクの事で、N95のNとは耐油性がない事を示すNotのNからきていて、95は95%以上の試験粒子を捕集できる性能を示しています。医療現場では油を使う事がほとんど考えられない事から、耐油性がないNが使われ、もし耐油性が必要ならR、油分を防ぐ防油性が必要ならPといった規格が使われる事になります。
試験粒子とは最もフィルターを通過しやすいと思われる粒子のモデルで、空力学的に0.3μm程度の直径を持つ粒子が想定されています。それ以上大きい粒子だとフィルターに捕集されやすく、それよりも小さい粒子では流れる空気の影響を受けにくくなってフィルターを抜ける流れに乗れないと考えられています。
多くの場合、試験粒子には0.3μmの大きさの塩(NaCl)の結晶が用いられ、最もフィルターを通過しやすい0.3μmの粒子の捕集が95%以上である事から、それ以下でも以上の大きさでも95%以上の捕集性能を発揮する事が求められます。
元々は作業現場用のマスクとして開発されていましたが、SARS(重症急性呼吸器症候群、新型肺炎)の感染防止に効果がある事が確認されてからは医療現場でも盛んに使われるようになっています。
医療現場で使用されるマスクには、サージカルマスクとレスピレータと呼ばれる2種類の役割を持つ物があり、サージカルマスクが手術中に発生する飛沫の拡散防止に使われる事に対し、レスピレータは空気中の有害物質やウィルスなどから装着者を守るという呼吸用保護具としての意味を持っていて、N95マスクはレスピレータとして使われている事になります。
しかし、N95規格はあくまでもフィルターの捕集能力について設定された規格である事から、マスクその物に対する性能を保障するものではなく、実際にマスクのデザイン上、フィルターの回りやプリーツ部などにできる隙間によって本来の捕集性能は発揮できないと思われる例も多く見られます。
そのためマスクを選ぶ際は、できるだけ自分にフィットする物を選び、正しい手順で装着する事。それでもどこかに隙間が生じてしまう事があるので、マスクを過信しない事が重要かもしれません。
本来のレスピレータとしての性能は発揮できなくてもサージカルマスクとしての効果には充分期待できるので、感染してしまった事が疑われる場合はエチケットとして装着する事も大切な事だと言えます。
第1424回 玄米の謎(6)
2010年02月16日
玄米食を続けていると肌に艶がなく、黒っぽいくすんだ肌色になってきた。玄米を中心とした食生活で間食は行わず、精白糖は摂らないようにしているのに虫歯が増えたいう意見も多く聞かされます。
原因として考えられるのはミネラルの不足で、肌に現れた異常は典型的なミネラルの欠乏症と判断する事ができます。虫歯が増えた事は欠乏したカルシウムを補うために、歯や骨からカルシウムが溶け出した事によって強度が下がった事が考えられます。
ミネラルが豊富なはずの玄米を主食としておきながら、何故そのような事が起こるのか意味が判らないと思えてしまいそうになるのですが、主な理由としてフィチン酸の存在を上げる事ができます。
フィチン酸は種子に多く含まれる成分で、強力なキレート効果を持っています。キレート効果とは、立体構造を持つ原子によってできた隙間に金属イオンを挟み込む働きの事で、挟み込んだ姿がカニの爪のような事からギリシャ語のカニの爪の意味を持つ言葉に由来してそう呼ばれています。
フィチン酸の強力なキレート効果は体内でミネラルを捕まえ、フィチン酸塩という水に溶けず、消化吸収されない状態になって体外へと排出されていきます。
生命の活動、維持に欠かせない重要な成分であるミネラルを体外へと排出させる働きを持つフィチン酸は、考えようによっては玄米を主食とする生物に生命の危機を与え、増殖する事を防ぐ毒であると言う事ができます。
フィチン酸の働きは毒にだけ留まったものではなく、玄米(籾)が土壌に蒔かれた際、水分や土壌に含まれる大切なミネラルをそのキレート効果で取り込み、フィチン酸塩として玄米に中に蓄えます。
発芽の時を迎え、成長にミネラルが必要になると蓄えられていたフィチン酸塩は、酵素フィターゼの働きによって分解されてミネラルを放出し、ミネラルの供給源となります。
玄米を食べる者にはミネラルを奪う毒となり、玄米にとってはミネラルを積極的に集めて貯蔵庫となる。フィチン酸は実に優れた働きを持つ成分であり、そうした細かなメカニズムは理解できなくても経験的にフィチン酸の危険性を知り得ていた先人達の知恵が玄米食を遠ざけていたという考え方もできます。
発芽によってフィターゼが働き、フィチン酸の分解が進む事から、玄米を発芽させる事でフィチン酸の問題を完全に払拭できるような意見も見かけますが、フィターゼはそれほど急激に働くものではない事を考えると、あまり過信はできないように思えます。
玄米食に切り替えた事で急速に病状が回復する事例を多く見かけます。フィチン酸のキレート効果を考えると、体内に蓄積した重金属などの毒素が排出される事で病状が軽減されていくという可能性が考えられます。しかし、それだけでは説明の着かない急激な病状の回復事例もあり、それだけの著効を持つものを常食とする事への不安もあり、私の中では相変わらずの疑問符が残されています。食という日常的な事の中から培われる健康。単純ではない事を改めて思ってしまいます。
第1423回 玄米の謎(5)
2010年02月15日
主食を白米から玄米へ変える事によるメリットは、たくさんの情報として語られています。特にビタミンB群に関する事は良く知られ、胚芽に含まれるビタミンB1を豊富に摂れるようになる事は、玄米食に切り替える最大のメリットの一つと言えるかもしれません。
ビタミンB1は炭水化物(糖質)の代謝に欠かす事ができず、ブドウ糖をエネルギーに変える際に必要になります。脳や赤血球はブドウ糖を主要なエネルギー源としているので、ビタミンB1がいかに重要な栄養素であるのかが理解できます。
最近では清涼飲料水やお菓子の氾濫によって糖分が過剰になる事から、ビタミンB1を消費しやすい状態になっているだけでなく、主食をはじめとして炭水化物を多く摂る食文化が日本では古くから定着しているため、ビタミンB1が不足する傾向が伝統的にあった事が判ります。
そうしたビタミンB1に加え食物繊維、ミネラルなど現代の食生活に不足しがちな栄養素が玄米には多く含まれています。それだけに限らず、最近の研究では玄米に優れた機能性を持つ成分が含まれている事が判ってきています。
特に注目されているのが解毒に関する成分で、γオリザリノールやイノシトール、フィチン酸などは体内に蓄積したさまざまな毒素を排出する強力な作用を持つとされています。
γオリザリノールは解毒に限らず、脳神経や細胞、内臓の機能を活性化させる働きがあり、イノシトールは肝機能の働きを高めて老廃物の排出を促し、フィチン酸は体内の重金属などの有害成分の排出に役立つ事が確認されています。
栄養が豊富でこれだけの高い機能性成分を持ち、いまだに未解明の効能があるとされる玄米が今日、健康食として注目される事は納得できるのですが、科学的な検証はできなくても経験的に多くの効果効能を発見して利用してきた日本人が、最も身近な食材である玄米の効能を全く利用していない事には、どのような理由があったのかといつも考えさせられてしまいます。
第1422回 玄米の謎(4)
2010年02月12日
前回の白米と脚気のように、玄米を精白した事による損失はさまざまな事が考えられます。栄養が豊富と言われる糠を玄米から除去した事で、白米はかなりの栄養を損失しているとされ、玄米食肯定派の中には白米の事を大切な栄養を除いたカスのように表現する極端な意見も見られます。
栄養成分的に白米は何を失っているのかと言うと、白米に対し玄米には9倍近い食物繊維が含まれている事をはじめ、2倍のカルシウム、4倍のリンと鉄分、カリウム、12倍のマグネシウム、5倍のビタミンB1、3.5倍のビタミンEなど、多くが考えられます。
それだけの大きな犠牲を払っても精白して美味しさを確保し、白米の美味しさから食が進む事でおかずを食べるという事に繋げて栄養を確保するという考え方もあります。
玄米は発芽を担うという生命の源ともいえる胚芽を含む事から栄養価が極めて高く、米全体の3%の重量しかない胚芽に主要な栄養素のほとんどが集中していると言えるため、精白による損失はあまりに大きく、副食となるおかずでは玄米ほどの栄養を確保できないとも言われます。
脚気の原因となったビタミンB1の損失だけを見ても、玄米1合から摂れるビタミンB1の量を他の食品で補おうとした場合、卵では20個、ホウレン草では2kg、牛乳2リットルと膨大な量が必要になります。
玄米を精白して白米にした事による損失をおかずで補う事の難しさを感じてしまうのですが、それだけの損失を払いながら何故玄米を精白してしまうのか、不思議に思えてしまいます。
精白する事で米は美味しくなり、消化吸収も良くなります。保存して劣化してしまう心配もなくなり、長期保存もできるようになります。それだけの理由で玄米は精白され、莫大な損失を払ってきたのでしょうか。
糠に含まれる油分が酸化される事で、風味が著しく悪くなるという事も考えられますが、それならば収穫の時期に合わせて旬の味覚として玄米を食べるという事も行われてきたと思えます。
栄養成分に関する詳細な知識はなくても、長い米との関わりを思うと、経験的に胚芽を食べると元気が出る、病気になりにくいとして胚芽を食べる習慣が残されていると考える事できます。しかし、玄米は精白され、糠も胚芽もほとんど食用にはされていません。それが不思議に思えてなりません。
第1421回 玄米の謎(3)
2010年02月10日
太平の世、将軍家の御膝下となる江戸の街では、命に関わる奇妙な病が流行していました。過去にも同じような症状は記録に残されており、日本書紀や続日本紀といった古い書物にも脚の病気として記載されていますが、当時は江戸の街に多く見られた事や江戸を離れえると症状が快癒する事から、「江戸患い」と呼ばれています。
平安時代以降、貴族を中心とした上流階級に多く見られた江戸患いの症状は、戦国時代が終焉を迎え、平和な世の中になると武士や町人にも広がり、幾度かの大流行を見せながら明治時代を迎えると結核と並ぶ二大国民病の一つとまでに言われるようになっていきます。
江戸患いの正体は、今日では脚気と呼ばれるビタミンB1の欠乏症で、玄米を精白する事でビタミンB1を含む糠を取り除いてしまい、それを補うのに充分な内容のおかずが食べられていなかった事が原因となっていたと考える事ができます。
特に江戸で脚気が蔓延した理由としては、当時江戸は世界的にも例を見ない巨大な人口を抱える都市であり、さまざまな物資が流入して経済的に発展していたため、当時は贅沢な物であった真っ白な白米食が町人にまで浸透していた事や、江戸っ子の気質として白米をご飯の中心に据えていた事を上げる事ができます。
その後も正確な原因が特定できなかった事もあり、脚気は明治から大正にかけて論争を巻き起こしながら、被害は拡大を続けます。ビタミンB1の欠乏という原因が解明され、食生活が豊かになってからは、脚気は過去の存在のように思われていますが、近年、復活の兆しを見せていると言います。
カロリーが高い割には栄養価が低いジャンクフードの普及や、糖分の過剰摂取がビタミンB1の欠乏に繋がっていると考えられます。特に糖分は代謝の際にビタミンB1が使われる事から、清涼飲料水などで多量に糖分を摂り続けると急激にビタミンB1の欠乏が起こってしまいます。
玄米食を必要とする意見には、そうした脚気に関連するものも多く含まれ、長期にわたる疲労感が玄米食を始めた途端に回復する背景には、慢性的に不足していたビタミンB1が供給され、エネルギー代謝が正常に行われるようになったという事も考える事ができます。
第1420回 玄米の謎(2)
2010年02月09日
玄米を白米へと精白すると米糠が分離されてきます。精白の度合いにもよるのですが、玄米の重量から約3割近い重さの糠を得る事ができます。
糠の利用法として代表的なもは、漬物に使われる「糠床」が知られています。糠床は質感や色合い、保存している姿が味噌に似ている事から糠味噌と呼ばれる事もありますが、古来、大豆と麹を糠に混ぜて作られる味噌が存在した事から糠床を味噌と呼ぶのは適切ではないと言われます。
ほど良く発酵させた糠の香りと糠に含まれるビタミンやミネラルといった栄養素、酵母や乳酸菌などが作り出す旨味成分などが漬け込んだ素材を美味しく栄養価が高い漬物に変えてくれるという日本ならではの食文化と言えます。
九州の北部、小倉を中心とした地域には郷土料理として「じんだ煮」という魚の煮物があり、イワシやサバといった青魚を糠で煮込んで調理されています。じんだとは糠の事で、糠味噌炊きと呼ばれる事もありますが、味噌ではなく糠床で魚を柔らかくなるまで煮ています。
糠で魚を煮る事のメリットは、糠に含まれるアミノ酸や有機酸などの旨味が加わる事や、糠床特有の風味によって青魚の臭味を感じにくくする事。糠床が乳酸発酵している事からphが低く、酸性にする事で臭味を抑える事などが考えられ、理に適った調理方法と言えます。
糠の使い方としては、糠を袋に詰めて洗剤代わりにも使われています。糠に含まれるγグロブリンに界面活性作用がある事を有効に利用した例といえ、同じような使い方としては糠袋をお湯に漬けて入浴剤としても使われています。
大根を白く茹で上げる事やタケノコのあく抜きにも糠は使われ、似たような使い方としては布巾を糠を溶かした水に浸す事でくすみを取るという生活の知恵も残されています。
糠を袋に詰めた糠袋は入浴以外の部分でも役に立ち、糠袋で床や家具などの木材を磨く事で、糠の油分が艶を出し、保護作用を発揮してくれる事からワックスとして利用する事ができます。
糠に含まれるγグロブリンの界面活性作用は思いの外強力で、油で汚れた食器を洗う前に糠をふりかけておく事で、油汚れを楽に落とす事ができます。
肥料として使われた例も見られますが、発酵させないと使う事ができず、そのまま撒いてしまうと植物を枯らしてしまう事もあると言われます。有機肥料の原材料として使う例は、近年増えてきているように思えます。
こうして見ると糠の利用範囲は広く、極めて有用な素材のように思えますが、どれも使用量は少なく、精白によって発生する糠の総量を無駄なく利用しているとは言えないものを感じます。さまざまな知恵で無駄を排した生活を確立してきた日本人のライフスタイルを思うと、糠の利用率は低過ぎるようにも思えてしまいます。
第1419回 玄米の謎(1)
2010年02月08日
日々、たくさんの食や健康に関する情報に触れていますが、それでも自分の中で結論に達する事ができなくて、どのように扱うべきか悩んだままという事も多々あります。玄米に関する事もそうした中の一つで、どのように評価し、どのように接するべきものなのか、結論付ける事ができないままになっています。
玄米は収穫された米から籾殻を取り除いた物で、さまざまに加工されて利用される米の元となる存在とも言えます。発芽に必要なビタミン類や脂肪分を含み、高い栄養価を誇っています。
その玄米に精白と呼ばれる加工を施して糠と胚芽を取り除いた物が白米で、日本の主食となっています。精白しただけでは表面に粉末の糠が残される事から、白米は炊く前に研ぐという特殊な洗浄を施して調理されます。
玄米を精白する理由は幾つかが考えられ、第一に保存性を高めるという事が上げられます。米は本来は種子である事から、胚芽が付いたままで水分や気温などの条件が整うと発芽してしまいます。特に日本は温かく湿度がある事から、長期保存を考えた場合、胚芽の存在は思わしくないと考える事ができます。
また糠には油分が含まれ、糠油は酸化しやすい事から、玄米のまま放置しておくと酸化した油脂の臭いが発生し、臭いを吸収しやすい米に酸化臭が移って風味を台無しにしてしまいます。収穫後、精米する事で風味を守るという意味もあります。
精白を行う第二の理由として、米を食べやすくするという事も考える事ができます。玄米は白米となる胚乳の部分の回りに糠の層があり、糠は胚乳よりもはるかに硬く、油分を含んでいて水分を通しにくい事から、通常の炊き方ではアルファ化が充分に行われず、ぼそぼそとした食感で消化も悪く、主食としての役割を務めるには少々辛いものがあるとも言えます。
糠の層を取り除いた事で淡白な味となり、さまざまな料理との相性も良くなります。和食の繊細な味わいは主食を白米にした事による影響も大きいと考えられます。
そうした事情から精白が行われてきた事は理解できるのですが、最近では玄米を美味しく炊く事ができる炊飯器や玄米を炊く事に適した圧力鍋もあります。流通や保存の技術も上がり、糠油を酸化させずに食卓まで届ける事ができるようになって精白しなければならない理由はなくなってきていると思えます。そうなると玄米を食べる事について改めて考えてしまう事となってしまいます。
第1418回 決闘の真実
2010年02月05日
子供の頃、往年の名優C・イーストウッドが大好きで、西部劇も大好きなジャンルの一つとしてよく見ていました。西部劇ではクライマックスになると主人公と敵が決闘を行う事になり、互いに腰に下げたガンベルトから拳銃を抜いて撃ち合うという場面になります。
主人公と敵はどちらも銃の扱いに長けている事がそれまでの流れで語られていて、砂埃がまう乾いた風が吹き抜ける中、向き合ったままどちらが先に銃を抜くのかといった緊張感が画面から伝わってきます。
しばらく銃に手をかけたままの睨み合いが続き、教会の鐘などを合図に決まって敵側が先に銃を抜き、敵が動いた事を見た主人公も銃を抜いて敵よりも早く一撃を放ち、決着を着けてしまいます。
主人公の方がわずかに銃の腕が上であった事が勝敗を分けた結果に繋がったように思えるのですが、最近の研究で先に銃を抜くのは不利である事が判ってきました。敵に先に抜かせて撃つ主人公の行動は、実は理に適ったものだったという事になります。
英国バーミンガム大学で行われた人間の反応速度に関する研究では、銃を相手よりも先に抜こうとする意識的な行動よりも、相手の行動を見て本能的に反応する方が速いという結論が得られています。
実際の決闘の場面を想定した実験では拳銃の代わりに押しボタンが使われ、相手よりも早くボタンを押そうとする時間を計測し、自らの意思で相手よりも早くボタンを押す場合と、相手の動きに反応して反射的にボタンを押す場合の時間に0.02秒という違いがある事が確認されています。
意識的な行動よりも反射的な反応の方が速いという事が明らかにされたのですが、毎回先に抜こうとする敵側の行動を卑怯に感じていた身としては、実は主人公は有利な選択をしていたという事には少々戸惑いを感じてしまいます。
今回、意識的に行動する場合と本能的に外部の動きに反応する場合の二つの速度を計測したのは初めての試みという事なので、西部開拓時代の主人公はそのような事など知らなかったとしておきたいと思ってしまいます。
第1417回 免除の家系
2010年02月04日
節分を終え、今年はどれだけの渡辺さんが豆まきをしたのだろうと考えてしまいます。厄災をもたらす邪気の象徴でもある鬼を福豆を使って追い払うという節分の豆まきですが、渡辺という苗字の家庭では豆まきをする必要がないと言われます。
渡辺姓の家庭で豆まきが必要ない理由としては、古く平安時代中期の武将、渡辺綱(わたなべのつな)にまで遡ります。渡辺綱は正式な名乗りは源綱(みなもとのつな)と言い、武蔵国嵯峨源氏の流れを汲む、源頼光配下の頼光四天王の筆頭として剛勇で知られた人物でもあります。
渡辺綱については数々の伝説が伝えられており、鬼に関しては源頼光と四天王で酒盛りをしていた際、羅生門に出没する鬼の話になり、一人ずつ羅生門へ行って肝試しをする事となったところ、渡辺綱が羅生門へ行って帰ろうとした時に何者かに兜を掴まれ、太刀を抜いて掴んだ腕を切り落とした話や頼光の使いに出され、一条戻り橋で出会った美女に姿を変えた鬼に襲われ、鬼の腕を切り落とす話がよく知られています。
いずれの話も切り落とした腕を取り返しに渡辺綱の乳母に姿を変えた鬼が渡辺綱のもとを訪れ、手柄の鬼の腕を見せてほしいと懇願して仕方なく見せた瞬間、鬼に姿を変えて腕を持ち逃げするという場面に繋がり、腕を取り返した鬼は大江山へと逃れて行きます。
そうした武勇伝から鬼にとって渡辺という姓は鬼にとって恐怖の対象となっており、節分にわざわざ豆まきをしなくても渡辺家には近付かないという伝承が残されています。
しかし、まったく逆の意見も聞かされた事があり、鬼が復習の機会を狙っている事から、一般の家庭よりも念入りに多めの豆をまかなければならないとしている渡辺家もあると言います。
渡辺綱によって腕を落とされた鬼は名前を茨城童子と言い、大江山に住む酒呑童子の家来であったとされます。酒呑童子は後に源頼光によって討たれ、その際茨城童子も他の鬼達と共に成敗されてしまいます。
討伐の大将である源頼光よりも鬼達を後々の子孫に至るまで畏怖させ続けた渡辺綱の武勇とは如何なものであったのかと、平安の物語に思いを馳せながら自分だったら必要ないと言われても楽しい年中行事である豆まきをやってしまうのだろうと考えてしまいます。
第1416回 豆まき作法
2010年02月03日
立春の前日は節分です。節分は文字通り季節の分かれ目、移り変わりを意味する言葉で、立春だけに限らず立夏、立秋、立冬の前日という一年に4回の節分があります。その中でも特に大切にされたのが立春の前日の節分で、立春によって新たな一年を迎える事を考えると大晦日に当たる重要な日となっています。
節分には、一年の締め括りの日に邪気を払い、新たな年を迎えるという事から「追儺(ついな)」と呼ばれる行事が行われており、今日でも節分というとすぐに思い浮かぶ「豆まき」はこの追儺に由来するものと言われ、追儺の儀は悪鬼や疫癘(えきれい)を払うものとして陰陽師によって宮中で盛大に行われていた事から、それなりに作法があるとされています。
豆まきに欠かせない物というと、真っ先に大豆が思い浮かびます。何故大豆かと言われると、陰陽師が行う陰陽五行の考え方に由来していて、自然の道理を木、火、土、金、水の五元素に分けた中で大豆はその固さから金に分類されます。
金には硬さや厄災を象徴する意味があり、鬼を指す意味もあります。鬼をイメージさせる物に金棒の存在がありますが、金棒自体も金を表す物と言えます。
金を象徴する物である大豆を火で煎る事から、鬼を射るという意味に通じるという事で、豆まきに使用する大豆は必ず煎った物を使わなければならないという決まりがあり、豆まきの後、回収し忘れた大豆が煎りが浅かった事から芽を出してしまう事は不吉とされています。
煎った豆は「福豆」とも呼ばれ、特別に縁起が良い物とされます。その福豆に特別な力が宿るように。豆まき用に煎った大豆は神棚に御供えします。神棚がない場合は、目線よりも高い位置に白い紙を敷いて御供えすると良いとされ、あらかじめ豆を準備した状態で豆まきの時を待ちます。
豆まきを始める時間は、鬼がやってくると考えられる真夜中に近い時間が良いとされ、夜の家族が揃う時間帯に行います。一家の幸せを願う行司でもあるので、家長や厄年の人、干支を迎えた年男などを中心に家族全員で賑やかに行う事が大切です。
家の奥の方から窓を開け、外に向かって「鬼は外」と2回豆をまき、鬼が戻って来ないように窓を閉めてから「福は内」と室内にまき、それを順番に行いながら最後は玄関で豆をまいて家中の鬼を追い出します。
豆まきが済んだら、一年の無病息災を願いながら自分の年齢分の豆を食べますが、数え年のために実年齢よりも一つ多めに食べる場合もあります。
こうして豆まきは終えられますが、もう一つ追加の行事が行われる事もあります。福豆を12個並べて囲炉裏などにくべ、焼け具合を観察します。豆が白い灰になったら晴れ、黒く焼け焦げたら雨、転がってしまったら強風などと豆が並んだ順番の月でおおよその天気を占う「豆占い」も行われていました。
まかれた豆は全部回収し、散らばった鬼を全部捕まえるという事でより縁起が良くなると言われます。宮中行事であった事からどことなく雅やかで、それでいて一年間の健康と幸せを願い、天候の予測を豆に託すという素朴さ。豆まきが時代を超えて行われている所以のようにも思えます。
第1415回 安全向上
2010年02月02日
かつてペット、特に犬や猫はその日のご飯の残りなどの人の残り物をエサとして与えられていました。最近ではそうした週間はなくなり、専用のペットフードを食べているという事が多くなってしまったのではないでしょうか。
犬や猫を例にとると人間とは食性が違い、犬は雑食に近い肉食、猫は肉食となっていて、雑食の人間とは必要とする栄養のバランスに違いが生じてしまう事は容易に想像する事ができます。実際、ペットフードが普及するようになってから、犬や猫の寿命は確実に伸びてきています。
残り物を与えない事から経済的な負担は増えますが、手軽に与えられるという便利さと栄養のバランスがある程度確保されているという点では、ペットフードは便利でありがたい存在ではあるのですが、人が食べる物ではないとして生産されるという部分に一抹の不安を感じずにはいられないという一面も持ち合わせています。
以前はペットフードに関する法律がなく、野放図という印象があったのですが、昨年の6月1日から「愛がん動物用飼料の安全性の確保に関する法律」(ペットフード安全法)が施行され、ペットフードの安全性の確保が行われ、ペットの健康を害するようなペットフードの製造や輸入、販売が禁止されています。
消費者に対しても充分かつ適切な情報の提供が行われるように製造業者名の明記や賞味期限の表示が義務付けられ、国は国内に流通するペットフードの監視を行い、問題が生じた場合は即座に回収や廃棄を事業者に対して命令できるようにもなっています。
原材料に関しても有害な物質を含んだり、病原性のある微生物に汚染されている、もしくはその疑いがある原材料の使用の禁止や加熱や乾燥する際、微生物の除去を充分に行える方法を採る事。猫用のペットフードにプロピレングリコールを使用してはならない事などが定められています。
使用する添加物についても表示する義務が定められていますが具体的な規定は設けられておらず、きちんと表示する事が求められていますが、表示さえすれば添加物を使用する事自体は法律に抵触しない事となっています。
添加物の使用についてはペットフードの製造業界の自主規制があるとの事で、日本の「食品衛生法」や「飼料安全法」、米国のAAFCO(全米飼料検査官協会)やEU(ヨーロッパ連合)のFEDIAF(ヨーロッパペットフード産業同盟)などで使用が認められ、安全性が確認された物のみ使用すると定められていると言います。
安全性の確保という事で一歩前進した感じのペットフードですが、全ての原材料が表示され、添加物の使用に関しては業界の自主規制に任せるという状態なので、選ぶ側の意識という事も問われるのかもしれません。ペットは大切な家族の一員、その思いが安全を確保する重要な要素となってきています。
第1414回 付臭脱臭
2010年02月01日
プロパンガスを使っていると、ガスボンベの残量が少なくなってきた事が微かな炎の臭いで判ります。残量が少なくなった事で、下の方に沈殿していた臭いの成分が出てきたためと勝手に考えているのですが、毎回の事ながら独特なガスの臭いには、よくここまで特有のものを作れたものだと思ってしまいます。
もう過ぎてしまいましたが12月29日は記念日にこそなってはいませんが、このガス特有の臭いが始まった日でした。今から半世紀以上も前の1957年の事、ガスに臭いを付け始めたのが12月29日の事です。
本来、家庭用の燃料とされているプロパンガスや液化天然ガスには臭いがなく、何らかの理由で漏れてしまった場合、気付くのが遅れてしまって中毒事故を起こす可能性がありました。
プロパンガスや液化天然ガスを使い始める前に使われていた石炭ガスには特有の臭いがあり、漏れてしまっても気付く事ができたので、無色無臭のプロパンガスや液化天然ガスにも臭いを付ける事で、ガス漏れを検知しようという発想からガスに臭いを付けるという事が始められています。
ガスに臭いを付ける作業は付臭と呼ばれ、そのために用いられる素材として付臭剤が使われています。付臭剤に求められる用件は、空気で1000倍に薄めても判るような独自性を持っていて、明らかなガス漏れという危機感を感じるもの。強烈でありながら、臭いによってパニックを起こさないようなもの。付臭剤自体に危険性がなくて完全燃焼し、燃焼した際は臭いを生じない事などが必要とされます。
そうした要件を満たすものとして使われているのが、かつて燃料として使われていた石炭ガス特有の臭いの素であるテトラヒドロチオフェン、腐ったタマネギや卵の臭味の素となっているターシャリーブチルメルカプタン、ニンニクの臭味の一つジメチルサルファイドなどの聞くからに強烈なものとなっています。
付臭剤の働きによって私達はガス漏れにいち早く気付く事ができ、より安全にガスを使用する事ができます。しかし、この付臭剤、この先、少し困った存在となる可能性が出てきています。
家庭用の燃料電池の普及が言われるようになってきていますが、その燃料としてプロパンガスや液化天然ガスが上げられています。燃料電池はそうした燃料から電気を取り出す際、触媒の力を必要とします。付臭剤は硫黄化合物である事から、触媒に悪影響を与えてしまいます。
将来的に従来のプロパンガスや液化天然ガスを使用する場合、脱臭剤で事前に処理する必要が生じる事が考えられます。燃料電池が家庭の一部となった頃、定期的に脱臭フィルターの掃除をしなければ...と考えると今から遠慮したいものを感じてしまいます。
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