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第1611回 格差嫌い     2010年11月30日

 最近は脳に関するスキャン技術が発達し、さまざまな感情に関する脳内の活動領域の分析や、脳の状況に応じた潜在意識の分析なども進んできています。

 脳のその時に応じたリアルタイムの状況が判ってきた事で、感情や思考についてどの領域がその働きを担い、その領域の状態を見る事でその時の被験者の状況を知る事ができるようになっていて、そうした働きを元にした興味深い研究結果も多数、発表されています。

 先日、発表されていた研究に興味深いものがあり、その結果を面白く見ていました。これまで人とは利己的な存在で、得られる限りの快楽を求めるように作られ、それによる競争によってより優秀な遺伝子が残されるようにプログラムされた生き物であると考えられてきました。

 しかし、実際はそうではなく、人は格差を好まない傾向があるといいます。カリフォルニア工科大学の研究チームによると、被験者40人に対し、中が見えないようにした容器からラベルが貼られたピンポンのボールを取り出し、半分に「豊か」、半分には「貧しい」という指定を行います。

 豊かとされた被験者にはすぐに50ドルが与えられ、貧しいとされた被験者には何も与えられません。その後、被験者全員の脳スキャンが行われ、報酬として5〜20ドルが全員に支給されました。

 まず最初に発見されたのは、貧しいと判定された被験者が20ドルの報酬を得た際、豊かと判定されて50ドルを得た被験者よりも脳の報酬に関する領域の活動が大きい事が判り、持たざる者が報酬を得た事で、より大きな喜びを感じた事が裏付けられています。

 次に判ってきた事はある意味、奇妙な現象といえるもので、豊かと判定された被験者グループが面識もない貧しいと判定されたグループに20ドルの報酬が支給されたと聞いて、自分たちが報酬の20ドルを受け取った際よりもより大きな喜びを感じていた事で、人は不公平に対する自然な嫌悪感が存在すると推測されています。

 過去に行われた実験では、最初に報酬をめぐって被験者同士を争わせると、公平な結果を求める気持ちは劇的に低下する事が確認され、自らの能力と報酬という形で不公平を理由付けできる状況が存在すると、不公平は正当化される事も判っています。

 二つの結果が示している事は、人は能力や努力を正当に評価されたい反面、極端な格差を嫌う傾向にあり、一人勝ちを望まない事が判ってきました。「勝ち組」「負け組」という言葉が一般化していますが、人はそれを明確にする事を望んでいない事に救われた気がしてしまいます。


 



第1609回 寿司考(2)     2010年11月26日

 発酵を利用した保存食としてはじまった寿司の歴史ですが、酢の登場により発酵、保存という現在の寿司からはあまり連想しにくい世界から離れ、新鮮な魚介類の美味しさを堪能するものへと変化していきます。

 発酵食品でもある「成れ寿司」から変化した「早寿司」は、現代では「押し寿司」「棒寿司」と呼ばれる物に近く、素材の保存性を高めるために何らかの処理を施した素材に酢飯を合わせて成型して切り分けた物で、今日、寿司といった際に連想される「握り寿司」が登場するには、江戸前の寿司文化の成立を待つ事となります。

 江戸前の握り寿司の登場は19世紀のはじめとされ、寿司の歴史から考えると意外と近代の事と驚いてしまいます。当時の江戸には屋台という食文化が発展し、流行していました。その屋台で早寿司から発展した物として「握り寿司」が登場しています。

 酢で味付けをしたご飯に江戸前と呼ばれた東京湾で獲れた新鮮な魚介類の切り身のネタを乗せ、手軽に食べられるファーストフードとして登場した握り寿司ですが、当時の握り寿司は今よりも大きく、テニスボールほどの大きさがあったとされ、あまり食べやすい物ではなかったかもしれないと、現代の寿司と比較すると考えてしまいます。

 後に大きな握り寿司は食べやすい大きさ切り分けられ、それが握り寿司が二つを一単位として出される元になったとされます。

 切り分けられた大きさについても、単純にそれまでの物を半分にした、粋にさっと掴んでしょうゆを付け、一口で食べられる大きさにしたというのではなく、時間をかけて洗練されて今の大きさになったとされます。

 握り寿司の標準的な大きさは2寸5分程度とされ、それは日本人の寿司職人の手に収まりがよく、きれいに握れるだけでなく、舌先3寸と言われた舌の上に上手に収まり、ネタと酢飯が一緒になった寿司の美味しさを最大限に味わえる適切な大きさとされます。

 最近、寿司ネタは大きくなり、酢飯を通り過ぎて下の皿に接地してしまうほどになっている物も多く、それをちょっとした贅沢のように見てしまいますが、本来の寿司という食文化においては、美味しさと美しさの追求に逆行する物なのかもしれないと思ってしまいます。


 



第1608回 寿司考(1)     2010年11月25日

 寿司というと和食の代表格ともいえ、日本の食を代表する存在とも言えます。しかし、寿司の歴史を辿っていくと寿司の歴史は古く、意外にもその起源は日本ではない事に驚かされてしまいます。

 寿司の起源は紀元前4世紀にまで遡るとされ、東南アジアにおいてはじまったと言います。当時、作られていた寿司は料理の一環ではなく、食品を保存するための手法の一つであったと考えられます。

 良質にして貴重なタンパク源である「魚」を保存する際、鮮度が落ちやすく、保存が難しい魚という食材を長期にわたって保存するために、米の中に塩で味付けをした魚を漬け、米の自然発酵を使って保存性を高める「なれずし」が作られていました。

 数十日から数ヶ月の後、保存した魚を取り出し、米は捨てられてしまうので、今日の米が中心となった寿司とは随分と趣の異なる物であった事が伺えます。

 寿司の製法は中国へも伝えられ、その後、中国経由で日本へも奈良時代に伝えられています。当初は魚の保存法としての製法が守られていたのですが、米を大切に考える日本人は魚だけでなく米も一緒に食べる「生成寿司(なまなれずし)」を考案し、室町時代の後期には盛んに作られるようになっています。この段階で寿司は保存食から料理へと変わったという事ができます。

 それまでは米の自然発酵によって「酸」を発生させて保存性を高めていた寿司ですが、室町時代の後期、酢の製造が一般化すると様相が一変し、米は発酵のための物ではなく、発酵によって酸味を発生させなくても米に酢を混ぜる事で酸味のある「酢飯」を作る事ができ、酢飯を使った「早寿司(はやずし)」が広く作られるようになっていきます。

 もともと海に囲まれ、魚介類の鮮度にこだわりのある日本人にとって、保存されていた物ではなく新鮮な状態の魚介類を使う早寿司は急速に受けいれられていき、寿司の主流を占めるようになっていきます。とはいっても当時は冷蔵設備はほとんど存在しない状態にあり、早寿司に使われる魚介類も保存性を高めるために酢でしめたり煮る、しょうゆに漬けるといった工夫が見られ、今日のコハダやアナゴ、マグロなどの「づけ」の原形がこの時期に完成したと考える事ができます。


 



第1607回 潜り守るもの     2010年11月24日

 以前から何となく不思議に思っていた事があります。日本では店の入り口に「暖簾(のれん)」が掛けられ、それを手で押し退けたり、潜ったりして入店します。どことなくその一手間がが不便なように思え、お客さんの速やかなアクセスという点ではマイナスの存在ではと思えます。

 店側としてもこれから来店しようとするお客さんの状況を掴み辛く、デメリットもあるのではと思うのですが、「暖簾を守る」「暖簾を分ける」「暖簾に傷を付けない」と暖簾には重要な意味がある事が伺えます。

 暖簾の歴史については想像を絶するほど古いとされ、縄文時代にまで遡るとされます。当時は竪穴式住居が主流であり、戸口から吹き込む風を制御する物が必要となっていました。

 戸口に扉を設置すると家は閉ざされてしまい、それを避けるには扉とは別な何かが必要となります。そう考えると戸口に吊るされる暖簾は風やほこりの侵入を防ぐ理想的な存在であり、単純な作りではありますが、外と屋内を隔てるには便利な物となっていた事が考えられます。

 そんな暖簾の存在は家屋の形態が大きく変化しても変わらず残されていた事が平安時代の絵画でも確認され、暖簾と庶民の暮らしが密接な関わりを持っていた事が伺えます。

 その後、室町時代に入ると暖簾には店の屋号や取扱商品などを示す文字が染付けられるようになり、それまでとは少し違ったディスプレーとしての役割が生じてきます。

 その傾向は江戸時代に入るとさらに強まっていき、背景には寺子屋が発達して庶民の間でも識字力が向上して、暖簾に描かれた文字を見て店の事を理解できるようになった事が考えられます。

 当時、そうした暖簾のディスプレー効果は絶大なものがあったようで、越後屋(現在の三越百貨店)の三井八郎右左衛門は、屋号を入れた暖簾で知名度を高め、商いを大いに発展させたとされています。

 現代では建物の空調をはじめとした空気の流れは上手にコントロールされ、暖簾の機能的な部分は必要なくなってきたともいえますが、店としての存在感のアピールや暖簾によって外部と遮断し、内部に別世界を展開するという意外性の演出には不可欠な存在のようにも思えます。

 暖簾によって日差しを遮り、室温の上昇を抑える事も可能なので、エコという面からも暖簾の機能性は注目を集めています。日本の伝統文化でもある暖簾は、これからも庶民の暮らしに欠かせないものとなっていくのかもしれません。


 



第1606回 色細菌     2010年11月22日

 最近、非常に興味深い発見の報告を目にしました。ヨーロッパに生息するアブラムシの一種が、特定の細菌に感染する事で体の色が赤から緑へと変化する事が報告されています。

 産業技術総合研究所と理化学研究所、フランス農業研究所による研究チームによると、生物の体に色の体内に共生する細菌が関与する事が明らかになった事は世界初という事で、共生について新たな働きが判ってきた事にもなります。

 今回、判った事としては、リケッチエラ属の細菌、「エンドウヒゲナガアブラムシ」は体内で緑色の色素を増やす働きをするらしく、本来は赤い色をしているはずの体色を緑に変えてしまうという事でした。

 今回の報告に関するメカニズムが解明されれば、生物による色素の効率的な生産や、生物の色を変える技術の開発に繋がる可能性があるとされます。

 微生物との共生については、腸内細菌による腸管免疫の存在など、健康を確保する上で無視できないものがあります。体の色素にまで影響する事が明らかになれば、「美白は腸から」という新たな美容の方向性が確立される事にもなり、プロバイオティクスなども新たな方向性を持つ事と、興味深く見てしまいます。


 



第1605回 石垣と鬼     2010年11月19日

 当地、熊本にはサツマイモを使った素朴なお菓子、「いきなり団子」があります。最近、全国的に知られるようになってきたいきなり団子ですが、同じようにサツマイモを使ったお菓子として、隣県大分には「石垣まんじゅう」があり、熊本でも売られている事から、親しみのある素朴なお菓子となっています。

 石垣まんじゅうは大分県の郷土菓子で、小麦粉の生地に角切りにしたサツマイモを混ぜ合わせ、ペーキングパウダーを使ってふっくらと焼き上げられる事から、まんじゅうというより蒸しパンの一種のように思える事もあります。

 ゴツゴツとした角切りのサツマイモがむき出しとなった姿が、石垣と呼ばれる所以となっている事が伺え、うまいネーミングだと思ってしまうのですが、同じサツマイモの角切りと小麦粉の生地を使ったお菓子に名古屋の郷土菓子、「鬼まんじゅう」があります。

 サツマイモを使ったお菓子は全国各地に見られますが、鬼まんじゅうは名古屋周辺で昔から作られている家庭のおやつで、角切りにしたサツマイモのゴツゴツした感じが石垣ではなく鬼を連想させる事から「鬼まんじゅう」の名前が付けられているとされます。

 角切りのサツマイモを石垣の石と感じるか、鬼の角のように感じるかの違いのように思えますが、実は石垣まんじゅうと鬼まんじゅうには、明らかに異なる材料があります。

 それは膨らし粉として使われるベーキングパウダーで、石垣まんじゅうでは膨らし粉を使ってふっくらと蒸しパンのように仕上げられる事に対し、鬼まんじゅうでは膨らし粉を使わず、餅のような質感に仕上げられています。

 素朴なお菓子ですが、そうした微妙な違いが地域性を分け、郷土菓子として成立する元となるのかと、意外な部分に食文化の奥深さを感じてしまいます。


 



第1604回 文化高低     2010年11月18日

 日本でも完全に定着したフランス語のお菓子作り職人を指す言葉、「パティシエ」ですが、最近では細分化されてきてお菓子職人の中でも特にチョコレートを専門にした職人を、「ショコラティエ」と呼ぶようになってきました。

 パティシエの本場、フランスでは発達したお菓子文化を背景に、さまざまな名称で呼ばれる職人がいます。チョコレート職人はショコラティエと呼ばれ、お菓子作りには欠かせない果物の砂糖漬けやジャムなどを作る職人は、「コンフィズュール」と呼ばれます。

 ケーキやお菓子とは趣が異なりますが、アイスクリームなどの氷菓子を作る職人は「グラシエ」と呼ばれ、パンを焼く職人は「ブーランジェ」と呼ばれます。日本ではアイスクリームを作る職人というと、あまり存在が確認できないような感じがするので、フランスの発達したお菓子文化が伺えるように思えます。

 お菓子に関係した製菓部門では、パティシエ、グラシエ、ショコラティエの3部門でメイユール・ウーヴリエ・ドゥ・フランスという称号が設けられ、3〜4年に1度、厳しい国家試験が行われています。

 メイユール・ウーヴリエ・ドゥ・フランスはM.O.Fの略称で呼ばれ、日本でもM.O.F職人のケーキ店やチョコレートショップが増えてきているので、やがて一般的に定着していく事と考えられます。

 M.O.Fというと、「国家最優秀職人章」の意味があり、認定された職人はクックコートの襟にフランスを象徴する青、白、赤のトリコロールの刺繍を入れる事が許されます。日本では最高技能を持つ職人という事で、「人間国宝」に相当すると考えられるのですが、アイスクリームを作る人間国宝に少々抵抗を感じてしまうのは、洗練されたお菓子文化に触れていない証拠なのかもしれないと思ってしまいます。


 



第1603回 朝のコントロール     2010年11月17日

 昔ほどではなくなったとは言われますが、糖尿病の方の食事制限は大変な事だと考えてしまいます。1日を通して全体的な血糖値を下げる事に重点が置かれ、1日あたりの摂取カロリーは1600kcal以内という厳しい数値的制限が行われていました。

 肥満が糖尿病の症状を助長してしまう事から、極端な低カロシー食が行われ、そのために「糖尿病食は味がない」「糖尿病食はコクがない薄っぺらな味がする」といわれてきました。確かに甘味をはじめとした調味料や味にコクを加える脂質はカロリーを上げてしまうので、低カロリー食を作る上では大敵となってしまいました。

 最近の血糖のコントロールは、食後の血糖値の急速な上昇を抑える事に重点が置かれ、急速な上昇を緩やかにする事を意図する事から食事療法はかつての大変さが軽減されたといえます。

 生活習慣も血糖値のコントロールには重要な事が判ってきていて、朝食の時間を早くする事で、より効果的な血糖のコントロールができる事が判ってきています。

 朝起きて、食事を摂るまでの時間を短くする事で、血糖値のコントロールを有効にできる事は、他の対策よりも簡単にできて有効な手段となりえるのではと思えます。

 通常、血糖値は食後に大きな上昇を見せ、その後、ホルモンのインシュリンによって徐々に下がっていきます。朝起きて何も食べない状態が続くと、活動エネルギーを確保するための飢餓ホルモンが分泌され、脳や赤血球のエネルギー源となる血液中の糖分を増やす働きが行われます。

 朝起きて、時間を置いてから食事をすると。血糖値が上った状態で食事を行い、そこから血糖値は更に上昇する事が考えられ、血糖値のコントロール上、好ましくない事が判ってきています。

 朝という時間はとにかく慌しく、あっという間に時間が経過してしまいます。そんな朝の過ごし方を見直すだけで、血糖値のコントロールがはかれるだけでなく、ダイエットにも有効と思うと、朝という時間を見直さなければと思ってしまいます。


 



第1602回 鰹節パン?     2010年11月16日

 「鰹節パン」という不思議な食べ物があります。パンのバリエーションが無数に展開されている今日では、トッピングに鰹節を使ったパンは珍しくなく、むしろ鰹節だけではパンの特徴を際立たせるには少々力不足な感じもしてしまいます。

 しかし、鰹節パンには鰹節は使われておらず、それではどこが鰹節?と思ってしまいます。鰹節パンの鰹節たる由縁はその形状にあり、その歴史は1865年にまで遡るといいます。

 1865年というと、当時は幕末とはいえ江戸時代。江戸幕府はフランスの進んだ造船技術を導入するために、フランスから造船技師を招いています。その造船技師達によって原型となるパンの製法が伝えられたのが鰹節パンとされます。

 当時、伝えられたのは鰹節に似た形状が特徴となっている小型のフランスパン、「クーペ」の事だと考えられます。「クーペ」とはフランス語で「切る」という意味があり、硬い皮に1本の切り込みが入って焼き上げられています。

 その頃、幕府はフランスの影響を受け、討幕派の薩長連合はイギリスの影響を色濃く受けていました。結果的に薩長連合の勝利を受け、後の海軍はイギリスの影響を受ける事となり、食事用のパンは型にはめて焼かれるイギリスパンが主流となっています。

 それから時は流れて第二次大戦後、物資が不足した日本ではアメリカの小麦粉の支援を受けてパン作りが行われるようになっています。その際、行われたのが切り込みこそ入っていませんが、フランスから伝えられた「クーペ」の形状とイギリスパンの生地を併せ持つ、日本独自のパン、「コッペパン」でした。

 イギリスパンの系統にありながら、形状だけはフランスパンの流れを汲むコッペパンは、学校給食に採用された事もあり、急速に市民権を得ていきます。どこか懐かしいコッペパンですが、日本独自の食文化となると余計に思い入れが深くなってしまいます。


 



第1601回 米は危険?     2010年11月15日

 米離れと言われるようにってから久しいように思えますが、それでも米は日本人の主食となっています。米は栄養価に富み、良質のデンプン源でありさまざまな料理に合うという主食として充分な機能を果たしています。

 本来、米に含まれるデンプンは、「β」と呼ばれる状態にあり、食べても旨味が感じられずに美味しくなく、ほとんど消化されません。それが炊飯によって加水と加熱が行われる事により、デンプンは「α」と呼ばれる状態になり、旨味に満ちて消化が良い状態に変化します。

 炊飯によって「α化」し、消化に優れた状態になる米のデンプンですが、デンプンは消化され、ブドウ糖へと変わる事を思うと、米飯が血糖値を上げやすい食品であるという事には納得してしまいます。

 最近、厚生労働省が行った大規模調査で、米飯をたくさん食べる習慣がある女性は、あまり米飯を食べない女性と比べて、糖尿病になる可能性が高い事が判ったという衝撃的な調査結果が発表されていました。

 調査は全国8県に住む45〜74歳の健康な男女、6万人を対象に5年間の追跡調査として行われています。摂取カロリーや栄養のバランスの個人差を調整して米飯だけの影響を分析した結果、白米だけの米飯を1日あたり3杯食べる米飯好きの女性は、1日に1杯程度しか食べない女性に比べて、糖尿病を発症する危険性が1.67倍ほど高かった事が判っています。

 1日に4杯というかなり米飯を食べる女性の場合、危険度は1.81倍に高まる事が観察され、麦をはじめとした雑穀を混ぜた場合、危険度は若干下がる事が観察されていますが、傾向は変わらないとされています。

 男性の場合、米飯の摂取量による明確な危険度の差は見られなかった事から、米飯のデンプンとしての吸収の良さと、栄養の吸収を助ける女性ホルモンが関係している事を予想してしまいます。

 食後の血糖値の急速な上昇はすい臓に負担をかけ、その繰り返しが糖尿病に繋がるという事も考えられます。今回の研究を受け、米離れが進んでしまいそうな気もしますが、米飯を食べた後、乳製品や酢を摂る事で血糖値の上昇を抑えられる事が最近の研究で判ってきています。

 食べ合わせという古来の知恵をうまく使って、何かを我慢するのではない健康的な生活を実現するのが大切ではと思ってしまいます。


 



第1600回 紙なのに何故?     2010年11月12日

 秋も本格化し、旅行、グルメといったキーワードを多く見掛けるようになってきました。風光明媚な観光地や温泉などを訪れ、美味しい物をいただくツアーや旅館などを紹介する番組も見られ、趣向を凝らした料理に思わず見入ってしまう事もあります。

 そうした料理の中に一人用の鍋が用意されている場面を多く見掛けるのですが、最近ではいろいろと凝った物が多く、一人用の小さな土鍋や鉄鍋はともかく、紙製の鍋が使用されている事も多くなってきました。

 鉄製の専用コンロに金網が乗せられ、その上に紙製の鍋が乗せられていて、中では美味しそうに鍋が煮立ち、下からは一人用の固形燃料が燃やされています。

 固形燃料はガスや炭火と比べると、それほど火力は強いとはいえません。それでも紙を燃やすには充分な火力があり、火にさらされても燃えない紙の鍋という事自体、何か違和感を感じてしまいます。

 料理に使われる紙の鍋に使われる紙は、燃えにくいような特殊な加工は施されておらず、普通紙と比べて違いがあるとすれば、水が染み込んで紙がダメになってしまわないように耐水加工が施されている程度だとされます。

 紙の鍋が燃えてしまわずに鍋としての役割を果たす理由としては、水の沸点が大きく関わっています。通常の旅館であれば気圧は1気圧程度なので、水の沸点は100度であり、それ以上に温度が上がる事はありません。

 具材や調味料が加わる事で、沸点は100度以上に高くなる事は考えられますが、それでも150度や200度を超える事は考えられず、300度に達する事はありえない事となっています。

 紙が燃え出すには300度以上になる必要があり、紙の鍋に水を入れて直火にかけても中の水が沸騰するだけで100度付近の温度にしかならない事から、紙の鍋は燃え出すという事がありません。

 重要なのは、固形燃料の火が広がって、水と接していない部分に触れてしまう事で、水と接していない部分に火が触れると紙の鍋はその部分から燃え出してしまう事となります。

 家庭で紙の鍋を再現したい場合は、水が染み込みにくい厚手の紙を使い、弱火の火力を使用する事。紙の鍋が型崩れしないように金網などを敷いておく事。表面に浮いて沸点を上げてしまう脂の多い食材を使わない事などを気を付ければ、気軽に紙の鍋を楽しめる事と思います。後片付けも楽になる紙の鍋、これからの季節、重宝するアイテムなのかもしれません。


 



第1599回 ジュンドッグ?     2010年11月11日

 ホットドッグというとアメリカの食文化ですが、日本には独自に展開された多彩なドッグ文化があります。そんな日本のドッグ文化の中で、ひと際異彩を放っているのが「ジュンドッグ」ではないかと思います。

 ジュンドッグは旭川では有名だとされますが、全国的な知名度は低く、これからのB級グルメと言われる事もあります。ドッグというからには細長いパンに・・・と思ってしまうのですが、ジュンドッグにはパンは使われておらず、パンの代わりにご飯が使われている事が最大の特徴といえるのかもしれません。

 ジュンドッグはフライにした具材を特性ソースに浸し、ご飯で包んで崩れないように固めた物ですが、洋風のおにぎり、天むすのフライ版、巻き寿司の変形版という感じもしてしまい、すでに「洋風惣菜を利用した食品の製法」として特許も取得されているので、独自性の高さを伺う事ができます。

 ジュンドッグの由来は旭川のレストラン「順平」で最初に作られ、「順平のドッグ」からジュンドッグになったとされ、順平が揚げ物の店であった事から、エビフライやチキンカツ、粗引きソーセージ、シソ巻きのエビなどの具材が揚げ立ての状態で秘伝のタレに絡めてご飯で包まれています。

 具材がご飯で包まれていますが、日本的なスタイルである海苔では巻かれていない事から、見方によってはコンビニの手巻き寿司の本体のようにも思えてしまいます。

 ジュンドッグは元祖となる順平製の物の他、ピジョン館の物が知られています。ピジョン館のジュンドッグは通信販売によるお取り寄せが可能との事ですが、開封した時に崩れてしまったら交換してもらえるというユニークな独自ルールが適応されるのかという不安もあったりします。

 ジュンドッグはかなり熱々でいただくのが良いとされ、温めるのにレンジで2分と言われるおにぎりなどのご飯類では珍しい時間設定に、ジュンドッグの熱さを思ってしまいます。猫舌の私には辛い食べ物と思いながら、ユニークな存在に思わず興味が湧いてしまいます。


 



第1598回 ふわふわ?     2010年11月10日

 有名な話ですが、「卵料理なら毎日違うメニューを作っても1年間、メニューに困らない」と言われるほど、卵の料理には多くのレパートリーが存在するとされます。そんな多彩な卵料理の中で、異彩を放つ不思議な卵料理が「玉子ふわふわ」かもしれません。

 どこか温かい感じがする料理名である玉子ふわふわは、実は由緒正しい料理で、起源は江戸時代にまで遡るとされます。文化10年(1831年)に書かれた文献、「仙台下向記」に大阪の豪商であった升屋平右衛門重芳が、袋井宿の太田脇本陣に宿泊して玉子ふわふわが朝食で供された事が記されています。

 また、有名な「東海道中膝栗毛」にも玉子ふわふわは登場し、将軍家のもてなし料理として紹介されています。当時、全国で食される人気料理であったとされますが、卵の貴重さや料理の格式を考えると、将軍家や大名、豪商しか食せない高級料理であったと考えられます。

 そんな玉子ふわふわが袋井宿があった現在の袋井市観光協会によって復刻され、ご当地グルメとして再現されています。復刻された玉子ふわふわは、袋井の新しい食の名物を作りたいという思いから江戸時代の文献にあった玉子ふわふわに目を付け、しないの料理店の協力を得ながら試行錯誤の末に2006年に完成されています。

 作り方は至って簡単で、カツオ節、シイタケ、昆布の出し汁を1カップ(200cc)用意し、180ccを鍋に入れて塩、淡口しょうゆで味を調え、コショウ少々をふって煮立たせます。

 ボウルに卵1個と出し汁20cc、みりん少々を入れて泡だて器でよくかき混ぜ、滑らかなクリーム状にしておきます。鍋で煮立った出し汁をよく混ぜて火を止め、鍋の縁から一気に卵を流し込んで蓋をして蒸らします。

 上手に仕上げるコツは蒸らす際に蓋を冷まさないように温めておく事で、出来上がったら出し汁ごと器によそって青海苔などを散らしていただくのですが、出し汁の風味と卵の不思議な食感が楽しい一品とされ、奥が深そうな感じはかなりしますが、シンプルな料理でもあるので一度試してみたいと思っています。


 



第1597回 恐怖の解明     2010年11月09日

 一部の心理学者の間では恐怖は基礎的な感情の一つとされ、喜怒哀楽と同じようなものだという意見もあり、なるほどと思ってしまうのですが、通常は恐怖は特定の刺激に対する反応とされます。

 先日、英国ケンブリッジ大学で行われた研究では、人が恐怖を感じる時の対象物の近さや進行方向、対象物への恐怖心の大きさによって脳の反応が異なる事が、毒グモとして名高いタランチュラの映像を用いた実験によって明らかにされていました。

 研究では20名のボランティアの強力を得て、足の近くに置かれたタランチュラが近付いてきたと感じた時の脳の働きをfMRI(機能的磁気共鳴画像診断装置)を用いて測定し、脳内の神経ネットワークの異なる部分が活発になって、さまざまなレベルの恐怖に対する反応が引き起こされている事が突き止められています。

 脳内の「恐怖のネットワーク」と呼ばれる神経ネットワークのさまざまな部分が同時に働き、タランチュラが近付いてきたり、遠ざかって行ったり、近付いては来ていても方向が異なっていたりといったシチュエーションによって、「不安」の領域や「パニック」の領域が活発化する事が観察されています。

 実験前に行った聞き取り調査でタランチュラへの恐怖心が最大クラスの被験者では、実際よりもタランチュラのサイズを大きく思い込んでいる傾向がある事も判り、誤った予測によって恐怖の助長が考えられる事から、恐怖症の仕組を知る鍵となる可能性も出てきています。

 足が多い生き物が苦手な私としては、タランチュラの映像というだけですでに恐怖を感じてしまうので、被験者には不向きと思いながら、恐怖症の解明には役立てそうな気がします。しかし、映像とはいえタランチュラは遠慮したいと思ってしまいます。


 



第1596回 米事情     2010年11月08日

 MAと言われるとM&A(合併と買収)という企業活動や、マスターオブアーツといった学位の事が思い浮かんでしまいます。今回、話題としたいのは、輸入食材に関する事で、MAは「ミニマムアクセス」の頭文字を示しています。

 10月から米に関してのトレーサビリティ法が施行され、来年の7月からは産地情報の伝達が必要となります。米を使った商品には、原料となる米の産地情報が表示される事が義務化され、一般消費者にも米の産地を知る事ができるようになります。

 これまでMA米は業界内の常識として使われてきていました。それがカビが生えた「事故米」として話題になり、不正流通という不安を煽る事となって一般的にはあまり良いイメージでは捉えられていません。

 ミニマムアクセスによって輸入される米には、米国、中国、タイ産がほとんどを占めるとされ、米国、中国が主食に使われ、タイ産は加工食品用が多いとされます。

 MA米の用途としては「味噌」や「米菓」が上げられ、加工食品の味噌の分野では、タイ産の米は非常に優れた素材となっているとされます。不安の中で始められたミニマムアクセスではありますが、品質に応じた用途が展開され、今では日本の食に深く根ざしているともいえます。

 来年の本格施行に向け、あまり時間があるとは言えませんが、コスト面を含め消費者の混乱を招かない状態で、より良い原料の選定を行える事を願っています。大好きな煎餅の値上げだけは願い下げにしたいと思っています。


 



第1595回 肥満?痩せ?     2010年11月05日

 年齢的に代謝が落ちてくる頃ではあるのですが、体重増加の理由をストレスに求めてしまいます。ストレスは体重の増加に繋がるという事は、広く定説として信じられていますが、実はそうでもないという研究結果が英国の研究チームによって発表されていました。

 研究チームは、これまでに発表されたストレスと体重の増加に関する研究を分析し、体重の増加とストレスレベルの関係ははっきりしないとする研究結果が全体の69%を占める事を突き止めています。

 全体の25%がストレスが大きいと体重の増加も著しいという内容の研究であった半面、6%はストレスが大きい方が体重の増加が少ないとする研究結果が得られていたとされます。

 研究チームは今回の結果を踏まえ、ストレスと体重増加の関連性は低いと結論付けていますが、ストレスによって体重が増加する人と、体重が減少する人の存在が研究を難しくしていると思えます。

 ストレスがかかると大脳が視床下部にストレス情報を送り、視床下部からストレスに対抗するための物質、ノルアドレナリンやアドレナリン、コルチゾールなどが分泌されます。

 コルチゾールにはストレスを緩和する働きがありますが、脂肪を体内に蓄積する働きもあり、その作用によってストレスによる肥満が起こるとされ、また、ストレスがかかった脳を安心させるために、脳の直接の栄養となるブドウ糖の素となる糖質を多く摂ってしまう事も肥満に繋がると考えられます。

 逆にストレスがかかる事で自律神経が視床下部にコントロールされるようになり、それまでとは違った状態となる事から、自律神経の不調による食欲不振のために痩せるとされ、また、血行が悪くなり、胃粘膜の修復能力が低下する事も食欲不振に繋がってしまいます。

 同じストレスという状況下でも全く正反対の結果に繋がる働きが存在する事から、研究が難解になっているのではと思ってしまいます。単純な方法論では確保できない健康というものの奥深さに通じる研究結果でもあります。


 



第1594回 下りゆく物     2010年11月04日

 時代劇を観ていると、よく江戸の庶民が酒を飲んでいます。そんなに江戸庶民は酒を飲んでいたのかと思ってしまうのですが、残されている興味深い数字として幕末の江戸では「下り酒」と呼ばれる上方から送られてくる酒が90万樽、江戸近郊で作られた酒が15万樽、焼酎が3万樽という酒量が年間に消費されていたとされます。

 当時の江戸の人口が100万人とされる事や、1樽が3斗6升という量であった事を考えると、1日に1人当たり2合(約360cc)となり、総人口に子供や女性が含まれる事を考慮すると、倍近い1人当たり4合という量が消費されていた可能性も充分にありえます。

 それだけの酒量が消費されていた江戸の街ですが、江戸近郊で作られていた酒は、どちらかというと調味料として利用される事が多く、飲酒の中心は上方からの下り酒がほとんどとなっていました。

 江戸近郊では醸造技術が進んではおらず、どぶろくに近い濁り酒が造られていた事に対し、伊丹や灘といった上方では諸白と呼ばれる澄んだ清酒が造られていた事や、樽廻船と呼ばれる船舶を用いて輸送される途中、樽に使われている木の香りが酒に移り、熟成が進んでより美味しい酒になる事が上方からの下り酒が好まれた理由として考えられます。

 上方には良質な米やミネラルが豊富な水、優れた酒造技術を持った丹波杜氏の存在という好条件に恵まれ、摂津、伊丹、池田、灘といった酒造地帯が形成されていました。特に灘では水車を使った大規模な精米や、寒仕込みによる高品質な酒が大量生産できるようになり、樽廻船による流通経路の整備が進むと海に隣接した立地を活かし、江戸時代の後期には江戸の酒市場を独占するほどに成長します。

 酒に限らず、江戸の前期頃は文化的、技術的に上方の方が優れている物が多く、それらは上方で製造されると一大消費地である江戸へと下っていきました。今日でも取るに足らない物事を「くだらない」と評しますが、江戸へ送る「下り物」にする価値がない物、「下らない物」という評価の名残が伝えられているとされます。下り酒という言葉はあまり聞かれなくなりましたが、下るに値しなかった「くだらない」という言葉だけが残っているというのも皮肉な感じがしてしまいます。


 



第1593回 幸せメニュー     2010年11月02日

 海軍と食に関する話題をもう一つ。高校の頃、定年間近の数学の先生が戦争経験者で、海軍は物資が運びやすいので食糧事情も良いと聞かされた事があります。確かにそうだと思いながら、海軍の食というとどのような物があるのだろうと考えてしまいます。

 搭乗する料理長の得意分野がある事も考えられ、各艦ごとに特徴のあるオリジナルメニューがあったようなのですが、有名なところでは戦艦大和の士官用オムライスや戦艦伊勢のクラムチャウダー、給油艦隠戸のロールキャベツなどが知られています。

 そんな多彩な海軍のメニューの中で特に人気があった物に、意外な物があります。そのメニューとは小豆を使った甘味の「ぜんざい」で、海軍とは程遠いイメージに違和感すら感じてしまいます。

 海軍でぜんざいが人気だった事には、ぜんざいが出される夜に理由があります。艦船では軍事機密上、航海のスケジュールは一部を除き極秘にされます。

 ぜんざいに用いられる小豆は航海中の大切な食料であり、砂糖は当時は貴重品でした。それが帰港の前夜となると、航海の労をねぎらい、ぜんざいが炊かれていました。

 水兵達もそれが解っていたのでぜんざいが出されると、「明日は帰港だ」と皆で喜びを分かち合ったと言います。それが鎮守府が置かれた港に伝えられ、佐世保などに「入港ぜんざい」というご当地グルメとして残されています。幸せに溢れた海軍メニューなのかもしれません。


 



第1592回 海軍3食     2010年11月01日

 牛肉とタマネギ、ジャガイモ、ニンジンで何を料理するとなると、すぐにカレー、シチュー、肉じゃがなどが思い浮かびます。それぞれ同じような素材を使いながら方向性が異なる料理ではありますが、実は深い関連性を持っています。

 カレーはインドに端を発する料理ですが、日本の国民食となっている小麦粉を炒めて作ったルーを使う日本風カレーは、日本海軍に由来を持つ独自の歴史を持っています。

 今ではお馴染みとなった日本風カレーの原点、「海軍カレー」は、シチューを作るための牛乳が日持ちがしない事から、植民地にしていたインド原産のカレーパウダーを入れたビーフシチューを食事として出していたイギリス海軍に由来しています。

 当時、同盟関係にあった日本海軍では、栄養バランスが偏った食事が原因で脚気が蔓延し、兵士の病死の最大の原因となっていた事から、イギリスの食事を参考にしてシチューとパンを出す事としましたが兵士達に評判が悪く、代わりにカレー味のシチューに小麦粉でとろみを付けて出したところ評判が良く、海軍カレーの誕生に繋がっています。

 和食の定番となっている「肉じゃが」も実は海軍由来の料理で、元となった料理はイギリスのビーフシチューと言われると、かなり意外なものを感じてしまいます。

 イギリスのポーツマスに留学していた東郷平八郎が現地で食べたビーフシチューが気に入り、帰国後、海軍の食として採り入れようと考えました。

 作り方は現地で教わってきていたのですが、当時、デミグラスソースは日本には存在せず、必要な赤ワインも非常に貴重な物となっていた上、調理を命じられた料理長はビーフシチューを見た事もない状態でした。

 仕方なく料理長は東郷平八郎から聞かされた話を元に、日本で手に入るしょうゆや砂糖、酒といった調味料を使って調理を行い、肉じゃがを完成させたとされます。

 肉じゃがは、すでに海軍食として採用されていたカレーと同じ材料で作られる事から、食材の調達という点でも都合が良く、カレー同様、飽きがきにくいという艦上食に適した面を持っていました。

 カレーは復員した退役兵によって家庭料理として定着していきますが、肉じゃがの普及も同じ時期である事から、両料理の関連の深さを感じます。シチューが作れない事から代わりに作られたカレー味のビーフシチュー、シチューの不評から生まれた日本風カレー、ビーフシチューを作ろうとして生まれた肉じゃが、意外な繋がりに驚きを感じてしまいます。


 



 

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