にんにく卵黄本舗トップへ にんにく卵黄本舗トップへ

にんにく卵黄本舗トップへ ショッピング 会員様ご案内 サポート 会社案内 個人情報保護 サイトマップ
昔ながらの にんにく卵黄    
私たちの原点    
安心保証

 
ショッピング  
お客様の声  
 

コラム検索:
過去のコラム

コラム一覧

 <月別>

2011年04月

2011年03月

2011年02月

2011年01月

2010年12月

2010年11月

2010年10月

2010年09月

2010年08月

2010年07月

2010年06月

2010年05月

2010年04月

2010年03月

2010年02月

2010年01月

2009年12月

2009年11月

2009年10月

2009年09月

2009年08月

2009年07月

2009年06月

2009年05月

2009年04月

2009年03月

2009年02月

2009年01月

2008年12月

2008年11月

2008年10月

2008年09月

2008年08月

2008年07月

2008年06月

2008年05月

2008年04月

2008年03月

2008年02月

2008年01月

2007年12月

2007年11月

2007年10月

2007年09月

2007年08月

2007年07月

2007年06月

2007年05月

2007年04月

2007年03月

2007年02月

2007年01月

2006年12月

2006年11月

2006年10月

2006年09月

2006年08月

2006年07月

2006年06月

2006年05月

2006年04月

2006年03月

2006年02月

2006年01月

2005年12月

2005年11月

2005年10月

2005年09月

2005年08月

2005年07月

2005年06月

2005年05月

2005年04月

2005年03月

2005年02月

2005年01月

2004年12月

2004年11月

2004年10月

2004年09月

2004年08月

2004年07月

2004年06月

2004年05月

2004年04月

2004年03月

 

« 2011年03月 | コラムトップへ

第1697回 ラーメン光圀     2011年04月20日

 先日、ラーメンに関する話題に触れた際、日本で最初にラーメンを食べた人は水戸光圀公だと記載しました。1659年(万治2年)に明より亡命した儒学者、朱舜水の所持品の中にラーメンを作るために使われる道具が含まれていた事や、亡命後、朱舜水が水戸藩に招かれている事から中国の麺料理を献上したと考えられています。

 光圀公が日本史の編纂に関する助言を得るために朱舜水を招いたのは1665年の事とする説もある事から、1659年または1665年のいずれかに光圀公がラーメンを食べた可能性は充分に考えられるのですが、正式な記録が残されておらず確たるものとする事ができません。

 ラーメンが食べられたという正式な記録が登場するのは、1697年(元禄10年)の事で、光圀公の隠居所であった西山荘を訪れた僧侶や家臣達に中国の珍味として麺料理がふるまわれたという記載が残されています。今回、このコラムが1697回を迎えたので、1697繋がりで光圀公のラーメンについて触れてみる事にしました。

 光圀公のラーメンの特徴の一つとして、麺にレンコンの粉末が練り込まれています。レンコンには野菜としては珍しくビタミンB12が豊富に含まれていて、肝臓の働きを助けてくれたり、ビタミンCや鉄分も多い事から相乗効果によって「古血を散らし、病後の渇きを止め、産後のうっ血を治す」といわれた薬効を持つ事や、滋養強壮に役立つとされていた事から、麺に練り込む事で単に珍味としての食べ物というだけでなく、薬膳的な意味合いもあった事が伺えます。

 レンコンは繊維が多いだけでなくデンプンも多い事から、麺に独自のモチモチ感を出してくれ、美味しい麺となった事が考えられます。平打ち麺に仕上げられていた事から、ラーメンの語源の一つとも言われる中国語の「引っ張って伸ばす」という意味の言葉、「拉(らー)」による麺ではなかった事が伺えます。

 中国のハムともいえる塩漬けの豚の腿肉が使われ、塩が味付けの基本となっていた事から、現在でいうところの塩ラーメンであったとも考える事ができ、薬味として胡椒が使われた事や、五辛と称したショウガ、ニンニク、ニラ、ネギ、ラッキョウを必ず添えるように勧めていた事から、本格的なラーメンであったといえます。

 普段から光圀公は麺好きであったとされ、自らうどんを打つほどであったとされます。朱舜水によって麺作りを教わった光圀公が自ら麺作りを行った事は充分に考えられ、記録に残る1697年6月16日にふるまわれたラーメンが光圀公によって打たれた物かは確認する事ができませんが、「こちらのお方をどなたと心得る、日本で最初にラーメンを食べたお方なるぞ!」といわれると、思わずひれ伏してしまうかもしれないと思っています。


 



第1696回 生涯成長     2011年04月19日

 すでに成長とは縁遠い私ですが、それでも日々成長ホルモンは分泌されています。成長ホルモンは文字通り成長に関わるホルモンであり、脳下垂体前葉の分泌細胞から分泌される191個のアミノ酸からなるタンパク質で、幼児期には骨端の軟骨細胞の分裂や増殖を促して骨を伸ばす働きを持っています。

 特定のアミノ酸が筋肉に取り込まれるように促し、タンパク質合成を行わせて筋肉を成長させるという働きも司っているので、成長ホルモン抜きでは大人になれない事は理解できるのですが、大人になってからも成長ホルモンが分泌され続ける事については、成長ホルモンが単純に成長を促すだけでなく、多くの代謝機能に関わっている事によります。

 三大栄養素である炭水化物、タンパク質、脂質をエネルギーに変える事にも成長ホルモンは関わっていて、体内での重要なエネルギー生産の促進や、肝臓に蓄えられたグリコーゲンの分解を促し、インシュリンの働きを抑制して血糖値を上昇させて一定に保つ働き、血液中のカルシウム濃度を一定に保つなど、生命を維持していく上で重要な働きを多く担っています。

 また、体がエネルギー不足に陥った際、脂肪細胞から遊離脂肪酸を放出させてエネルギーを生産する指令に関わるホルモンでもある事から、最近ではダイエットや組織の再生にも関係しているので、アンチエイジングという点からも注目が集まってきています。

 ダイエットやアンチエイジングに有効となると、急に気になってくる成長ホルモンですが、盛んに分泌されるのは夜間の睡眠中とされ、主に夜の10時から夜中に2時頃が最も多く分泌されます。

 昔から「寝る子は育つ」と言われますが、良い子は寝ている時間に成長ホルモンの分泌が多く、その時間にリラックスして眠っている事が大切となると、昔からの言い伝えの正しさを思ってしまいます。穀物に多く含まれるアミノ酸のアルギニンを多く摂る事で成長ホルモンの分泌を円滑に行える事から、節分の豆まきの際、無病息災を願って年の数だけ大豆を食べる事にも納得してしまいます。

 生涯を通して健やかな生活を守るために欠かせない存在として成長ホルモンがある事を思うと、人は生涯を通して成長を続けなければならないのだと改めて思ってしまいます。


 



第1695回 毎晩の作業     2011年04月18日

 一説には日本人の4人に1人が、「充分な睡眠がとれていないから、体がいつも疲れている」と睡眠不足を実感していると言います。充分な睡眠時間が確保できない、時間的には充分でも睡眠自体の質が良くないといった悩みを持つ人は、4人に1人くらいではないと思えます。

 よく知られている事ですが、睡眠中はレム睡眠とノンレム睡眠の状態を繰り返しています。レム睡眠は眠りが浅く、筋肉がほぼ完全に緩んだ状態で、脳が起きている状態にある事から、体を休ませるための眠りとされます。

 眠りは脳波の状態から4段階に深さが分けられ、ノンレム睡眠は第2段階よりも深い眠りの状態で、第3段階と第4段階では脳がリラックスするδ波が見られます。最も深い第4段階の眠りではδ波が全体の50%近くを占めている事から、脳はぐっすりと眠り、逆に体は寝返りをうったり歯軋りをしたり、いびきをかくなど起きて活動的な状態にあります。

 レム睡眠とノンレム睡眠は進化の過程で獲得したと考えられ、魚類や両生類には見られず、爬虫類になって初めて似たような睡眠状態がある事が確認されています。鳥類、哺乳類では明らかなレム睡眠とノンレム睡眠が見られ、眠りという人の人生の約3分の1を費やす現象の解明に繋がる糸口と考えられています。

 ノンレム睡眠の役割は、高度に進化した脳の疲労を回復させる事が考えられ、昼間のうちに膨大な情報に接し、その処理に必要な集中力を確保する事が必要であり、そのための必要性から生じたのがノンレム睡眠と考えられます。

 また、脳は筋肉に比べて10倍近いという莫大なエネルギーを消費してしまう事から、エネルギーを節約する意味においても脳を休ませるノンレム睡眠が発生したという考え方もあります。

 睡眠に着くと一気に眠りは深まり、ノンレム睡眠の状態へと入っていきます。一時間半ほどのノンレム睡眠の後、5分程度のレム睡眠に入り、基本的にはそのサイクルを繰り返しながら睡眠が継続されるのですが、ノンレム睡眠は繰り返すごとに深さが浅くなり、レム睡眠は長さが増していきます。

 繰り返しながら一回の長さが増していくレム睡眠ですが、睡眠時間が8時間確保できたとしても延べ時間では1時間程度しかなく、一日の中でも大きな時間が割かれる睡眠が脳のために必要な時間である事が判ります。

 体を休めるためと考えられているレム睡眠ですが、その間に脳は起きているうちに得た膨大な情報を、一時的な記憶から長期的に固定化する作業を行っていて、レム睡眠も脳にとって大事な時間であるといえます。

 多種多様な情報の中から後々のために残しておくべきものと、一時的な事として忘れてしまっても良いものを仕分けして固定化するため、起きているうちに得る情報量が多くなればサム睡眠の時間も増える事が確認されています。

 生まれたばかりでこれからのために覚えなければならない事が大量にある新生児の場合、睡眠時間の半分がレム睡眠で占められていて、結果的に体を休ませてはいますがレム睡眠も脳に必要な眠りであると考える事ができ、睡眠とは脳の疲労を除いて新たな情報を得るための集中力を確保し、得られた情報を仕分けして必要なものを固定化するための時間であるといえます。毎日、多くの時間を費やす睡眠ですが、その間に行われる事の重要さを思うと時間と質の確保の大切さを思ってしまいます。


 



第1694回 不足元素     2011年04月15日

 食が手軽で便利になった反面、栄養の偏りや不足が言われるようになり、不足している栄養素としてミネラル類が上げられる事も珍しくはありません。ミネラル類の中にはナトリウムのように過剰に摂取しているとして問題視される物もありますが、カルシウム、カリウム、鉄分などのように、不足して起こる健康上の不具合も日常的に耳にします。

 人の体は約95%が炭素、水素、窒素、酸素といった4つの元素で構成され、残りの5%を構成する16種類の元素がミネラル類で、生命活動を維持する上で欠かせない物となっています。

 ミネラル類の特徴として、微量ではあっても体内で重要な役割を果たしているというものがあります。食材に含まれる量も微量という事もあるので、気が付かないうちに不足してしまい、思わぬ体調不良の原因となっている事も考えられます。

 そんなミネラル類の中でも、最近、特に亜鉛(Zn)の不足が懸念されています。同じミネラル類でもカルシウムや鉄分などは積極的に摂ろうという声は聞かれますが、亜鉛を摂ろうという事はあまり聞かれず、体内では合成する事ができずに食材から摂るしかない事を考えると、常に不足しがちな栄養素である事を意識しておく必要性がある事を感じます。

 亜鉛は味を感じるセンサーである「味蕾(みらい)」との関連性が深い事から、亜鉛が不足すると味覚に異常が生じる事があるので、亜鉛不足の弊害は味覚の異常とだけ認識されて軽視される事もありますが、それ以外にも重要な役割を多く担っており、亜鉛が不足すると体内の300種類を超える酵素が活性化しなくなり、病気の予防と回復やアルコールの分解、皮膚の健康や視力の維持、成長ホルモンの機能、老化などにも不具合が出る事が知られています。

 また、「疲れやすい」、「視力が落ちてきた」、「抜け毛が増えた」、「貧血気味」、「皮膚がかさかさしやすい」、「爪の伸びが遅く変形が見られる」、「食べ物の味が薄く感じられる」、「怪我の治りが前より遅い」などは亜鉛不足の症状とされ、幾つかが当てはまる場合は毎日の食事の栄養チェックが必要かもしれません。

 亜鉛を多く含む食材というと「牡蠣」が思い浮かびます。牡蠣には多くの亜鉛が含まれていて、大粒の牡蠣であれば一つで一日の必要量を摂る事ができます。牡蠣よりも多くの亜鉛を含む身近な食品となると「緑茶」があり、お茶を上手に生活に取り入れる事で亜鉛を摂取する事ができ、その際、ビタミンCを摂っておくと亜鉛の吸収効率が良くなります。

 加工食品に含まれる添加物にも注意が必要で、かまぼこの弾力を増したり、清涼飲料水の変色防止などに使われる「ポリリン酸ナトリウム」は、亜鉛を体内から排出してしまう働きがあり、漬物やパン、しょうゆなどに変色や変質を防ぎ、色を良く見せるために加えられる「フィチン酸」には亜鉛の吸収を阻害する働きがあり、亜鉛不足が気になる場合は注意が必要です。

 最近、畑の土壌に含まれるミネラル分が少なくなってきているとされ、ミネラル分が少ない土地で育てられた作物に含まれるミネラル類も少なくなってしまいます。食べているつもりでも摂れていない、排出してしまっているなども考えられる事から、常に不足する可能性がある事を意識しないといけなくなっているのかもしれません。


 



第1693回 工業化ブーム     2011年04月14日

 食料の工場生産というとあまり良いイメージは持たれないのですが、昨年の暑過ぎた夏に話題となった野菜工場はクリーンで健康的なイメージがあります。

 野菜を畑ではなく建物の中で機械化された環境で生産する野菜工場は、それぞれの野菜に適した環境を人為的に作り出す事が可能な事から、効率的に野菜を育てる事ができるだけでなく、季節に関係なく計画的かつ衛生的に栽培する事が可能であると考える事ができます。

 これまで日本では野菜工場のブームは2度訪れたとされ、最初のブームは1980年代とされています。大手スーパーを中心に野菜工場を持つ事によって自社製品の生産に取り組む事が流行した時期で、まるで木のように大きく成長したトマトや当時、使われはじめた光ファイバーを使った採光などが思い出されます。

 2回目ののブームは農林水産省によって支援が行われ、いくつかの食品メーカーにおいて自社の製品を生産するために野菜工場が建設された時期とされ、過酷な気候から大幅に野菜不足が言われた昨年の夏が3回目のブームと考える事ができます。

 一見、一定の間隔でブームが繰り返されているように感じられますが、その間にも確実に技術は進歩を遂げ、出来上がってくる野菜も大幅に品質が向上しています。

 最大の技術革新の一つに野菜という植物に欠かせない照明の進化があり、白熱灯や蛍光灯と比べて圧倒的に電気代が安上がりなLED(発光ダイオード)が使用可能となり、ランニングコストの軽減、最終的な販売価格の低下による市場での競争力の向上があり、野菜工場で作られた野菜が割高で特殊な存在ではない雰囲気作りに貢献しています。

 野菜自体も品種改良が行われ、水耕栽培に適した品種の開発によって路地物に敵わないとされた味も遜色のないものへと改善され、強風にさらされる事なく均一に光が当てられる事から、姿も屋外での栽培よりも整った状態で栽培する事が可能となっています。

 また、野菜工場に対するイメージも変化し、工場生産、人為的な栽培、高コスト栽培による割高販売といった負のイメージから、外的な環境から切り離す事によって病気や害虫などから隔離する事ができ、無農薬で栽培できるというヘルシーでクリーンなイメージも定着してきました。

 農作物の収穫量は畑の面積である程度決められてきましたが、野菜工場では多層化が可能である事から収穫量に関して土地の制約を受けないというメリットもあります。

 太陽光や風力などによる発電の効率化やLEDをはじめとした各種設備の省電力化が進めば、農業の工業化はそれほど遠くない将来像となるのかもしれない、そう思えてしまいます。


 



第1692回 塩なしすぐき     2011年04月13日

 前回のすんき漬けとよく似た名前に「すぐき漬け」というものがあります。すぐき漬けは京都の伝統的な漬物で、千枚漬け、柴漬けと並ぶ京都の三大漬物の一つとなっています。

 すぐき漬けは「すぐき菜」と呼ばれる原材料を使い、塩を使わず乳酸発酵によって仕上げられるというと、すんき漬けと酷似していて、同じ物や同じ系統で発展した物という感じがするのですが、両者に関連性はなく、すんき漬けとすぐき漬けは独自に成立して発展した全くの別物といえます。

 すんき漬けに使われていた「すんき菜」は葉物野菜ですが、すぐき漬けに使われる「すぐき菜」はカブの変種で、「酸茎菜」と書かれたり「すぐきかぶら」と呼ばれたりもするのですが、地元でもあまり知られない野菜とされています。

 すぐき菜は「水茎(すいくき)」、「加茂菜(かもな)」とも呼ばれ、京都では「すぐき」といえば野菜のすぐき菜を指すだけでなく、すぐき漬けの事を指す言葉ともなっていて原材料の野菜よりも漬物の方がよく知られた存在となっています。

 すぐき菜があまり知られた存在となっていない事については、すぐき菜が極めて限られた地域でしか栽培されていないという事情があります。上加茂と呼ばれる地域の松ヶ崎の西、北山通りよりも北という狭い地域でしか栽培されず、栽培法についても長らく秘伝とされていました。

 すぐき菜の由来については謎の部分が多く、一説には400年ほど前、上加茂神社の神官が加茂川の河原に自生していた風変わりなカブを持ち帰り、境内で栽培した事がはじまりとされ、飢饉の際に付近の人々に種が分け与えられたりもしていますが、すぐき菜は土を選ぶ性質が強いだけでなく栽培に多くの手間隙も要する事から広まらず、地元でも知られない食材となっています。

 すぐき菜は8月の末頃に種が蒔かれ、11月の下旬には収穫されます。収穫後、皮を剥いて下漬けされた後に本漬けが行われ、本漬けには長さが5m近い丸太を使い、一方を固定してもう片方に重石を下げてテコの原理を利用して押さえ付ける独自の「天秤押し」が使われる事もすぐき漬けの特徴の一つとなります。

 数日間の本漬けの後、室に移されたすぐき菜は加熱されて発酵させられ、収穫から一ヶ月ほどを経てすぐき漬けは仕上げられます。すぐき菜の収穫が年明けまで続く事から、すぐき漬け作りは2月の末頃まで行われて終了し、美味しい時期は雪の頃とされています。

 すぐき漬けが始まった当初は、後に「時候熟れ(じこうなれ)」と呼ばれる収穫して本漬けをしたすぐき菜を家の軒下に置いて自然の気候で発酵させる技法が採られていました。時候熟れで仕上げられるとすぐき漬けの食べ頃は春から初夏にかけてと遅めになり、時節柄、発酵食品がありがたい時期となるのですが、京都の厳しい冬とはいえ雑菌の繁殖を制御するには難しく、今日ではほとんど見られない技法となっています。

 木曽のすんき、京のすぐき、共に通じるのは乳酸発酵由来の酸味となります。「塩梅を見る」という言葉が示すように料理において酸味は重要な要素であり、もう片方の塩を欠いてはいますが、植物由来の乳酸菌を上手に活用した知恵が別々に発展しきたという点に興味深いものを感じてしまいます。


 



第1691回 塩なしすんき     2011年04月12日

 すんき、すんき漬けというと、長野県木曽地方に伝えられた郷土色豊かな伝統的発酵食品の事を指します。日本各地に独自に伝えられた伝統的な漬物が存在しますが、すんき漬けはその製法において独自のものを持っています。

 漬物は、今では副菜としての意味の方が勝ってきていますが、かつては限られた時期にしか手に入らない野菜などの食材の保存性を高め、発酵などによる風味を加えながら食材の美味しさを最大限に引き出すという知恵の結晶となっています。

 多くの場合、漬物は塩を用いる事によって腐敗菌や食中毒菌の繁殖を抑え、浸透圧を高める事によって食材の細胞内の水分を引き出し、水分に食材が沈んだ状態にする事によって空気中では上手く増殖する事のできない食材に付着した乳酸菌の増殖を促進させます。

 酸素がある状態では活動できない乳酸菌は、食材が水没した状態になる事で酸素から遮断され、盛んに乳酸発酵を行ってpHを下げてさらに雑菌の発生を抑制し、同時に酸味を加えて食材をより美味しくしてくれます。

 それだけ漬物には欠かせない塩ですが、すんき漬けには一切の塩が使われず、乳酸発酵のみで仕上げられるという特殊な作り方がすんき漬けの独自性を際立たせています。

 木曽地方は海から遠い山国であった事から海洋塩の入手は困難であり、岩塩をほとんど産出しない日本では山国では塩は非常な貴重品であり、「米は貸しても塩は貸すな」という言葉が残されているほど塩は貴重な物となっていました。食材の保存のためとはいえ、漬物のように多量に塩を使うという事への抵抗感は容易に想像でき、経験的に塩を使わない漬物の成立へと繋がっていった事が考えられます。

 すんき漬けの材料には地元でとれる「すんき菜」と呼ばれる在来の野菜が使われ、湯通ししたすんき菜に保存しておいた前年のすんき漬けを種として加える事で作られます。塩を使わない事から雑菌の繁殖を抑える事が困難なため、お湯を使って殺菌を行い、前年のすんき漬けという乳酸菌が充分に増殖した状態からスタートするという微生物をよく知った立場では判る事ですが、経験的にそれが導き出されたという事には驚かされてしまいます。

 野菜に付着しているラブレー菌などの乳酸菌には、最近ではアレルギーを抑える働きがあるとして注目されてきています。木曽の伝統食が全国的に必要とされる日も近いのかもしれません。


 



第1690回 白濁の誕生と継承(2)     2011年04月11日

 中華料理の白湯スープや長崎ちゃんぽんが下地となって生まれた澄みきったとんこつスープが偶然、強い火力で煮立てられた事で白濁し、その美味しさが評判となって白濁スープの久留米ラーメンが誕生しました。

 久留米ラーメンは地理的に遠い鹿児島を除き、ほとんどの九州のラーメンに影響を与えたとされ、白濁とんこつスープのラーメンの代表格として全国的に知名度が高い博多ラーメンも、久留米ラーメンからの影響によって誕生しています。

 後により効率的に骨髄から旨味を煮出せるように骨を割ってから煮込むという工夫が加わり、その一工夫によって他の九州ラーメンよりも脂分が多くてこってりとした味わいと、豚骨の濃厚な風味が久留米ラーメンの特徴となり、有明海でとれる海苔を使い、ラーメンに海苔というスタイルも久留米ラーメンから始まっています。

 玉名ラーメンの歴史は、白濁とんこつスープの元祖、「三九」が玉名市に出店した事から始まります。創業者である杉野勝見氏より「三九」を引き継いだ四ケ所出光氏が知人より強力に薦められた事が玉名出店のきっかけとされ、「三九」玉名店は濃厚な味わいと安価な値段で食べられる事もあって、大変な人気となりました。

 その「三九」で修行をした中村敏郎氏によって開店されたのが玉名ラーメンの元祖ともいえる店「天琴」であり、「三九」のラーメンを食べに玉名まで通い、その味を研究した後に開店されたのが熊本ラーメンの元祖となる「こむらさき」、「味千ラーメン」、「桂花」、「こだいこ」、「松葉軒」とされます。

 「天琴」によるラーメン作りは一日に100kg以上といわれるほどの大量の豚骨を寸胴よりも熱効率の良い鉄釜を使い、火力が強い灯油バーナーによって煮込む事で濃厚な中にも臭味や脂濃さがないまろやかな味に仕上げられ、それは玉名ラーメンの特徴の一つともなっています。

 玉名ラーメンのもう一つの特徴として「にんにくチップ」の存在があり、久留米ラーメンから派生しながら玉名を経由した熊本ラーメンとの数少ない共通点とされます。玉名ラーメンの麺は濃厚なスープに対応するように久留米ラーメンよりも太い中細のストレート麺となっており、その点も母体となった久留米ラーメンとの違いでもあります。

 玉名の地を経由して熊本へ伝えられた久留米ラーメンは、その美味しさを再現するための研究が重ねられ、独自の工夫も加えられて熊本ラーメンとして発展します。麺は久留米ラーメンや玉名ラーメンよりも太いコシの強いストレート麺が使われ、太い麺に合せてスープも濃厚なものとなりました。

 豚骨に鶏がらを合せてスープが作られるようになり、水に恵まれた事もあってスープは当日で使い切られ、継ぎ足しが行われない事がルーツとなった久留米ラーメンや玉名ラーメン、同じく久留米ラーメンから派生した博多ラーメンとの最大の違いとなっています。常に新しいスープが使われる事から豚骨由来の臭味がなく、そのために臭味消しの工夫の一つでもあった紅ショウガはトッピングされていません。

 玉名ラーメンでは表面に豚脂の膜が張る事に対し、熊本ラーメンではにんにくを揚げて香りを移した「マー油」を少量浮かせて風味付けとしています。そうした違いもあり、こってり感と豚骨の旨味がより強い玉名ラーメンと濃厚な中にもすっきりとした味わいの熊本ラーメンと、味の方向性の違いを見る事ができます。

 また、ラーメン通の間では麺の違いも大きいとされ、同じ縮れのないストレート麺ですが、中細の玉名ラーメンと中太の熊本ラーメンとなっており、熊本ラーメンは特に固めに茹で上げられるという傾向を持っていて、強力なコシを持つ事でも知られています。

 熊本にいると玉名はそれほど遠いというイメージはないのですが、ラーメンに限った事ではありますが異なった食文化が育まれている事を目の当たりにすると、少々遠い街のように思えてきたりもしてしまいます。


 



第1689回 白濁の誕生と継承(1)     2011年04月08日

 当地熊本の名物の一つにラーメンがあります。全国的にもその存在が知られるようになった熊本ラーメンですが、熊本県内で出されるラーメンの総称が熊本ラーメンかというとそうでもなく、熊本県内には大別して熊本市内を中心とした「熊本ラーメン」と、熊本市の北に位置する玉名市を中心とする「玉名ラーメン」の二つの系統が存在しています。

 一説には日本で最初にラーメンを食べたのは「水戸黄門」として知られた徳川光圀だとされ、元禄10年(1697年)に光圀の隠居所であった西山荘を訪れた僧侶や家臣たちに中華麺を振舞ったという記録が残されていて、かなり歴史がある食べ物のようにも思えるのですが、実際の本格的な伝播は明治時代以降の事で、神戸や横浜などの港町に作られた中華街で食べられていた「南京そば」を母体に明治から大正にかけて日本各地の中華料理屋を中心に独自の進化を遂げてラーメンは成立したと考えられます。

 主食と一汁一菜を食事の基本としてきた日本において麺類は丼の中にその要件の全てが揃い、手早く一食を済ませる事ができる事から麺類は古くから定着していて、その中に新たに登場したラーメンというジャンルが瞬く間に各地に広まり、独自の発展を遂げた事は容易に想像できます。

 そうした各地で独自のラーメンが発展していく中、九州のラーメンの代名詞ともいえる白濁した「とんこつスープ」は、ある偶然から誕生したとされています。

 昭和の初め、福岡県久留米市でうどんの屋台として営業していた「たぬき」において、研究熱心だった店主、宮本時雄氏が横浜の中華街で人気となっているラーメンを再現しようと横浜へと向かい、自らの出身地である長崎の「ちゃんぽん」に着想を得て九州初のとんこつスープによるラーメンを完成させます。

 昭和12年にラーメン屋らしく屋号を「たぬき」から「南京千両」に改めた当時、元祖とんこつスープは白湯スープのように澄んだ透明感のある物だったのですが、南京千両の開店から10年を経た頃、開店当初から宮本氏は自らが開発したとんこつスープのラーメンを惜しげもなく幾多の人に伝授しており、その中の一人であった昭和22年創業の屋台「三九」の店主、杉野勝見氏が仕込み中に買出しに出て、知り合いに会ってつい話し込んでしまった事で、仕込み中の白湯スープを煮立ててしまってスープが白濁し、思いの外、白濁したとんこつスープの味の良さに気付いた事が今日の白濁したとんこつスープの誕生に繋がっています。

 白濁させてしまった人については諸説があり、南京千両において宮本氏が煮立ててしまったとするものもありますが、豚骨は鶏がらなどと比べるとコラーゲンが多く、強火で煮立てる事によって普段は水に溶けにくいコラーゲンが加熱によってゼラチンに変化し、豚骨の骨髄から出た大量の油分がゼラチンに包まれてスープに溶け込む事でコクのある白濁スープとなります。

 こうして濃厚な白濁したとんこつスープを使った久留米ラーメンが誕生し、久留米市から地理的に近い位置にあった玉名市へと伝えられた久留米ラーメンが独自の発展を遂げて玉名ラーメンへと繋がっています。

 「三九」の常連であり、白濁したとんこつスープの虜となっていた三人の人物によって、それぞれ後に熊本ラーメンの代表的な店となる「こむらさき」、「味千ラーメン」、「桂花」が開店されて熊本ラーメンが成立し、同じ久留米ラーメンを母体としながら熊本には二つの系統のラーメンが存在する事となっています。


 



第1688回 小豆の季節(2)     2011年04月07日

 おはぎとぼたもちは春と秋という季節によって呼び名が変わり、小豆の状態が仕上がりの質感に影響していた事は理解できるのですが、それ以外の違いというと、実は厳密には見立てた花の違いによって形状が異なるのが正式なスタイルという事ができます。

 春に咲く牡丹は大輪で丸みがある豪華な花なので、ぼたもちはふっくらと丸く、大きく形作られます。秋に咲く萩は小ぶりな花なので、おはぎは小ぶりで長めの形状に仕上げられます。

 春と秋の花に由来したおはぎとぼたもちですが、お彼岸の時期にしか食べないかというとそんな事はなく、身近な素材で作る事ができる事もあって、一年を通して夏も冬も食べられています。

 その際、おはぎとぼたもち、どちらの名前を使えばよいかというと、あまり知られてはいませんが夏と冬にはそれぞれ別な名前が存在しています。

 おはぎとぼたもちはもち米と米を混ぜて炊き上げた物をすりこ木で半潰しにして作られます。そのため、餅のように杵で突かない事から、隣に住んでいる人でさえいつ突いたのか判らないとされ、「突き知らず」という製法上の特徴が言われます。

 「突き知らず」は変じて「着き知らず」となり、かつてはエンジンが搭載されていなかった事から、運行が最も静かな乗り物であった船に喩えられ、闇夜の船はいつ到着したのかが判りにくい事から、夏は「夜船」と呼ばれます。

 また、「突き知らず」は「月知らず」とも変じられ、月を見る事ができないのは北側にある窓なので、冬は「北窓」と呼ばれます。どちらもかなり強引な展開による名付け方ですが、春にはぼたもち、夏に夜船、秋はおはぎで冬は北窓と、どこか日本の食文化の粋な部分を感じてしまいます。

 最後に全くの異説ですが、春と秋のお彼岸におはぎやぼたもちを食べる習慣は日本古来の太陽信仰に由来し、春には豊穣を祈り、秋には収穫を感謝して太陽が真東から昇って真西に沈む春分の日と秋分の日に神に捧げ物をした事が元になっています。

 後に仏教が伝えられると彼岸の中日が春分と秋分の日であった事から、仏教の影響によって春と秋のお彼岸に捧げ物として作られるようになり、その際、サンスクリット語などで「柔らかいご飯」の意味がある「ブッタムドゥ」が「ぼたもち」となったとされ、そのためお彼岸に食べる物だけがぼたもちで、それ以外はおはぎとする説もあります。

 もっともらしさを感じながら、次に見かけた際は何と呼ぼうか、少なくとも夜船と北窓は判ってもらえないような...。身近な和菓子にいろんな事を考えてしまいます。


 



第1687回 小豆の季節(1)     2011年04月06日

 定番の和菓子として年中見かける事から、あまり季節感を感じる物ではなくなってきていますが、お彼岸に食べる和菓子というと「おはぎ」や「ぼたもち」が思い浮かびます。

 おはぎとぼたもちはどちらも小豆ともち米で作られ、一見同じ物のように見えるのですが、それぞれ別な呼び名が与えられています。一般的に言われるところでは、漉し餡で作られているのがおはぎで粒餡がぼたもちとされ、別な分類法では中のもち米が米粒の形状が残っているのがおはぎで、完全に持ちの状態になっているのがぼたもちともされます。

 全体が小さく作られているのがおはぎで、大ぶりなのがぼたもち。高級なのがおはぎで、庶民的なのがぼたもちという意見もあり、それらの諸説を合せていくとだいたいのイメージができてくるのですが、実は両者を分けているのは作り方や大きさ、高級感などではなく食べる季節となっています。

 牡丹の花が咲く春のお彼岸に食べるのが「牡丹餅(ぼたもち)」、萩の花が咲く秋のお彼岸に食べるのが「お萩(おはぎ)」となっています。どちらも小豆の粒や色合いを花に見立てたもので、和菓子らしく季節感を表現したものでもあるのですが、今では通年、「おはぎ」と表示する事が大勢を占めています。

 春と秋という季節の違いはおはぎとぼたもちの仕上がりにも影響していて、おはぎが食べられる秋のお彼岸は、小豆の収穫の時期でもあり、収穫したての柔らかい小豆を使っておはぎが作られる事から、皮まで全て使った粒餡でおはぎは仕上げられます。

 それに対してぼたもちが食べられる春のお彼岸では、小豆は一冬を越してしまっていて、今ほど保存の技術が高くない事もあって小豆の皮は固くなってしまっています。皮が固い小豆をそのまま使うと食感が悪くなってしまう事から、小豆の皮を取り除いてぼたもちは作られ、漉し餡の状態で仕上げられるようになっています。

 漉し餡の方が一手間かかる事や高級イメージがある事から粒餡がぼたもち、漉し餡がおはぎと思われがちですが、保存技術の発達や皮が柔らかい小豆への品種改良がなかった頃の季節的な要因を考えると、両者の微妙な違いが見えてくるようにも思えます。


 



第1686回 妖怪出現?     2011年04月05日

 無事である事を「恙無い(つつがない)」という慣用句を用いて表現する事がありますが、「恙」には病気や災難といった意味があり、病気や災難がない状態を「無事である」として「恙無い」と言っています。

 その恙を名前に持つツツガムシ(恙虫)はダニ目ツツガムシ科のダニの総称で、日本には約100種ほどが生息している事が報告されています。

 ツツガムシの名前の由来は、正体不明の虫刺されの後に原因不明の致命的な病気を発症する事があり、「恙虫」という妖怪に刺された事が原因と考えられ、ツツガムシ病と呼ばれていました。後にツツガムシ病はダニが媒介する感染症である事が判り、媒介者であるダニにツツガムシの名前が付けられました。

 ツツガムシ病の原因はツツガムシの体内にいるツツガムシ病リケッチアによるもので、ツツガムシの0.1〜3%が体内にリケッチアを保有していると見られています。

 ツツガムシは土壌中の昆虫の卵などを捕食して生活していますが、卵から孵化した直後の限られた時期だけネズミなどの動物の皮膚に付着して生活する習性があり、その間に人獣共通の感染症であるツツガムシ病を媒介します。

 典型的な症状としては39度を超える高い発熱や全身に紅斑が見られ、体の何処かにダニに刺された後が存在します。倦怠感や頭痛、リンパ節の腫れが見られ、重症化すると血管内での血液の凝固や多臓器不全が起こり、死に至る病として恐れられ、4類感染症として報告の対象となっています。

 先日の東日本大震災によってツツガムシ病がこれまで発生していなかった地域でも多発する可能性が示唆され、注意が喚起されています。地震や津波による土砂災害でツツガムシが棲息していた土壌が流され、広範囲にツツガムシが拡散した可能性が考えられるためです。

 被災地ではさまざまな感染症の蔓延が懸念されていますが、その中に怖ろしいツツガムシ病も加わる事を考えると、改めて震災がもたらす多面的な影響と怖ろしさを実感させられてしまいます。


 



第1685回 免疫と運動     2011年04月04日

 ストレスと免疫が密接な関係がある事は広く知られています。特に免疫の中でも重要な役割を担うNK(ナチュラルキラー)細胞はストレスの影響を受けやすく、ストレスによって機能が大幅に低下し、病気になりやすい状態を作り出してしまいます。

 テストや試合、コンクールなどが近付くと風邪をひくなどの体調不良が起こりやすい事は、ストレスによってNK細胞の機能が低下してしまい、免疫力が充分に働かない事が主な原因と考えられ、NK細胞の機能は実際のストレスだけでなく、落ち込んでいる人のそばに長くいるだけでも低下してしまうほど繊細なものとされています。

 NK細胞には加齢や昼夜の逆転を伴うような生活のリズムの乱れ、悲しみなどのストレスが大敵とされ、正しい生活習慣や適度な運動によってNK細胞の機能を高める事ができます。

 特に運動はNK細胞の働きを高める事にプラスに働くとされ、より激しい運動ほどNK細胞の働きを一時的に高めてくれる事が判ってきています。

 運動を始めた直後からNK細胞の活性も上昇を始め、運動の継続に合せて上昇を続けます。激しい運動ほど活性値の大きな上昇が見られますが、注意すべき点は運動を止めた直後から活性が下がりはじめ、リバウンドともいえる低い値に落ち込んでしまい、激しい運動によって活性値を大きく上昇させたときほど落ち込みも激しく、最も活性値が下がった状態で感染症などの病気になりやすいという傾向がある事です。

 そのため急激な運動は避けるようにして、ホルモンバランスが整いにくい午前中ではなく午後に適度な運動をする習慣を付けると、NK細胞をより効率的に活性化させる事が考えられます。

 病は気から、そして生活習慣から。繊細な免疫も上手にコントロールして、健康な生活の実現に繋げたいものです。


 



第1684回 高いボール?(2)     2011年04月01日

 「ハイボール」というとウィスキーを炭酸で割った飲料を指すというのが定番となっていますが、「下町」の一言が加わると内容が少し変わった物になってきます。

 下町ハイボールはその名の通り、東京の下町の居酒屋を中心に飲まれてきたアルコール飲料で、色こそいかにもハイボールという薄い琥珀色をしていますが、ベースとなる酒はウィスキーではなく甲類の焼酎が使われています。

 甲類の焼酎は無味無臭に近いため、コップに焼酎を注いだ後、色と味の素となる琥珀色の液体を加えて強めの炭酸で割って仕上げられ、下町ハイボールに欠かせない琥珀色の液体は「元祖の素」と呼ばれています。

 最近、一部の居酒屋では昭和を彷彿とさせる飲み物として「ホッピー」がメニューに加えられ、人気となっていますが、下町ハイボールはホッピーと同時期か若干新しいとされる事から、昭和23年以降に誕生したと考えられ、明確な出現時期の断定はされていません。

 当時、ウィスキーが庶民の間にも広まってきており、炭酸で割って飲むハイボールはお洒落なウィスキーの飲み方とされていましたが、舶来酒に課せられる酒税が過大であった事もありどうしてもウィスキーは割高な酒となっていて、ウィスキーの代わりに安価な焼酎を炭酸で割った物が飲まれるようになりました。

 ハイボールのウィスキーを焼酎に置き換えた「焼酎ハイボール」は後に略されて「酎ハイ」と呼ばれ、飲みやすさと値段の安さから一気に広まっていきます。甲類焼酎の無味無臭を補い、より飲みやすくする工夫からシロップなどで味を付ける事が行われるようになり、その中の一つが元祖の素を使った下町ハイボールであると考える事ができ、酎ハイと下町ハイボールを分けているものこそが元祖の素の存在であるといえます。

 下町ハイボールが下町のハイボールであり続けた理由としては、終戦直後、劣悪な焼酎が闇市で取引されていた事から、焼酎は安価で粗悪な酒というイメージがあり、庶民的な酒場を中心に飲まれていた事もありますが、それ以上に元祖の素が「謎の液体」とされていた事が大きく関係しています。

 下町ハイボールを出している居酒屋で焼酎に加えられる琥珀色の液体について尋ねると多くの場合、「業務用」もしくは「自家製」という答えが返ってくるそうで、実際に業務用で仕入れた元祖の素に手を加えて自家製にしている例も多く、自家製と答えた店に対し、レシピを聞き出そうとするのはマナー違反とされています。

 そのため長い間、下町ハイボールは昭和の香りを残す謎多き飲み物とされてきましたが、居酒屋を文化的に研究する動きが増えてきてから徐々にその謎が解き明かされ、謎の液体とされてきた元祖の素も地元飲料メーカーが作る「天羽の梅」なる製品である事が判ってきています。

 元祖の素の正体は判っても、正体である「天羽の梅」にも多くの謎の部分があり、梅と銘打っていても梅シロップではなく、梅シロップ用のラベルが大量に余っていたので流用したとされる事や、原料が判らないようにするために特許も申請していないなど、一筋縄ではいかない事が伺えます。

 相変わらず謎多き下町ハイボールですが、その謎は下町ハイボールをより美味しく飲めるように残されているともされます。最近では全国的に知られ、メニューに加える店も増えてきているといいます。昭和から続くレトロで謎多き下町の味が、全国へ新しい味として広まっていく事をどこか面白く感じてしまいます。


 



 

Copyright (C) 2007 Sunproject Co.Ltd. Allrights reserved,