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第1689回 白濁の誕生と継承(1)     2011年04月08日

 当地熊本の名物の一つにラーメンがあります。全国的にもその存在が知られるようになった熊本ラーメンですが、熊本県内で出されるラーメンの総称が熊本ラーメンかというとそうでもなく、熊本県内には大別して熊本市内を中心とした「熊本ラーメン」と、熊本市の北に位置する玉名市を中心とする「玉名ラーメン」の二つの系統が存在しています。

 一説には日本で最初にラーメンを食べたのは「水戸黄門」として知られた徳川光圀だとされ、元禄10年(1697年)に光圀の隠居所であった西山荘を訪れた僧侶や家臣たちに中華麺を振舞ったという記録が残されていて、かなり歴史がある食べ物のようにも思えるのですが、実際の本格的な伝播は明治時代以降の事で、神戸や横浜などの港町に作られた中華街で食べられていた「南京そば」を母体に明治から大正にかけて日本各地の中華料理屋を中心に独自の進化を遂げてラーメンは成立したと考えられます。

 主食と一汁一菜を食事の基本としてきた日本において麺類は丼の中にその要件の全てが揃い、手早く一食を済ませる事ができる事から麺類は古くから定着していて、その中に新たに登場したラーメンというジャンルが瞬く間に各地に広まり、独自の発展を遂げた事は容易に想像できます。

 そうした各地で独自のラーメンが発展していく中、九州のラーメンの代名詞ともいえる白濁した「とんこつスープ」は、ある偶然から誕生したとされています。

 昭和の初め、福岡県久留米市でうどんの屋台として営業していた「たぬき」において、研究熱心だった店主、宮本時雄氏が横浜の中華街で人気となっているラーメンを再現しようと横浜へと向かい、自らの出身地である長崎の「ちゃんぽん」に着想を得て九州初のとんこつスープによるラーメンを完成させます。

 昭和12年にラーメン屋らしく屋号を「たぬき」から「南京千両」に改めた当時、元祖とんこつスープは白湯スープのように澄んだ透明感のある物だったのですが、南京千両の開店から10年を経た頃、開店当初から宮本氏は自らが開発したとんこつスープのラーメンを惜しげもなく幾多の人に伝授しており、その中の一人であった昭和22年創業の屋台「三九」の店主、杉野勝見氏が仕込み中に買出しに出て、知り合いに会ってつい話し込んでしまった事で、仕込み中の白湯スープを煮立ててしまってスープが白濁し、思いの外、白濁したとんこつスープの味の良さに気付いた事が今日の白濁したとんこつスープの誕生に繋がっています。

 白濁させてしまった人については諸説があり、南京千両において宮本氏が煮立ててしまったとするものもありますが、豚骨は鶏がらなどと比べるとコラーゲンが多く、強火で煮立てる事によって普段は水に溶けにくいコラーゲンが加熱によってゼラチンに変化し、豚骨の骨髄から出た大量の油分がゼラチンに包まれてスープに溶け込む事でコクのある白濁スープとなります。

 こうして濃厚な白濁したとんこつスープを使った久留米ラーメンが誕生し、久留米市から地理的に近い位置にあった玉名市へと伝えられた久留米ラーメンが独自の発展を遂げて玉名ラーメンへと繋がっています。

 「三九」の常連であり、白濁したとんこつスープの虜となっていた三人の人物によって、それぞれ後に熊本ラーメンの代表的な店となる「こむらさき」、「味千ラーメン」、「桂花」が開店されて熊本ラーメンが成立し、同じ久留米ラーメンを母体としながら熊本には二つの系統のラーメンが存在する事となっています。


 


 

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